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「鎮魂の社」

<3>
 「風邪引くぞ、こんな所で」
「隆史」
 何だか妙に背中が重い。
 慌てて時計を見ると、この部屋に入ってから十分ほどしか経過していなかった。
 夢を見ていた気がしたけど……あれ、何だっけ、良く思い出せない。
「どうかしたのか?」
「何か……頭がぼーっとする……」
「うたた寝なんかしてるからだ。一人でこんな所にいないで、居間で待っていれば良かったんだ」
 諭すように言った隆史に、僕は思わずうげっとなった。
「本気で言ってる? 今日、姉さん達が勢揃いしてたんだよ!」
「最近は俺で遊べないから、詠が来たら歓迎してくれただろ」
 うっ、こいつ分かってて言ってるな、絶対。
 昔は僕と一緒にマスコット扱いされていた筈の隆史は、ここ数年でめっきり大人っぽくなり、ついでに姉さん達の玩具役からも完全に卒業してしまっていた。
 身長だってぐんぐんのびて、今じゃ190センチを軽く越している。
 当然ながら僕の身長なんかも余裕で追い抜かして、並んで歩くと僕の方が後輩に見られることだってあった。
 間違われた当初はムカついたけど、こうして見てると、それも仕方ないなって思うことがある。
 だって隆史の奴、もともとうるさいタイプの子供じゃなかったけど、今は別の意味で物静か(寡黙っていうんだっけ、こういうの)、表情なんか滅多に変わらなくなったお陰で余計に老けて見えるんだよな。
 入学したての頃は「可愛げがない」なんて先輩に良く絡まれてたけど、この無表情が余計にあおってるんだと僕は思う、絶対に。
 隆史はおじさんの跡を継ぐ為に努力して、普通の勉強の他に神道系の大学に進む為の勉強も続けている。祝詞なんか完璧だし、祭式についても詳しいし、何しろおじさんに実習をかねて教わってたから、普通の神職希望者よりずっと良い環境にいると思う。
 だけどやっぱり、おじさんが亡くなるのが早すぎたんだよなって思うのは、昔とは別人のようになった隆史に時々不安を感じることがあるからだ。
「何だよ、俺の顔に何かついてるか?」
 上目遣いで見ていると、隆史が不審そうな顔で言った。
 目と鼻と口、なんて言うと殴られそうだったので、僕は黙って首を振ると、
「昨日お祓いして貰ったお陰で、今日は全然、幽霊も見てなけりゃ霊障も起こってない。やっぱりお前って凄いよなあって思ってさ」
「当たり前だ。この俺を誰だと思ってる」
「……志沢隆史サマ……」
 気迫に負けて細々と言うと、隆史はふんと鼻で笑って、僕の背中を大きく三度ぱしんと叩いた。
「いっ、痛っ! 何だよ急にっ!」
「妙なもん背中にくっつけてるからだ。お前も集める能力だけは一人前の癖に、何だって小鬼一匹祓えないんだろうな。親父があれだけマメに祝詞だの鎮魂だの教えといて、未だに何も出来ないってのは一種の才能だよ」
「気付かなかった……いつの間に」
 まだひりひりする背中を手の甲でさすりながら、僕は呆然と言った。
 背中を三度叩くのは、きちんとしたお祓いをする間がない時、急ぎの時なんかに隆史が良くやる除霊方法の一つだ。
 と言うことはつまり、僕が知らないうちに妙なものが背中にくっついてたってことなんだろう。
 ……道理でさっきから背中が重いと思った。
「珍しいな。お前が気付かないなんて」
「この家に居るから、気が緩んでたのかも。うわー肩が軽くなったー」
「顔洗って来いよ。まだ顔が寝呆けてるぞ」
 額をぱしんと叩かれて、僕は思わず目をこすった。
 確かにまだ、頭がぼんやりする。
「じゃあちょっと洗面所借りる……」
「分かった。俺も座敷に降りてるから、後で来いよ」
 頷いて、僕は先に階段を下りた。
 そのまま離れにある洗面所に入ると、勝手知ったる何とやらで、新しいタオルを横に置いて顔をばしゃばしゃ洗う。
 窓の外は、もう真っ暗になっていた。
 顔を拭きながら外に広がる竹林を眺めていると、ほとんど反射的に背筋がぞーっとして身震いがくる。
 夏時間の割には外の暗さが尋常じゃない。この分じゃまた夜道をびくびくしながら帰らなきゃいけないんだろうな……ぞっとしながら溜息をつくと、僕はタオルを手にしたまま廊下に戻ろうとした。その時だ。
「……済みません」
 声がした。窓の向こうから。
「済みません。ちょっとお尋ねしたいのですが」
 咄嗟に振り返ると、窓越しに頭が見えた。
 少し薄くなった頭頂部。とは言え別に声の主の身長が異様に低い訳じゃなく、この家は敷居が高くて、外との段差が大分あるんだ。
 それにしても何でこんな所で……そう思いながら近付くと、声の主が安心したように吐息した。
「あの、何か御用ですか」
「捜し物をしているのです。光っているものです。何処かで見掛けませんでしたか」
「光ってるもの?」
 そりゃまた、えらく抽象的な。
「竹林で落とした物ですか? そこ、この家の人間が管理している場所ですから、聞けば何か分かるかも……あ、僕はただの客なので分かんないんですけど」
「困ったな。あれがないと……」
 語尾が小さくなる。
 聞き取れなくて、僕は咄嗟に窓に顔を近づけた。
 その途端、

