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「かみさまの木」

白い手紙の謎A
「何か用があればきちんと呼びますから」
 重ねて幸里が言うと、昌子は益々困惑した顔で俯いてしまう。
「私は幸里さんの担当ですから、ここを片付けんと」
「そうですよ、幸里さんが気ぃ使わはる必要なんかないんです。大体あの子がここに出入りすること自体おかしいんやから。怪我やったらよそで見て貰たらええのに、うちの先生も六条家の坊っちゃんや思て甘ぅして……誰かがびしっと言わんと、あの乱暴癖は治らんよ。あちこちで喧嘩しては怪我作って来てな」
「六条家の坊ちゃん?」
 年配の看護婦・和田文子の言葉に、どこかで聞いたことがある……と思って呟くと、幸里が淡く笑って松之助を手招いた。
「別に僕は気を使っている訳じゃないんです。松之助が来てくれたので、僕達二人だけにして貰えると嬉しいなと思って……我侭を言って申し訳ありませんが」
「そう言うことでしたら席外しますけど。ほんまに具合悪なったらすぐに呼んで下さいね」
 話しながらも手早く辺りを片付けた文子は、ようやく頷くと退室して行った。
 昌子も「後で花瓶の替えを持ってきます」とだけ言い残して後に続き、ぱたりと扉が閉じられる。
 ……ようやく静けさを取り戻した病室で、松之助は溜息をつきながら幸里を振り返った。
 自分同様、平均よりも小柄な幸里は、才色兼備の母親に似て人形の様に整った顔立ちをしている。
 まだ先程の騒動の疲れが残っているのか、いつも以上に青ざめたその顔色を見ていると、目の前にいるのが本物の白磁の人形の様な錯覚に陥りそうになった。
 同じ人間やのに、何で俺ばっかり元気なんやろうなあ、と松之助は思う。 この元気を分けてやれれば良いのに。
 そう思いながらじっと眺めていると、幸里は松之助の訪れを心底喜ぶ様に、もう一度ほんわりと笑うのだった。
「……ほんまにさとっちゃんは優しいなあ」
「え?」
「今の。ああ言わな昌子さん、自分からは席外されへんて思て気ぃきかせたんやろ?」
 言うと、幸里は首を傾げて笑みを深くする。
「松之助と二人になりたいって言うのは本音だよ。あ、部屋を片付ける時に椅子を退けてしまったんだけど、分かるかな。そこのカーテンの影だと思うんだけど」
「あ、あったで。なあさとっちゃん、さっきのガキの話やけど、何でわざわざこの部屋で暴れたんやろ。昌子さんも気にしとったし」
 幸里の指差す場所にあった椅子を引きずり出すと、寝台のすぐ横に置いて腰掛ける。
 そのまま猫の様に背を丸くして足をぶらぶらさせる松之助に、幸里は再び首を傾げて見せた。
「実は僕も良く分からないんだ。急にあの子が入って来て、物も言わずに暴れ出してね。僕の病室でと言うより、昌子さんに対して暴れていたみたいだったけど」
「……よう分からんやっちゃなあ。ここでは静かにせなあかんて俺でも知っとるのにっ」
 今度一回シメる、と憤る松之助に、幸里は思わずふき出してから口元を抑えた。
 松之助が慌てて立ち上がると咳を止めて大丈夫だと呟いたが、これで松之助の怒りはめらめらと強まる。
 折角良くなっているのに、先の騒動で幸里の喘息が悪化したら本気であのガキをシメる必要がある。
 心の奥で堅く決心すると、松之助は話題を変えるべくズボンのポケットから例の洋式封筒を取り出した。
「なあ、これどない思う、さとっちゃん。さっきハゼの木の下でひろてんけど」
「封筒? 誰かの手紙?」
 不思議そうに呟いて、幸里は洋式封筒を手に取った。
 中見てや、と言われて、躊躇しながらも便箋を取り出す。
「……何も書いてない」
「そうやねん。多分ハゼの木の真上辺りの病室から落ちて来たんや思うけど、宛名も差出名もあれへんし、どないしたらええんやろ」
「筆圧の跡もない。文字の書いてあった便箋だけを抜き取った訳でもないんだね」
 慎重に便箋を窓越しの陽光にかざすと、幸里はゆるく首を振った。
「これじゃ、持ち主に返しようがない」
「やろー? けったいなもんひろてしもたわ」
 松之助のもとに封筒が返ってくる。
 受け取るなりそれを学生服の上着のポケットに入れ、松之助はようやく気付いて上着を脱いだ。
「脱ぐん忘れとった。走ったから汗かいとる」
「……あのう、花瓶を持ってきました」
 じわじわ滲み始めた汗をシャツの袖で拭いていると、タイミングを見計らった様に昌子が新しい花瓶を手にして現れた。
 そっと部屋に入ってきて、棚の上に花瓶を置く。その仕草を見守っていた幸里が「有り難う」と言うと、こちらも慌ててお辞儀しながら、
「今、章太ちゃんと話して来ました。きちんと幸里さんに謝って貰う様にて言うときましたから……今日は申し訳ありませんでした」
「いいえ。本当に構わないで下さい。あ、それより昌子さん、この診療所で洋式の封筒を使う患者さんに心当たりはありませんか?」
「その封筒、俺がハゼの木の下でひろてんけど、宛名も差出名もないんや。おまけに中の便箋には何も書いてへんし」
 二人の言葉に、昌子はしばし考え込んでから首を振った。
「済みませんが、そうした患者さんには覚えがありません」
「昌子さんに分からへんのやったらお手上げかー。やっぱり患者さんやあらへんのかなあ」
「大事な用件が書いてある訳でもないし、必要なら持ち主が紛失届を出している筈だと思うのだけど……昌子さん、もしそうした届け出があったら、教えて下さい」
 幸里の言葉に、昌子は小さく頷く。
 それきり、松之助と幸里の間で封筒の話題が上がることはなかったのだった。




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