かみさまの木index > 18
「かみさまの木」
- 郵便柱函の謎F
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- 「何しよんじゃ、それ、返せ!」
「返すか阿呆! えげつない真似すなっ!」
章太の叫びに松之助は思い切り怒鳴り返した。
まったく冗談ではない、これはもう『乱暴者』の域を完全に越えてしまっている。
「これ、お前のとこで飼っとる兎やろ。何でこんな真似するんやっ」
「うるさいっ。関係ないやろ、邪魔すんな!」
打てば響く様に声が返ってくる。
松之助は、後ろ手に西洋ナイフを陸市に渡すと、ようやく空いた両手で章太を捕まえ、そのまま強引に茂みの外、池の側にある椅子の前まで連れ出した。
往生際悪く未だじたばたしている身体を何とか椅子に座らせると、松之助はようやくほっと吐息する。
「お前なあ……何むしゃくしゃしとんか知らんけど、弱い物苛めすんなよ。って言うかそれ以前に動物殺すんは滅茶苦茶や。あんな優しい父親持って何不自由ない生活して、どこに不満があんねん。男爵困らせて楽しいんか? 生き物殺して楽しいんか。喧嘩して周りの人間傷つけて、それで満足なんか?」
「義父さまを困らせるつもりはない。あの人はええ人や」
ようやくまともな反応が返ってきた。
松之助は溜息をついて、もう一方の椅子にどすんと腰掛ける。
「昌子さん、亡くなったんが辛かったんか。相談に乗ってくれてた人が亡くなったから、それで動物虐めるんか」
「ちゃう。あんな嘘つき女どうなってもええ」
「嘘つき?」
再び沈黙。
章太はそっぽを向いたが、やがて血に汚れた手を服で拭いながら振り返った。
「お前、何でここに居るん。まさか義父さまに告げ口しに来たんとちゃうやろな」
「昌子さんのこと聞きに来ただけや。お前、仲良かったんやろ? 看護婦さんに聞いた」
「仲なんか良うない!」
「せやけど昌子さんに会いに診療所に通うてたらしいやん。昨日かて昌子さんのことで、さとっちゃんにくって掛かっとった癖に」
答えにくいことがあるとおし黙るのが癖なのか、またもや章太は口をつぐんであさっての方を向いてしまった。
池の鯉を眺めながら、相変わらず傷だらけの顔をむくれさせている。
やがて陸市が兎を埋葬したことを告げながら茂みから現れると、警戒する様に一度きり顔を上げ、その機会に松之助は口を開いた。
「なあ。お前、何か悩みがあるんとちゃうんか。昌子さんに相談してたんやろ」
「……別にない」
今度はそっけないながらも返答がある。
確かにこの生活環境を考えると、章太に悩みがあるとは到底考えにくかった。優しい義父に豪華な邸宅、不自由のない生活に安定した将来。
仮に問題があるのだとすれば、彼が自分の生い立ちをどう考えているかと言うこと位で……そう言えば陸市が「男爵は月に一二度孤児院に行く」と話していたが、もしかしたらその際、誰かに何か言われたのだろうか。
こう言うのは幸里の方が得意なのだが、と思うとますます良い言葉が浮かんでこなくなって、松之助は内心溜息を付いた。
同年代の子供に暴力を振るい、残酷な方法で動物を殺す子供を前に、果たしてどんな言葉を掛ければ良いものかさっぱり分からない。
「お前、友達はおれへんのか」
不意に思いついて、松之助は言った。
きょとんと章太が顔を上げる。
「昌子さんやのうて、今度は友達に相談してみいや。話してすっきりするんやったら、こんな所で動物虐待しとるよりええやろ」
「話せへん」
ぽつりと章太が言った。それは松之助が初めて耳にする、章太の気弱げな声だった。
「誰にも、話せへん」
「何でや。昌子さんには話してたんやろ?」
言った途端に章太の顔が堅く強ばった。
何かまずいことを口にしたかと焦る松之助に、章太は椅子を倒してその場に立ち上がると、
「言うてへん! あの女には何も言うてへん。俺は何も知らへんし、あの女も何も知らへん。お前らに話すことなんかあらへんのや、分かったらさっさと帰れっ!」
火を吹く勢いで叫び、いきなり卓子をひっくり返した。
驚いたのは松之助で、あおりをくらって椅子ごと倒れそうになったものの、何とか陸市に支えられて体勢を整える。
そのまま章太を怒鳴りつけようとして、こちらを睨む鋭い目線にはっとした。
陰鬱な炎が宿った様な瞳。
和田文子が話していた『恐ろしい目』と言うのは多分このことだろうと思われる様な、ぞっとする程冷たい視線がそこにあった。
言葉を失う松之助の前で、章太は黙ったまま血で汚れた服の裾を引っ張り、こちらに背を向けてとぼとぼと屋敷に向かって歩き出す。
その後ろ姿を留めることも出来ず、松之助と陸市とは、ただ黙ってその場に立ち尽くすばかりだった。
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