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「鎮魂の社」

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  警察にも届けずに調べている、と言う隆史の生玉探索法は、氏子さん達からの情報収集や親しい社家の協力、更に太占(ふとまに)と呼ばれる神道の占いだったりした。
 情報収集や人海戦術で行方を捜すって言うのはともかく、占いって何だよ!
 と突っ込まれそうだけど(現に僕も事情を知らないならそう突っ込んでいたと思う)実はこれ、なかなかに侮れない方法なのである。
 もともと太占と呼ばれる占術は、かの有名な『古事記』の中でも紹介されているほど歴史のあるもので、36本の6センチ程の檜の棒を使う単純な占いの癖に、原理を理解しようとすると頭がこんがらがるような複雑なものだった。
 隆史なんは完璧に方法をマスターしてるんだけど、同じようにおじさんからレクチャーを受けていた筈の僕は、結局最後まで原理どころか方法まで覚え切れなかったんだ。
 タロットカードみたいに直感で読み取るようなもんだから、もともと向いてない人には教えるだけ無駄なんだと思う(これ、負け惜しみじゃないからなっ)。
 でもって。この隆史の太占がどんなものかと言うと、これが結構当たるのである。
 小学校の時に境内でサッカーボールを無くした時も、これで占って、瑞垣(神社を囲む柵)の影にあったボールを無事発見することが出来た。
 ……後でおじさんにバレて、つまらないことに神聖な占いを利用するなーってメチャクチャ叱られたけど。
 そんな訳でこのなかなか当たる隆史の太占の結果、現在、生玉がこの水縄神社からそう遠くない場所にあるらしいことが分かった。
 おまけに盗み出したヤツは水縄神社に深く関わる人物で、今現在も生玉を持ち歩いているらしい。
 相手が関係者となると捜索範囲が狭まるから、ここまで判明すれば十分だ……と、僕はかなり満足していた。
 しかし。
 しかし、なのである。
 周りが「それじゃあこれから頑張って犯人を捕まえるかっ」と盛り上がる中、当の隆史だけがずーっと不機嫌顔で、以前にも増してむっつりしちゃってるんだ。
 学校の女子は「最近の志沢君、ますます渋くなったよねえ」なんて呑気に言ってるけど、当事者である僕の方は気が気じゃない。
 隆史のやつ、まだ何か隠してるんじゃないだろうな。
 だけど僕達の憂鬱とは対照的に、隆史の「守ってやる」宣言以降、僕に対する霊現象はぴったり不気味なくらいなりをひそめてしまった。
 捜し物をしてる連中だけじゃない、いつもなら普通に起こってたような現象まで、起こらなくなったんだ。
 これは、嬉しいけどちょっと変だぞ。
 霊現象が起こらなくなって二日目、掃除当番を終えて校舎を後にしながら、僕はひとり首を傾げていた。
 隆史が何か手を打ってくれたのかも知れないし、現にお祓いも毎日やって貰ってるけど……それにしたってここまで何もなくなるなんて、絶対に不気味だ。
「嵐の前の静けさ、じゃなきゃいいけど」
 坂道を降りると、信号待ちをしている間に、いやでもひしゃげたガードレールが視界に入る。
 あの日、突然起こった事故。
 突っ込んできた車に跳ね飛ばされた会社員が一人犠牲になっていたことを、僕は後になって知った。
 僕の責任じゃないけど、誰かがガードレールの前に置いた献花にちらりと罪悪感を覚えてしまうのは、やっぱり事故の原因があの妙なおじさんにあるんじゃないかって思えるからだ。
 うちの学校の先輩も巻き込まれて重傷らしいし、こう言うのは堪らない。信号が青になっても動けなくて、僕は唇を噛んだままうつむいた。
 交通事故なんて……絶対に嫌だ。
 覚えていない筈の記憶がずくんと疼いた気がして、僕は深呼吸する。
「大丈夫ですか」
 声を掛けられて、僕はゆっくりと顔を上げた。
 ガードレールのそばにあった車から、男が一人、こちらを覗き込んでいる。
 多分、二十代後半から三十代前半くらいだろうか、すらっとした容姿で不思議と人の目を引くタイプの男だ。
 スーツを着てるけど、会社員って言うより弁護って感じで、眼鏡を掛けてるけど神経質そうでもない。
 僕はもともと、他人の容姿に興味のある方じゃない。
