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「かみさまの木」

六条家の謎G
「何で……」
「動物達が興奮していて少しも落ち着いてくれないのだと使用人が報告に来てくれたものでね。客人には少しお待ち頂くことにして調べれば、どうも屋敷のあちこちにコソ泥が入り込んだ形跡がある。見に来てみれば案の定、と言う訳だ。君、泥棒の真似がしたいのなら、もっと上手に忍び込まなければ」
 ゆらり、と、声と共に動いた長身が扉を閉め、ついでに鍵まで閉めてから松之助に近付いて来た。
 以前に会った男爵と同じ人間とは思えない変貌振りである。
 その身体から漂う威圧感に眩暈を覚えたが、扉の前に立たれたのでは逃げ場がない。
 松之助は青くなった。
「しかし驚いたよ。まさか自分の父親を使ってまで私を引き留めるとはね。利口なのか馬鹿なのか分からない……どうせ君も私を脅しに来たのだろう、手紙を持って」
「え」
 松之助の脳裏では、未だ現状についての認識が追い付いていない。
 何故ここに男爵が居るのか、何故こんな態度で自分と向かい合っているのかさえ分からないのに、男爵はまるで全ての事情を承知しているとでも言いたげに話しかけてくるのだ。
「……親父はどないしたんや」
「客間で待って頂いている。彼にまで害を及ぼすつもりはないが、なに、全ては君次第だろうね。それで君はどこまで知っている?」
「し、知ってるて」
「章太に直接確認を取っていたと言うことは、もう手紙を見たのだろう。あの女は郵便柱函に手紙を投函していなかった。別の場所で投函したのかとも思ったが、未だに警視庁が踏み込んで来ないと言うことは、やはり手紙はあちらに届いていないのだ。それなら別の人間に渡したのではないかと、これは推理でも何でもない単純な理論の帰結だよ」
「……あの、女?」
 じり、じりと、章太を背に庇う様な形で後ずさった松之助は、男爵の言葉に思わず眉をひそめた。
 あの女。
 呟いた途端に反射的な速さで答えが浮かぶ。
(昌子さんや)
「昌子が、何か言うたんですか。お父様のこと、脅したてほんまですか」
 かぼそい声が聞こえて、誰だろうかと考えるまでもなく、それは章太のものだった。
 それにしてもこれがつい今しがたまで怒鳴っていた子供の声なのだろうか、こんな弱々しい遠慮がちな声を章太が出すのかと、松之助は驚いた。
(俺、阿呆や。やっぱり章太は被害者やった)
 声を聞いただけでも明らかだった。
 こんな怯えた声を出して、父親を避ける様に松之助の背に隠れて、やはり幸里の推理は正しかったのだ。
 少なくとも、本当の被害者が誰なのかは当たっていた。
「あんたが殺したんやな、男爵。昌子さん殺したんはあんたやな!?」
「そうだよ。たかだか孤児院上がりの卑しい女が、私に偉そうな口を叩くからだ。あの女はな、他人の癖に妙な正義感を振りかざして、章太に働いた乱暴を認めろと私に説教したのだよ! 自業自得ではないかね、あの最期は」
「あ……あんたが章太に乱暴しとったんか? 使用人が犯人やのうて、あんたがっ?」
 松之助の叫びに、六条男爵は初めていぶかしげな表情を浮かべた。
「何だそれは。ああ、そう言えばそんな噂を聞いたことはあったが……ははは、何だ、君はまだそんなことを言っていたのか。私の早とちりだったかな、君が私を脅しに来たと言うのは」
 だが、仕方がない。
 そう呟いて男爵は部屋の卓子の上にあった果物ナイフを手に取った。
「いずれにせよ、ここまで乗り込んで来たのだ。全てを知るのは時間の問題だろう……章太、お前はあっちの部屋に行っていなさい。勿論誰にも話すんじゃないよ、いいね?」
 章太は真っ青になって、そこに立ち尽くしていた。
 それから呆然と繰り返して言った。
「……昌子、殺したんですか。お父様が殺したんですか」
「あっちに行けと言ってるんだ! 耳がないのかお前はっ!?」
 不意の怒鳴り声に、松之助までもが震え上がった。
「良いか、大人しくしていたらお前にひどいことはしない。この坊やを何とかする必要があるのはお前のせいではないのだからね。いつもの様にお仕置きは必要だが、殺しはしないよ。だからあっちで待っていなさい」
 やがて言葉を繋ぐ様に言った男爵の声はいつもの穏やかさを取り戻していた。
 けれど章太は松之助の背から離れることも出来ずに震えている。これまでどんな目に遭ってきたのか、それを見ただけで分かる様な怯え方だった。
 振り返り、章太の怯えを知った松之助の中で、何かがぶつりと断ち切れる。

 冗談ではないと思った。
 タスケテとたったの四文字しか記されなかった手紙、次いで兎を殺していた章太の姿が思い浮かんで、その時感じたいわれのない不快感が胸一杯に広がって我慢出来なくなる。

 気が付けば、松之助は怒鳴る様に叫んでいた。

「あんたのこと、親父は誉めとった。孤児院の子供養子にした紳士や言うて、誉めとったんや! せやけどこれがほんまの姿なんか? このガキいじめて、外面だけは取り繕うて、昌子さんまで殺したんか。章太いじめんなて注意したから、それだけで殺してしもたんか。そんなん平気でするんか!?」
「ただのガキだろう。孤児院上がりの薄汚いガキだ。私が引き取ってやらなければ、今頃のたれ死にしていた様な子供を、今更私がどうしようと関係ない筈だ。章太は幸せなんだよ、私に拾われ、何不自由ない生活をして、幸福に生きている。それを充分理解しているからこそ私に逆らわないんじゃないか。そうだろう?」
 男爵の蛇の様な視線に再び震え上がった章太を庇い、松之助は更に声を張り上げた。
「ちゃう! あんたが脅しとるからや。毎月資金援助口実に孤児院行って、こいつに脅しかけとるから、それで誰にも言われへんのやないか。誰にも言われへんで、兎殺したり、友達に暴力振るて我慢しとったんやないか。あんたこいつの父親になったんやろ、何でそんな簡単なことも分からへんのじゃ!」
 男爵は、もう何も答えなかった。その代わり手にしたナイフを構えながら、松之助に向かって歩み寄ってくる。
 予想も付かない角度からナイフが突き出されたのは次の瞬間で、松之助はわっと叫びながらも何とかそれをかわした。
「逃げるんじゃない。余計に痛い思いをするよ」
「やっ、やかましいっ! 何が美談じゃ、お前なんか最低最悪の極悪人やーーっ」
 金切り声の罵声に男爵の顔色が僅かに変わる。
 その隙を付いて、松之助は章太の腕を掴んだまま扉に駆け寄った。
 震える手で鍵を開けると、今にもこちらにナイフを振りかざそうとしていた男爵をよける様にして廊下に転がり出る。
「待て、このガキ……!」
 今や本性を顕にした六条男爵の声が、松之助の背後に迫っていた。
 そのまま廊下を駆けて逃げようとした松之助は、途端にぐきっ足首をひねってその場にへたり込む。
(あ、あれ?)
 再び立ち上がろうとしたが痛みで力が入らず、絨毯に膝を付いたまま動けなくなってしまった。
 章太が呆然とした面もちで松之助を見下ろす中、
(嘘やろ? 何で挫いてんねん俺の足っ)







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