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「かみさまの木」

六条家の謎F
 ……どうやらひと部屋ズレていたらしい、と気付いたのは、こちらを見てあんぐりと口を開けた章太を無理に部屋に押し戻し、自分も中に入って扉を閉めた後のことである。
「な……んや、お前っ。何でここに居るんや!」
「しーーっっ! 騒ぐな、俺がここまでどんな思いで来た思てんのやっ」
 これまた随分と勝手な言いぐさだが、意外にも章太はしきりと焦る松之助の姿に何を感じたものか、騒ぐのをやめてじっとこちらを凝視してきた。
 燭台の明かりに照らされた章太の顔は、相変わらず傷だらけで、不機嫌そうに歪んでいる。
 松之助に突き飛ばされたことも忘れて部屋の真ん中に突っ立っているが、自分より小さい筈のその身体からはやけに堂々とした雰囲気が漂っていて、それはまるで突然の侵入者である松之助を威嚇している様でもあった。
「忍び込んで来たんか?」
 やがて、章太が言った。
 驚く程そっけない声だった。
「何でわざわざ来たんや」
「お前に話があってな。あ、こっちには話なんかない言うて癇癪起こすなよ、それ言われるんは覚悟の上や。お前、診療所の木の下に落ちてた手紙のこと知っとるか」
 はっと、章太が息を呑んだ。
「……何で、それ」
「やっぱり知っとるんか。あれ、お前が書いたん?」
「見たんか、中! それで神様の所になかったんか!?」
「は?」
 今度は松之助が驚く番だった。
 神様。何だそれは。
「神様てお前……あれは昌子さんに宛てたもんやろ?」
「違う! あれは神様の所に置いただけや。昌子が教えてくれた通りにしたんや。せやけど二回続けてなくなってしもとうから、封筒も返ってこんから、俺っ!」
「ちょい待ち。神様て昌子さんが言うたんか。二回続けてなくなっとるて、まさか他にも手紙書いとったんかお前、ようさん!?」
「……ほんまのことだけ書いた手紙渡したら、助けてくれるて。木の神様が助けてくれるて、昌子が教えてくれたんや。せやけど嘘やった。神様なんかおらへん、昌子も死んでしもた。木の神様で首吊って死んだ。神様なんかおる訳ない。昌子は嘘つきや!」
 待て、と留める声も消えてしまった。
 懸命に叫ぶこの子供が、何か大切なことを言っているのは分かる。
 分かるのだが、
(木の神様で首吊ったて……診療所の木のことよな。せやけど何や、神様に手紙渡したぁ?)
 そんな話は聞いたことがない。
 診療所にある木に神様が宿るだとか、その神様に手紙を渡すまじないがあるだとか。
 そんなことを昌子が話したと言うのだろうか。そうして、章太に手紙を置く様に指示したと?
『ほんまのことだけ書いた手紙』
 あ。
 不意に閃きがあった。背筋が寒くなるのと頭が冴えるのとが、ほとんど同時だった。
(まさか、昌子さん!)
「手紙のこと、誰にも言わんといてくれ。誰にも見せへんよな? 俺に返してや、全部!」
「……何で男爵に相談せえへんかったんや。お前、いじめられとるんやろ」
 ようやくそんな言葉だけが返せた。
 心臓がどきどきと激しく脈打ち、自分でも驚くほど、松之助の声は震えていた。
「それで、タスケテて書いたんやろ? そんなことする位やったら、男爵に言うて……」
「言われへん! 言うたらここに居れんようなるっ」
 泣きそうな声で章太は叫んだ。
 唇を噛んで俯くその姿は、今や勢いを失ってすっかり子供のそれに戻っている。
「毎月孤児院行くたびに言われとんや。男爵が引き取ってくれんかったら、俺もこんな風やったんやて。みんな生きるんに精一杯で、たまにメシも食えんと死ぬ奴がおるて、孤児院のおばちゃんとかおじちゃんが言うんや。俺は特別や、幸せやて。ほんまのこと言うたらまた孤児院に戻される、それやったら殴られる方がまだマシや」
「孤児院て、」
 感情をぶつける様な章太の声。
 松之助の意識はそちらに集中していて、だから気付かなかったのだ。

 背後の扉が開き、そこに新たな人影が立ったことに。

 あ、と章太が息を呑む。それでようやく松之助も振り返った。
 自分を見下ろす冷たい二つの双眸を見てぎょっとする。
「困るな、こんな時刻に勝手にお邪魔されたのでは。こんなことをしていると、ご両親の躾が悪いと思われてしまうよ、君?」
 これまでに見たこともない様な冷たい視線。
 そこに居たのは紛れもなく、六条男爵その人であった。





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