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「かみさまの木」

郵便柱函の謎G
 章太は絶対に普通ではない。
 それが、松之助の出した結論だった。
 六条家の訪問の目的と主旨が変わってきているが、この際そんなことはどうでも良い。
 和田文子の話を最初に耳にした時、この人かなりきとるなあ、と心配になったものだが、今回直接章太と接触してしみじみ納得した。
 確かあれは尋常ではない、と。
「なー陸市。どない思う、あいつのあの態度」
 六条家から道修町の実家へと向かう車中である。
 松之助は組んだ手を頭の後ろにまわしながら、ぼんやりとそう呟いた。それまで黙々と運転していた筈の陸市が、ふっとこちらに意識を向けてくる。
「絶対おかしいよな、むしゃくしゃしとっても普通兎は裂かへんもん。昌子さんのこと言うたら滅茶苦茶怒りよったし」
 いや、と自分で言って否定する。
 あれは昌子のことを怒ったのではない。昌子に相談していたことを指摘されて、怒ったのだ。

 ……庭園での騒動の後、結局いくら待っても章太が戻って来ないので、松之助と陸市は屋敷に戻って男爵に直接事情を説明していた。
 血に染まった西洋ナイフを見た男爵は真っ青になったが、その謝罪の言葉には僅かな驚きもなく、それではこうしたことは初めてではないのだと言う思いが松之助をげんなりさせた。
 章太は最後まで二人の前に顔を出さず、気まずい思いのまま松之助と陸市は六条家を後にしたのだった。
 昌子の死に関係なく、章太は何か大きな問題を抱えている。
 もしかしたら昌子と言うつっかえ棒をなくして、後はその憤りが噴き出るままになっているのかも知れなかった。
「男爵のことは、嫌いやないみたいやのにな」
「遠慮があるのかも知れませんね。自分を引き取ってくれた恩人なので、逆に相談をもちかけることが出来ない、と」
 陸市の言葉に、松之助はううむと唸った。
 その辺りの複雑な心理は分からない。
 親に相談できないと言う思いは松之助にも理解出来た。
 しかしそれは、あの素行不良親父と度々会っていることを母親に知られたくないと言う程度の理解で、松之助の場合、その理由は専ら『バレたらお袋が怖いから』と言う実に分かりやすい精神構造をしているのだ。比較の対象にはならない。
「あーもうっ、今日は六条家行った後に昌子さんの出先調べるつもりやったのに、こんだけ時間くってもうた挙げ句収穫もなしや。おもんないわー」
 窓の外に広がる景色は既に茜色を失い、淡い紫に陰っている。真っ直ぐ帰っても診療所で長居し過ぎたと言い訳しなければならない程度のきわどい時間だ。
 本当は六条家を先に調べたら、案外章太辺りが昌子の外出先を知っているのではないかと言う甘い期待を抱いていたのだが、とんでもない。
 確認するどころかマトモに会話も出来なかった。
(知っとっても話してくれんのやろな。くそー、地道に目撃者探すしかないんかやっぱり)
 がっくり、と肩を落としたところで、不意に松之助は窓の向こうに奇妙な物を見つけた。
 あれは、もしかして……。
「ご免、陸市。ちょっと停めて!」
 叫んだ声に驚き、それでも陸市は急ブレーキを掛けることなくゆっくりと車を停めた。
 松之助は後部座席から外に飛び出すと、そのまま少し走って道端の壊れた箱の前に立つ。
「やっぱり、壊れた郵便柱函や。村井の兄ちゃんが言うとったんてここやったんか」
 目の前にある郵便柱函は、旧式の四角い木箱のものだった。
 何か堅いもので叩き壊されたらしく、半分以上そげ落ちて中身が丸見えになってしまっている。
 恐らく最近普及し始めた赤色丸形・鉄製の郵便柱函であったならこうまで無惨に破壊されることもなかったのだろうが、この様な閑散とした田舎道で新式の郵便柱函が立っている筈もない……診療所で会った年若の刑事が、昌子の死と郵便柱函の破壊事件とが重ねて起こり、管轄が同じなので派遣される刑事の数が足りない。とぼやいていたのを改めて思い出す松之助である。
「松之助様、その郵便柱函に何か」
