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「かみさまの木」

白い手紙の謎F
「それで、松之助は? 何も聞かれなかった?」
「んんや。実は玄関で刑事に捕まって色々聞かれた。最近ようここに通てるて言うたら、そらもう根ほり葉ほり」
 殺人事件、と言う生々しい言葉が、改めて松之助の胸に迫ってくる。
「せやけど何でさとっちゃんが第一発見者? ここの看護婦さんらしいな、亡くなった人」
「……昌子さんだよ」
 呟き、少しの間腕で視界を塞いでしまった幸里に、松之助はきょとんとなった。
「え……?」
「亡くなったのは、昌子さんなんだ。昨日の夜に診療所の庭で首を吊っていた」
 今度こそ、松之助は言葉を失った。
 診療所の看護婦のほとんどは知り合いだから、誰が亡くなっても悲しいし辛い。
 けれどその中でも、昌子とは特に親しくしていたのだ。
 その昌子が、死んだ?
 呆然とする松之助に、幸里は慰める様に手を伸ばすと、
「亡くなったのが誰なのかは、まだ外に漏れてないんだね。起こったばかりの事件だから、それも当然かも知れないけど」
「せ、せやけど何で昌子さんが」
 警視庁の人間と患者への対応で、診療所の関係者達は慌ただしく駆け回っている。
 外に居た筈の村井刑事もいつの間にか同僚に呼ばれて席を外していたが、それでも声を大きくするのはばかられて、松之助は小声で言った。
「やっぱり信じられへん。昨日まであんな元気やったのに」
「僕も……正直言って未だに信じられないよ」
 呟き、幸里は僅かに唇を噛んだ。
「昨日の夕方、珍しく昌子さんが外出許可を貰ってどこかに出掛けたことまでははっきりしているそうなんだけどね。どこに出掛けたのか、誰に会ったのかは一切分からないんだって、さっき刑事さんが話してくれた」
「出掛けた先で殺された言うことか? あ、でもここで首吊っとったって……」
 考えれば考える程混乱して、松之助は唸りながらその場にしゃがみ込んでしまった。
 その様子に幸里は顔だけを動かすと、
「ねえ松之助。その『殺された』と言うのは誰から聞いたの? やっぱり外では騒ぎになっているのかな。僕はただ、怪しい人影を見たと話しただけなのに」
「え。せやけどそいつが犯人なんやろ?」
 松之助の言葉に、幸里は「ううん」と答えると、寝台の端に背をもたせかける様にして身を起こし、事件の顛末を話し始めた。
 昨晩、ふと目覚めて見下ろした窓の向こうに、走り去る人影を見たこと。
 次いで木の枝にぶらさがる細身の影を見つけて不審に思ったこと。
「でも見間違いかも知れないと思って……もしそうなら騒ぎになるといけないし、先に確認しておくべきだと思って、外に出たんだ。そうしたら昌子さんが、首を……」
「か、確認て、そんな阿呆なこと! 犯人がまだその辺に潜んどったらどないするつもりやってんな!」
「……だからたまたま人影を見ただけで、それが昌子さんの死と関係あるのかは分からないんだよ。もしかしたらその人だって、偶然昌子さんを見つけて驚いて逃げ出したのかも知れないし。それに松之助、これを見て」
 言うと幸里は寝台の布団の裏側を探り、そこから薄い何かを取り出した。
 差し出された物をまじまじと見て、松之助は目を丸くする。
「昨日俺がひろた封筒やんか。あ、俺ここに落として行っとったんか!?」
「? そうじゃなくて、これは昨日の夜、昌子さんを見つけた時にハゼの木の下で拾ったものなんだ。中を開けてみて」
 言われるままに便箋を取り出すと、そこにはつたない文字でこう書かれてあった。

『た す け て』

「助けて……?」
「誰が置いたものなのかは分からない。最初はもしかしたら昌子さんがって思ったんだけど、よくよく考えてその可能性は薄いってことに気付いたんだ。昌子さんの字を見たことがないから断定は出来ないけど、これはもっと手慣れていない書き文字の様に見える。それに遺書ならこんな言葉を選ぶのはおかしいし、短すぎるからね。助けを求める手紙だとしても、こんな悠長に封筒に入れたり出来るものではないのだろうし」
 恐らく、封筒を見つけてからこちら、ずっと考えていたのだろう。
 すらすらと意見を述べる幸里に、松之助は呆気にとられて言葉もない。
「何か事情があって残されたものなら、もっと細々とした内容が記されている筈だと思うんだ。そこまで考えたんだけどやっぱり持ち主の見当はつかなくて……だけどこれ、昨日松之助が見つけた封筒と同じ種類のものじゃない? 便箋はともかく、見比べてみたら何か分かるんじゃないかと思ったんだ……けど、松之助。もしかして?」
「ご、ご免! さとっちゃんの推測通りや、あの封筒無くしてしもてんっ。昨日確かに上着に入れたのに、後で見たら消えとって。多分どっかで落としたんやろ思うねんけどっ」
 大反省、である。
 不審な封筒ではあったが、無くなったのならそれで良いや、と思って探そうともしなかった。
「ほんまご免、さとっちゃんっ」
「そうかあ。うん、でも仕方ないよ。昨日の段階ではただの落とし物だったんだし……あ、隠して松之助!」
 その時不意に、幸里が便箋を広げていた松之助の手を引っ張った。
 ただならぬ様子に視線を追って振り返ると、丁度扉の向こうを、警視庁の男が素通りして行くところである。
「ああ、良かった。それ、見つからない様にしてね。取り上げられちゃうから」
「取り上げられるて、まさかさとっちゃん、このこと警視庁に?」
 もちろん内緒にしてるよ、と囁かれて唖然とした。 遺体のあった場所付近から見つかったのなら、それは充分に遺留品の類に入るのではなかろうか。
 隠蔽と言う、尋常小学校の生徒にしては難しく穏やかでない言葉が脳裏に浮かんだ。
「ま、まずいんとちゃうか、こう言うん」
「だって昨日の封筒との関連性を知りたいでしょう、松之助も。これを渡してしまったら、多分もう僕たちの所には戻ってこないよ」
 真顔で凄いことを言う。
 松之助はあんぐりと口を開き、すぐに笑い出してしまった。





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