かみさまの木index > 23

「かみさまの木」

六条家の謎@
 冬が近付くにつれ、辺りの景色は次第に寒々と色を失って行く様だ。
 散り散りに葉を失った樹木が白々と細木を伸ばし、その根を支える土の色さえ薄く貧相な硬さをさらす中、そろそろ外套が必要な時期になってきたなと、松之助は溜息をつきながら授業の終わった校舎を後にした。

 休み明けの月曜、先週に引き続き散々な態度で授業を過ごした松之助は、朝から数えて都合三度も廊下に立たされると言う不名誉な状況に陥っていた。
 普通ならそれで懲りるところだが、今日に限って意識がなかなか授業に向かず、結局最後まで頭の中には埒のない考えが渦巻いていた。
 問題は、延々考えても形にならない昌子の死の真相なのである。
(さとっちゃん、絶対何か思いついとったよな。せやけどそれがはっきり形になるまでは喋るつもりないみたいやし……無理に聞き出すのもアレやからしゃーないねんけど)
 勘違いではなかった、と思う。
 あの時、これまでに診療所のハゼの木の下で見つかっていた二通の封筒が、全て新居伯爵の欧羅巴土産であると判明する直前に幸里が見せた表情。もう少し整理してから話したいのだと言っていたが、整理しなくても聞かせて欲しいと言うのが松之助の本音だった。
 恐らく自分が口にした何かの言葉がきっかけになっているのだろうが、それが分かるだけに余計に気になって仕方がない。
 結局その後は新居伯爵が誰に封筒を配ったのかを調べて欲しいと淀見執事に頼み込んで解散となったが、以降松之助は途切れることなく悩み続けているのである。
(あのガキが使用人にイジメられとうてさとっちゃんは言うた。せやけどおかしいやんか、それやったら何で男爵に相談せえへんのや)
 遠慮があるのかも知れませんね、と言う陸市の言葉が甦った。自分を引き取ってくれた恩人なので、逆に相談を持ちかけることが出来ないのではないか、と。
 陸市の言葉は尤もかも知れないが、松之助にはやはり理解出来ない。
 一言男爵に相談すればすぐに解決する問題ではないか。
 診療所に通って昌子にくどくど相談するより、余程てっとり早いと思うのだが……。
 陸市に話してみようか、と考えて首を振った。
 確か今日は、陸市が峯子に付き添ってタカレンの製薬工場に出掛ける日だ。
 予定では日が暮れるまで戻って来ない筈だった。
(やっぱり直接行って聞くしかないな。車ないけど走ったら何とか行けるか……)
 幸里の住む別邸に行くには家の近所を通り過ぎなければならない。そんな訳で一旦荷物を置いてから出ようと決めて、松之助は一目散に実家に戻った。
 奇妙な人影を見たのは、丁度タカレンの店のある通りに差し掛かった折のことである。
「あれ……あんたもしかして、こないだ郵便柱函の前で会うた人か?」
 ひどく居心地悪そうにしている背中に話しかけると、男はこちらが驚くほど身をすくませた。
 そのまま今にも逃げ出しそうな体勢になったが、声を掛けたのが松之助と知るなり、
「何や、おどかさんといてぇな。陸市さんはいてるか」
 一転して親しげに話しかけてきた。
「陸市やったら今日は工場の方に行っとって、帰りは夜なんで。何や用事か?」
「こないだ頼まれとった看護婦の足どり、形になったから持って来たんや」
 そう言って差し出された紙を、松之助は目を見開いて凝視した。
「もしかして地図? 昌子さんどこに行ってたか分かったんか!」
「直接陸市さんに渡す様、口すっぽうして言われてんのや。せやけど留守か……」
「……俺の話聞いてないやろお前……こんな所でいつから待っとったんか知らんけど」
 道修町付近には気の荒い連中がうろうろしている。
 商いの町だけあって荷車が走るわ職人が怒鳴るわで、慣れない人間など尻尾を巻いて逃げ出す程の盛況さなのである。
 老舗のタカレンの周りはまだ落ち着いている方だが、それでも逆に店から出てきた使用人に追い返される可能性が出てくる訳だから、一人で陸市の帰りを待つのは相当大変だったろう。
「陸市との約束も大切やろけど、長居するんも嫌やろ。俺が預かっとくて」
「いや、直接話しとかなあかんこともあるんや。陸市さんが帰るまで待たして貰う」
「せやけど時間かかるで。地図だけ預かっとくから、二時間程後に出直したらええやん。陸市は俺の部下やし文句は言わんわ」
 兄の様に思うお目付役を部下呼ばわりするのには何となく抵抗があったが、こうでも言わないと男が納得してくれない。
 やがて押し問答の末に、何とか地図の確認だけはさせて貰えることになった。
 渋々と言った様子で手渡された紙を広げると、思った通りそれは手描きの地図だった。一方向に沿って黒い点が幾つもついている。
 恐らくこれが昌子を目撃した者の示した『方角』なのだろう、と思いつつ目を凝らしていた松之助は、やがてはっと顔を強ばらせた。
「……何や、どないかしたか」
「あ、いや別に。ほなこれ返すから、もうちょいしてから来て。陸市に直接渡したってな」
「その時にはあんたから陸市さんと繋ぎつけてや、俺は店の中には入られへんのやし」
 松之助は頷いたが、実際のところほとんど話を聞いていなかったのに違いない。
 男を見送る暇も惜しんで店の裏手に廻ると、松之助はそのまま家に飛び込み、自分の部屋へと直行する。
 それからしばらく悩んだ末に、もう一度廊下に出て電話器の前に立った。
 タカレンでは商用に電話器を導入していたが、これは実家の方でも使用可能になっている。
 誰も居ない静かな廊下、周りに人目がないかを確認した後に国産の電式壁掛電話の受話器を外すと、松之助は慣れた手つきで右横にあるハンドルをぐるぐる回した。
 やがて出た交換嬢に相手先の番号を告げると、しばしの後に聞こえてきた声に耳を澄ませる。
「もしもし、親父? 急で悪いんやけど、今から時間空いてへんかな。用事があるねん」





page22page24

inserted by FC2 system