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「かみさまの木」

郵便柱函の謎H
 事件から二日が経過した朝、幸里は執事その他の使用人に連れられて新居家別邸へと帰宅した。
 荷物は先日より少しずつまとめられており、事件解決まではせめて……との幸里の願いとは裏腹に、帰り支度はあっと言う間に終わってしまったのだった。
 まだ完全に回復してはいない幸里の為に、治療には森山医師が、別邸に通いで行うことになった。
 元々これを断られた故の診療所入所だったが、ろくでもない事件に巻き込んだのだから責任を取れ、と詠子夫人に意気込まれたのでは仕方ない。
 森山医師は幸里が完治するまでの回診を渋々承諾したが、それでも詠子夫人はまだ「だから嫌だったのですよ、あんな寂れた診療所などにお前をやるのは」とぶちぶち文句を言っていたので、ことこの件に関しては相当に腹を立てていたらしい。
 しかし事件の当事者である幸里が居場所を変えても事態に変化がある訳ではなく、案の定、刑事は別邸にまで現れた。
 例の淀見執事を敵に回して喧嘩になった古株の刑事・古屋と、その部下・村井……二人にとって幸いなことに、この訪問の時刻は丁度、詠子夫人が所用で家を出た後のことだった。
「失礼しますよ」
 玄関で淀見と相当揉めた後、何とか強引に幸里の部屋に現れた古屋は、だだっ広い和室の襖を開いて遠慮なく中に踏み込んだ。
 本宅の洋式建築とは違い、こちらの別邸は平屋の和風建築になっている為、とにかく敷地が広い。
 元々は大名屋敷であったものを買い取って改築したもので、広さばかりではなく美しい外観や内装も見事な造りになっていた。
 因みに幸里が療養の為に布団を敷いた座敷は十六畳で、襖を開いて向き合っても、幸里の姿はまだ遠い。
 古屋はなるべく幸里に近付こうとしたが、それを牽制する様に淀見が間に座り込んだ為、仕方なくその手前に正座した。
「まだ具合が悪いて聞きましたけど、気になることがあったもんで尋ねさして貰いました」
「新聞、見はりました?」
 と、村井が上司の言葉を補った。
「今朝のもんなんですけどね。このことについてお聞きしたかったんです」
 使用人に手渡された新聞が幸里のもとまで届けられる。
 わざわざ折り曲げて見やすくしてあるその記事に、幸里は僅かに目を眇めた。
 それは診療所の事件の続報だった。
 さほど大きな扱いではないが、中でも注意を引くのは昌子の死の直接の原因が頭部の殴打である、と記された部分である。
「警視庁の調では、三沢昌子は頭をぼかんと殴られた後、木に吊されとったそうなんですわ」
「それでは、昌子さんは」
「殺された、ちゅうことですな。頭打って死んだ後に、自分で首吊る訳あらへんし」
 幸里は思わず拳で口元を押さえた。
「儂らもこれを殺人事件として扱うことになりましてな、それで聞きにきたんですわ。まだ他に何や知っとることあらしまへんか」
「申し訳ありませんが、僕は本当にもう」
「古屋刑事。新居伯爵家のご子息を詰問するおつもりですか」
 やがて、淀見が腰を上げて二人の刑事を睨んだ。
「令状もないまま伯爵家の嫡男を詰問なさるとは。これは十分に不敬罪に値しますよ」
「不敬罪? 阿呆抜かせ。儂はなあ、相手が特権階級や言うても手加減はせえへん。怪しいもんは怪しい、調べたいことは調べる。それでのうて何でほんまのことが分かるんや。今のところ遺体の第一発見者であるそこの坊っちゃんが一番怪しいから、儂らも屋敷に来てまで念入りに話聞いとんやろ」
「ちょっ、古屋さん!」
 ぎょっとして村井が留めたが、淀見の頬は既にひきつり、室内には険悪な空気が流れてしまう。
 それでも古屋は少しも懲りずに淀見の視線を真っ向から受けているし、むしろ幸里の方が慌てる始末であった。
「あの、古屋さんのお言葉は尤もだと思います。勿論僕に分かることでしたら何でもお話しするつもりで居ます。けれど本当に、事件の日に話したことが全てなんです」


 ……この日は丁度学校の休日だったが、所用を済ませた松之助が新居家を訪れたのは、午後三時頃のことだった。
 戻ったばかりの幸里の所に押し掛けては悪いと言う判断もあったが、前日は別邸に戻る為の荷物の準備があるからと、まともに話も出来なかったのだ。
 今日こそはと思って久し振りに新居家別邸に訪れた筈が、その直前に刑事達が尋ねて来たのだと聞いて仰天してしまった。
「あつかましいなあ、ここまで来たんかいな……それでその古屋とか言う刑事、まださとっちゃんのこと疑っとんか?」
 この時既に刑事達は、淀見や使用人達と揉めに揉めた挙げ句「また来ますよって」などと言う捨て台詞を残して帰ってしまっている。
 身を乗り出して尋ねた松之助に、幸里は小さく肩をすくめると、
「みたいだね、どうも。でも仕方がないよ、立場的に言えば確かに僕は怪しいもの」
「さとっちゃんがそんなこと言うてたらあかんやろっ! あいつらほんっまに腹立つ、絶対に真犯人見つけてぎゃふんて言わせらな!」
「……でも松之助が来てくれて良かった。昨日はほとんど話せなかったから、多分来てくれるだろうなとは思っていたんだけどね。どうしても見せたいものがあったから」
 言われて、松之助は目を輝かせた。
 自分の方にも話したいことが山程あるが、話し出すと長くなるので後回しにするとして、
「何なん、診療所で何か見つけたんか?」
「これだよ」
 珍しく頬を紅潮させた幸里の手にある物を見て、松之助はあっと声を上げた。
 そこには例の洋式封筒が、何と二つも並んでいたのだ。





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