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「天涯比隣」
- <其の十二>
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- 化け物退治の終わった翌日、未だ空気の冷たい夜明けの時刻である。
ようやく仙人界に戻るめどのついた太公望と普賢真人は、桃園から何とか掘り起こされた黄巾力士の前に、仲良く並んで立っていた。
眼前には邑人達が、化け物退治の恩人(少なくとも彼らはそう思っている)の旅立ちを見送ろうと勢揃いしている。
「うーむ、天気は良さそうだのう。これなら上空まで苦労せずに行けそうだ」
「少なくとも、もう墜落はしないと思うよ」
「……そう願いたいものだがな」
思わず呟いた太公望に、やがて先頭に立っていた邑長がよろよろと二人に歩み寄って来た。そのまま頭を下げると、
「仙道さま。まことに有り難うございました。これで邑はまた昔の様に平和になります」
「妹の目も治して頂いて、俺、ご恩は一生忘れません」
邑長に次いで隣に居た里延も、太公望と普賢とに、心底感謝の意を込めて礼を言う。
その背後にはひっそりと立つ少女の姿があったが、彼女こそが、太公望達の薬で元気になり、視力さえ取り戻した英鈴本人だった。
すっかり健康になった彼女は、兄の言葉に深々と頭を下げると、陽の光のように明るい笑顔を浮かべて、
「本当に、有り難うございました」
「なに、礼など気にせんで良かったのだがのう」
かっかっかっ、と笑う太公望の両腕には、桃園で取れた実に美味そうな桃がちゃっかり十数個乗っている。
勿論催促した訳ではないのだが、ひたすら桃ばかり食べていた太公望達の様子を見て、里延が直接邑長に頼み込み、用意したもぎたての桃の実であった。
かぐわしい匂いがふわふわと辺りに漂っていて、それだけで太公望は幸せ満面だ。
「それにしても、こんな早くから皆で見送りに来てくれて、何だか申し訳ないね」
「そーそー、何も揃って来んでも良かったのだぞ」
「……そんな。仙道さまをお見送りするのに、これでも足りない位ですよ。それに」
言葉を呑み込み、里延は俯いた。
「皆が揃っている訳でもありませんし」
言われて気付く。見送りの邑人達の中には、宋徳の姿が欠けているのだ。
「そう言えば、宋徳はどうなったのだ?」
「は、はあ……まったくあの男については、まことに申し訳のないことで。幾ら親友を化け物に殺された恨みの為とは言え、まさか、同じ邑の仲間である里延の命を狙う程に心を歪ませていたとは……とりあえず集会場の天幕に監禁しておりますが、今後心根を入れ替えることがない様であれば、この邑から追い出すと言いつけてありますので」
答える邑長に、里延は苦い表情で横を向いている。
彼らの相互理解への道は険しそうだが、少なくとも、こればかりは太公望達にもどう仕様もない。
「色々と誤解も重なっておった様だしのう、まあアフターケアの出来る立場ではないので何とも言えぬが、おぬしらも頑張るのだぞ」
「話せばきっと分かり合えると思うし」
「おぬしはそればっかだのう……」
がくりと肩を落とす太公望。普賢は笑って、もう一度きり、里延と英鈴に視線を向けた。
「君達の家は日当たりが良いから、きっとすぐにあの花も息を吹き返すよ。寂しがりやな花だから可愛がってあげてね」
「分かりました、仙道さま」
「はい! ……あれ?」
囁くような普賢の言葉に元気良く頷いてから、きょとんと首を傾げる里延と、微笑みを浮かべる英鈴。その間にも、普賢真人と太公望は、手早く黄巾力士に乗り込んでいる。
やがてばひゅーん、と音と土煙をたてて出発した宝貝ロボに、人々は感謝の表情で両手を合わせながら空を見上げた。
しかしその中でただ一人、里延だけがしつこく首を傾げながら、
「何で仙道さま、花のことを知ってたんだろう……?」
不思議そうに呟いていたのだが。
その様子を眺めながら、英鈴は一切を承知している大人びた顔で、くすくすと笑っていた。
*****
あの時。