 下手すると友達とすれ違っても気付かないくらいぼーっとしてることが多いし(目が悪い癖に、授業と映画の時以外は眼鏡もコンタクトもつけてないせいだと思う)、クラス替えなんかした日には、しばらくクラスメイトの顔と名前が一致しなくて困るくらいだ。
 そんな僕が思わず分析しちゃうほど、その人には強いオーラみたいなものがあった。
 無視できないような、不思議な存在感、とでも言うんだろうか……しかもこの人、返事をしない僕を心配したのか、わざわざ車を降りてこっちに近付いてくる。
「顔色が真っ青ですよ」
「あ……いえ、済みません。大丈夫です」
 うわ、恥ずかしいな。通りすがりの人に心配かける程、僕ってヤバそうなんだろうか。
 思わず顔を反らしながら言った僕に、だけど男は僕の顔を覗き込むようにすると、
「貴方は、神崎詠くん、ですよね?」
 急に名前を呼ばれた。こっちが戸惑うくらい、にこやかな顔をしている。
「え、ええ、そうですけど」
「良かった、人違いならどうしようかと思っていたんですよ。私は桐塚麟太郎、と言います。突然ですが、少しお時間を頂けないでしょうか」
 え。いや、急にそんなこと言われても。
 僕はびっくりして、桐塚と名乗った男をじっと見た。
 悪い人……には見えないけど、さすがにほいほいついて行く気にもなれない。
 そもそも、妙な奴には気を付けろって、隆史から重々言い含められてるんだよな。
 ここは自然に逃げよう、そう思って「済みませんけど、急いでるんで」って言ったんだけど、すれ違いざまに腕を引っ張られて、僕はあっさり桐塚さんに捕まってしまった。
「不審に思われるのは当然ですが、どうか逃げないで下さい。別に怪しい者ではありませんよ、私は志沢隆史君の知人です」
「隆史の?」
「彼について、大切なお話があるんです。構いませんか?」
 構いませんかも何も、強引に腕を引っ張ってるんだからどうしようもない。
 僕は渋々頷くと、先導する桐塚に続いて近くにある喫茶店に入った。
 学校から近い喫茶店でなら、変なことになっても助けを求めやすい。
 なんて考えが働いたと言うより、車で移動すると何処に連れて行かれるか分からないって気持ちの方が強かったんだけど……とりあえず、桐塚さんと名乗った男は、名刺を出しながら僕に柔らかい笑みを向けた。
「ぶしつけに申し訳ありませんでした。何ぶん、こうしたことは早い方が良いだろうと思いまして……話自体はすぐに終わりますから、少しだけ、付き合って下さい」
 桐塚会計事務所、桐塚麟太郎。
 趣味の良いデザインの名刺を見て、僕の警戒心は少しだけおさまった。
 会計事務所の人が何で隆史と知り合いなのかは怪しいけど、こう言う仕事をしてる人が、犯罪だの何だのに関わっているとは思えない(甘いかな)。
「お話って何ですか」
「先日、志沢家から消えた十種の神宝のひとつ、生玉のことです」
 さーっと音を立てて血の気が引いたような気がした。
 この人、どうして生玉のこと知ってるんだ!?
 事情が事情だから、今回の件については外部にもらすつもりはないって隆史は言ってた。
 だから警察に届けも出さずに生玉の行方を捜すハメになってたんだけど、じゃあ、この人は何で生玉が消えたことまで知ってるんだろう。
 まさか、この人……。
「誤解しないで下さいね。別に私が盗んだ訳ではありませんから」
 先手を打って、桐塚さんはそう言った。
「それに、私が言いたいのは盗んだ相手のことではなくて、貴方のことなんです。神崎君は、生玉に関するひどい霊障に悩まされているそうですね」
 だ、だから何でそんなことまでっ。
「志沢隆史には気を付けなさい」
 僕が口を開こうとした時、まるでそれを邪魔するように桐塚さんが言った。
 眼鏡越しの瞳が急に冷ややかになって、背筋がぞくっとするような視線が僕に向かっている。
「神崎詠君。貴方は非常に危険な立場にある。身を守りたいのなら、志沢隆史から離れるべきです」
「どう言う意味ですか、それ……離れるって、だって隆史は僕の友達で」
「彼が本当の彼であるのなら、ね」
 絶妙のタイミングで店員が注文を取りに来た。
 桐塚さんと僕がそれぞれホットとカフェオレを頼むと、店員は水とおしぼりだけ置いて僕達のテーブルから離れていく。
 それを見送ってから、僕は改めて口を開いた。
「あの……桐塚さん、隆史が本当の隆史ならって、それってどう言う意味ですか」
「彼は本当の志沢隆史ではない、と言うことです。少なくとも、人ではない。うまく化けてはいますがね」
「はあ?」
 何言ってるんだ、この人。頭は大丈夫か?