「……本当に知りませんか? 私に嘘をついたら、良くないことが起きますよ」

 耳元で、囁くような声が聞こえた。
 ぞっと背中が粟立つような気配。
 僕は反射的に身を引くと、その場にひっくり返って尻を打ってしまった。痛い、って言うか、こここ腰が、抜け……っ。
「たっ、隆史ぃぃーーーっっっ!」
「何だ、どうしたっ」
 もう窓の向こうを見る勇気もなくて、僕は金切り声で隆史を呼んだ。
 と同時に隆史が洗面所に駆け込んできて、開いたままの窓の外を覗き込む。
「何が見えたっ!?」
「し、知らない、捜し物してるって、中年のおじさんの声で、頭しか見えなかったからっ」
 さすがに慣れている。
 余計なことを聞かずにすぐ窓の向こうを調べると、隆史はしりもちをついたままの僕の前にしゃがみ込んだ。
「捜し物と言ったんだな」
「てっきり竹林に迷い込んだおじさんだと思ったんだよーっ。頭ちょっと薄かったけど、普通に見えたしさ! だけど光ってるものを探してるとか妙なこと言い出してっ」
「光っているもの」
 不審そうに言って、隆史は『考える人』のポーズを取った。
 ううう、まだ心臓がばくばくいってるぞ、僕っ。
「隆史、何か心当たりある? この家の裏で誰か死んだとか、あ、光りもの探してるって言ってたから、まさかカラス!?」
「そんな訳あるか。馬鹿言ってないで、姉さん達の居る居間に行ってろ。俺も後から行く」
 窓の外に塩をまきながら言う隆史に、僕は恐る恐るその場に立ち上がった。
 言われなくてもこんな場所にいつまでも残っていたくはない。
 だけど、どうして!? 隆史に(略式とは言え)お祓いをして貰った直後だってのに、何だってあんなものが見えちゃったんだろう、僕!
 居間に行くと、姉さん達が神妙な顔で料理の乗った席を取り囲んでいた。
 僕の姿を見るなり全員が腰を上げて「何があったの!?」と聞いてきたんだけど、この分じゃ、どうやら僕の情けない悲鳴はここにいる全員に聞こえちゃったらしいな。
「ね、どうかしたの、エイちゃん!」
「また何か見えた? 凄い声出してたけどっ」
「え、はい、そうみたいです。済みません、おさわがせして」
 それにしても妙だった。
 僕が悲鳴を上げて大騒ぎするなんて、何も昨日今日始まったことじゃない。なのにみんな、僕の言葉にすっかり顔色を変えてるんだ。
 そう言えば、姉さん達が今日に限って全員集合しているのも気になるんだよな。
 単なる偶然だと思ってたけど、この分だと……。
「もしかして、志沢の家に何かあったんですか?」
 聞くと、姉さん達は一斉にぎくっと顔をひきつらせた。
「な、何かって何が」
「だって姉さん達全員が揃ってるのも珍しいし、様子がおかしいって言うか」
「何もないわよお。私達だってね、たまには集まって近況報告しないとね」
「ねっ」
 明らかに怪しい。
 僕がしつこく尋ねようとすると、洗面所から戻ってきた隆史が肩を叩きながら短く言った。
「お前、今日はもう帰れ。俺が途中まで送ってやる」




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