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「鎮魂の社」

<3>
 「あら、エイちゃーん! 久しぶりじゃないのっ」
 放課後。
 いつものように志沢家の扉を開けた途端に、今にも外に出ようとしていたスーツ姿のお姉さんにぶつかって、僕は思わず立ち止まった。
「あー……と、桃子姉さん」
「今日も隆史の所? あの子、確かまだ帰って来てなかったんじゃないかしら」
「ええっ、もしかして詠ちゃん来てるの!?」
「ど、どうも、奈々子さん」
「やだっ本当だあ」
「……と、朋子さん、お久しぶりです……」
 以下略。
 敷居をまたいだ途端にわらわらと現れた志沢シスターズの面々に、僕は冷や汗を流しながら後ずさった。
 ううう、志沢の家でお世話になってた時代の後遺症か、どうもこの人達には苦手意識がある。
「じゃあ僕、隆史が帰って来るまであいつの部屋に行ってますから」
「そんなこと言わないで、居間で待ってればいいじゃない。そうだわ、どうせなら夕食も食べてく?」
 五女の洋子さんが嬉しそうに顔を出した。
 今年大学に入ったばっかりで受験地獄から解放された爽やかな顔をしている。この後の受験を控えている僕としては、ちょっと羨ましい立場かも知れない。
「今日はみんな揃ってるのよ。こんなこと滅多にないし、ね?」
「駄目ってことはないですけど、多分、おばさんが夕食用意してくれてるんじゃないかな」
 僕の台詞に、洋子さんが静かに味見用の小皿を置いた。
 隣にいた朋子姉さんが素早くそれを取り上げて代理の味見をしているけど、僕は曖昧に笑ったままだ。
 ……僕は今、遠戚のおばさんと一緒に暮らしている。今から9年前に両親が事故で亡くなってからずっとだ。
 志沢家に預けられていた僕は、七歳の誕生日を迎えたその日に、やって来た両親に連れられて実家に戻ることになった。
 だけど本当は帰っちゃいけなかったんだ。
 現に康次郎さん、つまり隆史のお父さんは、僕の手を引く両親を何とか説得して思いとどまらせようとしたらしいんだけど……それでも父さんと母さんは、五年間も手放していた僕を今日こそ家に連れて帰ると突っぱねたらしい。
 そうして帰り道の途中で事故に巻き込まれたんだ。
 歩道にトラックが突っ込んでくるなんて滅多にあることじゃない。
 だけど両親はその事故に巻き込まれて即死、咄嗟に庇われた僕は打ち身程度で済んだものの、しばらくは病院で過ごすことになった。
 その間に両親の葬儀や僕の引取先問題なんかも一段落して、気が付くと、僕は遠縁の叔母と一緒にそれまで住んでいた家で暮らすことになっていた。
 母親、と言うより祖母と言った方が近い程歳の離れた叔母に、僕はあまり我侭が言えない。
 叔母は優しいし(早くに子供を亡くして、栃木で一人暮らしをしていた人なんだよね)今の生活に文句なんて全然ないけど、だからこそ余計に「恐い」のかも知れないなって思う……うまく言えないんだけど。
 とにかく、志沢のお姉さん達は全員こうした僕の家庭環境を知っている。
 叔母が夕食を用意しているなら、僕がここで食事を済ませて帰る筈がないってことも。
「そうね……おばさんにご迷惑は掛けられないわよね」
 洋子さんが呟くと、今度は隣にいた桃子さんが冷蔵庫を開けながらにっこり笑った。
「じゃあエイちゃん、下であたし達とお喋りしてましょうよー。今日ね、シオンのケーキ買って来てるの。隆史はいきなり甘いの駄目になっちゃうし、一緒に食べてくれたら嬉しいなーっ」
「えっ、シオンって駅前の!? もしかしてシブストと春がすみもあるっ!?」
 はっ。いかん、思わず本音が出てしまった。
 隆史は中学に上がった頃くらいから味覚が変わって辛党になったけど、僕は相変わらず、小さい頃からの甘党だ。
 特に駅前の有名店・シオンのケーキには、昔っから目がないんだよなあ……。
 尻尾を振る勢いの僕に、桃子さんはシオンの王冠マークの入った紙ケースを取り出すと、蓋を開きながら僕を手招きした。
 勿論、この誘惑に逆らえる筈もなく、僕はまんまとケーキにつられてその後の数十分を居間で過ごすハメになったのだった。ああ、我ながら単純なヤツ。