「隆史は隆史ですよ。人じゃないって、それじゃ何だって言うんですか?」
「それは君自身の目で確かめるべきことです。それとも、既に気付き始めているのかな?貴方の能力は第三者にとって非常に利用しやすい。それを狙って数多くの『良くないもの』が集まっているようですが、中でも志沢隆史は、貴方にとってもっとも害のある存在です」
 静かにそこまで言い切ると、桐塚さんは慣れた手つきでタバコを取り出した。
「失礼、どうも落ち着かないもので……まあ、いきなり信じて貰おうとは思っていませんでしたから、良いんですよ。何しろ貴方は小さな頃から志沢隆史と一緒に過ごしていましたし、いきなり現れた私の言葉より、志沢隆史を信用して当然でしょう。ですが、良く考えて下さい。彼は本当に貴方の知っている志沢隆史なのでしょうか。昔の、貴方が良く知っている志沢隆史ですか?」
「誰だって成長すれば変わります。少し変わったからって、偽物だなんて発想は普通出てきませんよ」
「彼の変化は成長ではありません。そうして長年隠し通してきたものが、今になって限界を迎えている。貴方達の周りに霊が集まりやすくなったのは、何も貴方の能力の為ばかりではない、志沢隆史が、本当の力を押さえきれなくなっているからなのです。見ようとすれば、貴方にだってそれが見える筈なのに」
 この人、何なんだよ。
 僕は改めて背筋が寒くなるのを感じながら、タバコをふかしてる目の前の男をじっと見つめた。
 成程、確かに志沢の家や僕の事情には詳しいし、先入観ナシで話を聞けば、筋もきちんと通ってる。
 だけど……言ってることがメチャクチャだよ。
 隆史が偽物で、しかも、僕にとって危険な存在?
 良くもそんな台詞が出てくるもんだ。
「どちらかと言うと、隆史にはいつも助けて貰ってます。僕には貴方の方が余程怪しいですよ、いきなり現れて変な話ばっかりして!」
「彼が貴方を守るのは、自分の力として利用したいからです。言ったでしょう、悪霊達が貴方の力を欲して近付くように、彼もまた、貴方を利用したいと考えているのですよ」
 駄目だ。ついていけない。
 店員がホット珈琲とカフェオレを持ってきたのを合図に、僕は席を立つと、頭を下げて喫茶店を出ようとした。
 まだ口もつけてないんだから、金を払う義理もないよな。
 だけど……、
「神崎詠くん。もし貴方が志沢隆史の正体に気付き、なおかつ助けを求めるのであれば、いつでもいい、相談にきて下さい。私は貴方を助けてあげられる、唯一の存在です」
 背後から掛けられた声に、僕はイライラして振り返った。
 こいつ、しつこいっ。
 そうしたら、ばっちり目が合っちゃったんだ。真っ直ぐ僕を見る桐塚さんの瞳と。
 その瞬間……ぞくっとした。
 言葉で表現しにくいんだけど、こいつの言葉が嘘や冗談じゃない、そんな次元の低いものじゃないって言うか……圧倒的な力みたいなものが、びしびし波になって僕に押し寄せてくる感じだ。
 怒鳴りつけてやろうと思ったのに、結局僕は迫力負けして、無言のまま喫茶店を飛び出した。
 一体コレ、何なんだ?
 今日会ったばかりの他人に「隆史は偽物です」なんて言われて、しかも僕、大人しく店を出たりしてさ。
 隆史が言ってた、僕に近寄る変な奴らの一人なのかも知れない。そう考えるとあいつ、マトモな相手じゃなさそうだったし、もしかしたら志沢家のことを調べて、何かたくらんでるんじゃないだろうな。
 だけど、変な男ってだけじゃ片付けられない何かが、僕の心の片隅にしつこく残っていた。
 彼は、本当に貴方の知っている志沢隆史ですか?
 昔の、志沢隆史のまま……そんな台詞がぐるぐる頭の中を回って、ちっとも落ち着けない。
 隆史が変わったと思うのは、何も今日に始まったことじゃない。
 性格も態度も何もかも、隆史は僕より先に大人になって、追いつけないくらい遠いところに行ってしまった。
 だけどそれは誰もが通過する儀式みたいなもので、だから僕は、ちっとも成長出来ない自分にイライラしてた。悔しかった。だから……。
 胸ポケットに入れていた桐塚の名刺を取り出すと、僕は片手で丸めて公園のごみ箱に捨てようとした。
 だけど途中で手が止まって、どうしてもそれを投げ捨てることが出来ない。
 バカバカしいよな、本当に。
 あんなヤツの話を鵜呑みにするほど僕は間抜けじゃないし、信じる必要だってないのに……そんなのは、分かってるのに。
 それなのに僕の心の片隅には、わずかに芽生えた不信感があった。
 隆史に向けられたそれは、僕でさえ気付かないうちに、見えない楔になってずしりと重くわだかまる。
 結局、握りしめたままの名刺をゆっくりと伸ばすと、僕は改めて、それを胸ポケットの中にしまいこんだ。
 まるで飲み込めない複雑な感情とまとめて、封印してしまうように。






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