化け物退治を終えて皆で邑に戻る直前、里延は滝の側で今にも枯れようとしている小さな花を見つけた。
何となく見覚えがある様な気がして近付くと、それは以前、滝の裏側にある空洞で見つけて、植え替えてやった花だった。
あれから随分たつのにまだ咲いていたのだ。
そう感心すると共に、弱々しくとも、未だ生きようとするその姿に心を打たれて、気が付けば里延はその花を手にしていた。
このままでは枯れてしまうかも知れない。
そう思ったら、いてもたっても居られず邑の自分の天幕まで連れ帰ってしまった。
生々しい化け物の断末魔を見た為だろうか、それとも後で知った、自分を火矢で狙ったと言う宋徳の話がショックだったのか。
心の中にぽっかり空いた穴が、常になく里延を寂しい気持ちにさせ、だからこそ花の消えゆく命を黙って見ていられなくなったのだろう。
天幕に戻った里延は、早速花を鉢に植え替えると適量の水を与え、天幕の外の日当たりの良い方角に置いてやった。
化け物退治の話を聞いて悲しんでいた妹も、この花を見るとすぐに喜び、世話を始めたのだった……。
「のう、普賢」
ふよんふよん。と空を飛ぶ巨大な移動宝貝ロボ・黄巾力士の上にしがみついていた太公望は、顔をなぶる風の中、次第に空が明るんでくるのを眺めながら呟いた。
「おぬし、里延の目につくように、わざと滝の側に花を植えておいたのだの」
隣に座る普賢は、答えない。ただ黙って明け行く空の様子を見ている。
「ま、花を見てどうするかは里延次第であったのだろうが」
「……正直、ちょっと嬉しかったよ。里延くんが花を持ち帰ってくれて」
植物の妖精の原型である花。里延が持ち帰った『枯れかけた花』の正体である。
妖精は今やただの花として、里延の天幕にいるのだ。
「ちょっと無責任かも知れないけど、もしもの時には元始天尊さまにお願いして、あの花を仙人界に連れて来れば良いしね」
「天尊さま、のう」
短く言うと、太公望は目を細めた。
「そのことなのだがの、普賢。おぬし今回のこと、実は最初から知っていたのではないか?」
「え」
「おかしいと思うとったのだ。急に黄巾がバランスを崩して人間界に墜落したり、その場所で偶然妖精が現れたりして、どうも話が出来過ぎておったでのう。その大極符印はレーダーの役割も持っておる。おぬし、レーダーに偶然映っていたあの妖精の存在に気付き、宝貝のお試し利用を言い訳にして人間界に降りて来たのだろう」
「やっぱり望ちゃんはだませないね。その通りだよ」
あっさり答える普賢。そのまま微笑んで、黄巾にしがみつく太公望を振り返った。
「妖精の存在のことを知った時、僕は対応に迷って元始天尊さまに相談した。そうしたら、このところ修行をサボってばかり居る望ちゃんを連れて、人間界まで様子を見に行く様にと言われて……僕なりに考えたんだけど、やっぱり望ちゃんにしゃんとして欲しいと思ったから、その案に乗ったんだよ」
「……別にサボっておった訳ではないのだがのう」
思わず言い訳めいた独白をすると、太公望はよっこいしょと姿勢を正した。
「ま、人間界に降りれたのと、桃を大量に貰えたのだけは役得だったから、別に構わんが」
そのまま懐からぽんぽん桃を出す太公望に、普賢は相変わらず、静かに微笑んでいる。
サボっておった訳ではない、と太公望は言ったが、本当はそんなこと、普賢も元始天尊も知っているのだ。
太公望は今、ゆっくりと力を蓄えている。きたるべき大きな戦いに向けて、そして自分の中に存在する大切な何かを守る為に、身体を休めているだけなのだと。
「望ちゃん、あんまり一度に食べるとお腹をこわすよ」
「何を言うておる普賢、このまま持って帰ったら皆に奪われる可能性があるでのう、それくらいならわしが黄巾の上で全部食べてしもうた方が良いわいっ」
「………………」
空は既に夜明けの太陽の色に染められ、地上には穏やかな目覚めの時が近付いている。
光を浴びて茜色に揺れる雲を越え、仙人界へと向かう黄巾力士は、その身体に二人を乗せ、ふよふよと空を昇り続けて行くのだった。
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