 それにしても大乃木のヤツ、今のこの状況を見てもまだ「紹介してくれっ」なんて台詞が言えるんだろうか。
 首根っこを捕まえられてなでくりされるのはともかく、べたべたひっつかれて昔の恥ずかしい話を披露されたり、両腕を掴まれて「はい、あーんしてっ」なんて言われたり、挙げ句髪にリボンまで付けられるんだぞっ、僕は玩具じゃなああいっ!
 かくして僕は多大なる犠牲を払ってケーキを食べ終えると、引っ張る手を振り払って二階の隆史の部屋に逃げ込んだのであった。ほっ。
 下できゃあきゃあ騒ぐ声が聞こえてたけど、ひとまず襖を閉めて音を遮断して、それからようやく肩の力を抜く。
 あああ驚いた、捕まった僕も僕だけど、今日に限って姉さん達が全員揃ってるなんて、どう言う風のふきまわしだ?
 最近はみんな忙しいから、僕が顔出しても、洋子さん以外の姉さん達に会うことなんて滅多になかったのにさあ(お陰でケーキにありつけたけど)、本当に今日は油断した。
 ……6人の姉と1人の息子って立場が物語るように、実は志沢の家で長期間お世話になっていた僕も同様、隆史と並んで姉さん達には猫っ可愛がりされて育ってきた。
 何しろ長女の寛子さんなんか僕達より12も上なもんだから、あの姉さん達にとって、隆史と僕は弟って言うより玩具みたいなもんだったろうな。
 僕なんか五年の付き合いで済んだからまだ良かったものの、隆史はこの歳になるまでずーっと姉さん達と暮らしてる(当たり前だけど)わけで。
 良くあそこまでマトモに育ったもんだと、実はこっそり感心してたりする。
 とにかく部屋にこもって隆史を待ってると、階下からほど良く聞こえてくる姉さん達の声が心地良くて、僕はついうとうとしてしまったらしい。
 ふわっとした柔らかい空気の中で、僕は遠くから聞こえてくる呼び声にゆっくり意識を手放した。
 ……エイちゃん、外に出ちゃ駄目だよ。
 舌ったらずの不安そうな声。
 あれは、隆史だ。
 まだ幼かった頃、女の子みたいな顔(これは僕も人のことは言えないけど)でぺとぺとくっついて来た隆史を、僕はいつも振り回していた。
 わざと困らせて楽しんで、だから隆史が一番嫌がる神社の探検も、恐いのを我慢して無理に出掛けていったんだっけ。
 一人だとなかなか家の外に出ない隆史は、僕が探検に行くと言うと必ず反対して、それでも最後には泣きそうな顔で必ず僕の後からくっついてきた。
 僕はそれが楽しくて、だからあの時も……あの時も、僕はやっぱり隆史を無理に神社の裏へと誘ったんだ。
 ……そっちは恐いよ、行くのやめようよお。
 隆史が反対すればするほど、僕は暗い道を突き進んだ。
 どうしてあんなに意地になったのかは思い出せないけど、あの時の僕は、いつもなら途中で引き返す筈の道をほとんど強引に進んでいったんだ。
 まるで何かにせき立てられるように。
 そしてようやくたどり着いた先には小さな祠があった。斜面になった岩場に、大きなショベルでくり貫いたような小さな穴。
 不安がる隆史を置いて、僕はその穴の中に身体を潜り込ませた。
 それから、それから……、

 エイちゃん!

 もの凄い衝撃があって、いきなり足場が崩れた、ような気がした。
 祠の奥は空洞になっていて、真下には深い穴が広がっていたらしい。
 あの時、隆史が腕を引っ張ってくれなかったら……もしかしたら、僕はまっさかさまに落ちていたかも知れなかったんだ。そう、
 引っ張って、貰えなかったら。

 ……詠ちゃん。

 だけどあの時、本当に隆史は僕を助けてくれたんだろうか。穴に落ちる前に引き上げて貰えたんだろうか。
 もしそうなら、この記憶は……暗く湿った穴の記憶は、一体何なのだろう。
 詠ちゃん。
 土臭い真っ暗な穴の奥。
 覚えている筈がない。あれは、ない筈の記憶だ。あの時落ちたのは……もっと、別の……。
「詠!」
 肩を揺すられて、僕ははっと目を覚ました。
 額がじっとりと汗ばんでいる。
 見れば隆史が僕の顔をじっと覗き込んでいた。どうやら僕は、机に顔を伏せて眠ってしまっていたらしい。





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