 やがて追い付いた陸市が尋ねるのに、
「いや、ちょっとこないだ話に聞いとったから、もしかしたらて思てな」
 御一新前から続く長屋がぽつり、ぽつりと広がる光景は、暮れて行く陽の中でどこか寂寥の匂いすら漂わせている。
 こんな寂れた場所の郵便柱函を壊して何になるのだろうか、と首を傾げながらも車に戻ろうとした松之助は、その時不意に「あんたら」と声を掛けられて飛び上がった。
「あんたら、この郵便柱函調べに来たんか。そやろ」
 振り返ると、夕闇迫る薄暮の中に一人の浮浪者が立っていた。
 松之助と陸市とが自分に注意を向けたと知って、髭だらけの汚れた顔がにやりと笑んだ。
「わし、知っとるで。この郵便柱函壊した奴。教えたろか」
「……見たんか?」
 松之助様、と陸市の呼ぶ声が耳をかすめたが、松之助はそれに構わず、
「そら、教えてくれるもんやったら、教えて欲しいけど」
「……あんなええもんに乗って来とるんや、あんたらこれ持ってんのやろ」
 途端に浮浪者は脇に停めてある自働車を見やりながら、指で丸く形を作った。
 情報が欲しいのなら金をよこせ、と言いたいらしい。
「金取んの!?」
「わし、ほんまに見たんやで。犯人はびっくりする様な相手や。知りたないか」
 どうやら彼は、松之助達が郵便柱函を壊した犯人を探しに来た物好きな金満家だとでも思っているらしい。
 返答に困って振り返ると、代わって陸市が間に入ってくれた。
 何を話すつもりなのか、松之助から離れた場所まで浮浪者を引っ張って行き、ぼそぼそと言葉を交わしている。
 退屈になって郵便柱函を眺めていると、ややあって陸市だけが松之助のもとへと戻ってきた。
「松之助様。お待たせ致しました」
「交渉成功? って言うか別にこのこと調べに来た訳やないねんけど……」
「申し訳ありません。少し考えがあったので」
 珍しく意味深な言葉を口にする。おや、と思って見つめると、
「彼は、この郵便柱函を壊したのはどこかのお屋敷の下男だった、と言っています。どうやらこの付近にある二三の郵便柱函も壊されていたらしく、そちらの現場でも同様の下男らしき姿を浮浪者仲間が見ていたのだとか」
「お屋敷の下男」
 金満家の、と言うことだろうか。
 不意に六条家の名が浮かんで、松之助は首を横に振った。
 この付近にある屋敷は何も六条家ばかりではない。
「どこのお屋敷の奴か分かるんかな?」
「尋ねれば答えるかも知れませんが、なにぶんこちらの目的が郵便柱函ではないと説明しましたので、それ以上のことは聞いていないのです。勿論、報酬も支払っていません」
「そっか……」
 陸市の判断は正しい。
 確かにこれは偶然昌子の事件と同じ日に起こった『たちの悪い悪戯』に過ぎず、何も報酬を支払ってまで調べることではないのだ。
 それなのに、何かが引っかかった。何が引っかかるのか、松之助自身にも分からない。
 離れて立つ浮浪者がやたらと満足げにしているのを返り見ながら、それで、と松之助は陸市を見た。
「さっきの話、考えがあった言うんは?」
「情報を提供して貰える様、彼にもちかけてみたのです。仲間が居ると聞いたので」
「じ、情報?」
「彼らは縄張りをもって行動しています。頼めば意外な情報網を使って調べをつけてくれるのではないかと思いつきました」
 何を頼んだのかと問おうとして、松之助ははっとした。
「もしかして、昌子さんの外出先……!」
「新聞でも取り上げられた事件でしたので、昌子さんの顔写真は彼も目にしているそうです。うまくすれば彼女の辿った足どりが分かるかも知れません」
 静かに語る陸市の声に、松之助は呆然とし、次いで歓声を上げて飛びついた。
「でかした陸市っ! お前、やっぱりめっちゃ頭ええっ!」
「これで今日のところは安心してお帰り頂けますね。収穫がなかった訳ではない、と」
 車中での松之助の愚痴を案じてくれていたのだろう。
 優秀なお目付役を見上げると、松之助は満面の笑顔で大きく頷いたのだった。





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