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「天涯比隣」
- <其の六>
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- 結局は本格的に化け物退治に乗り出す羽目になった太公望と普賢真人であったが、化け物は結局、その日の朝方まで一度も姿を現すことなく終わった。
仕方なくそのまま里延の天幕で一晩を過ごすことになり、とりあえずは化け物対策として、里延とその妹に今回の事件のあらましを聞いていたのだが……それで分かったことが二、三ある。
一つは、化け物は非常にド派手に登場し、自らの存在を誇示する性質であること。
もう一つが、どうやら里延の妹・英鈴だけが、この化け物に好意的であること、だった。
「まあ里延の妹に関しては、根拠がなさそうなので余り気にせぬこととして。化け物が何でこの邑ばかりを襲うのか、何でいきなり出現したのかと考えると、どうも例の斗朴とか言う男が森で襲われた件が臭いのだがのう」
天幕の外でごろごろと臼を引きながら、太公望はそう、短く推察してみた。
時刻は早朝、天幕の主である里延は早くから仕事に出掛けており、天幕の中では病床にある彼の妹の英鈴だけが一人残されている。
空は澄み切った青。雲さえ薄いその色は睡眠不足の身にはいささか眩しく感じられ、思わず目を細めたりなんかしながらも、太公望は臼の中の木の実や草を粉末にする作業を先程から延々続けている。
「一番ありがちなセンは、その斗朴とやらが森の中に居た植物の妖精・妖薛を何かの拍子に怒らせ、この邑までとばっちりをくう羽目になった、と言うセンだが……普賢、調合の量はこれで良いのかのう」
「うん。あともう少し砕いた方が良いよ。……それじゃ、最初に死んだ里延くんの羊については、斗朴さんが森で襲われる前の事件だから、無関係と考えて良いんだね?」
「ううむ……あながちそうとばかりも言えんがのう。昨日里延から聞いた羊達の放牧場所で、毒草の調査が出来れば一番てっとり早いのだが」
「留守してる内に妖精が邑を襲ったらまずいものね」
「それだ」
はああーと溜息をつくと、太公望はあぐらをかいたその真ん中にある臼から手を離し、もたれ掛かっていた天幕の壁布から、ずるずると身体を滑らせた。
昨夜、化け物への説得を試みることにした太公望達であったが、とにかくその為にはまず植物の妖精・妖薛と接触せねばならず、そうなるとごく自然の成りゆきで邑から離れることが出来なくなってしまった。
何せ妖精・妖薛はいつ邑に現れるか知れないし、そんな時に留守していたのでは話にならない。
参ったのう。と空を見上げる太公望の姿にしばし無言でいたものの、やがて普賢が、遠慮がちにそっと言葉を洩らした。
「説得するって言う案は僕が勝手に言ったことだけど、望ちゃんが賛成してくれて、本当に良かったと思ってるんだ」
「……どーせおぬしのことだ。最初から退治などせず、説得するつもりであったのだろう」
「あれ? 分かった?」
「分からいでか。争いが嫌いだーっつーてはばからんおぬしが、自分から進んで化け物退治なんぞ引き受けたのだ。そりゃ裏があると思うわい」
「だけど、話し合えば必ずお互いを理解出来るし、無益な争いだってなくなると思うから」
「そうそうそれ! しかしのう、普賢。相手は既に邑人を一人死に至らしめておる。説得して通る相手ならば良いが、今回ばかりは覚悟が必要やも知れぬぞ」
何より興奮した邑人の中には、和解などでは納得しない連中もいるだろう。そうしてそれを咎める権利は太公望や普賢真人にはないのだ。
「にしてもそんな妖精がこの付近に居るとは知らんかったのう。スカウト漏れっつーことは、どうも仙気の見つけにくい場所におったのだろうが」
「そうだね。居場所さえ分かれば、話は早いんだろうけど……」
呟くと、普賢真人は手元の巨大な球体宝貝・大極符印を一度きり眺めて、再び太公望を振り返った。
「レーダーを見ても、今は何も映らない。つまりその植物の妖精(推定)は、普段は力を潜め、ただの植物として過ごしている……或いは非常にレーダーに感知されにくい場所に存在している、と言う事だろうね。一度でも姿を現せば、それで大体の場所を探れるのに」
「大体の場所で良いのか?」
「もしその妖精が植物であるなら、後は推測出来るからね。妖精は千年以上の月日を過ごした存在、大きな木の類ならそれらしく年輪を経たものを探せば良いんだろうし、草花の小さなものなら……」
「しかし、そんな小さい植物は千年ももたぬぞ。わしは木だと思うのだが」
「……でも、あり得ない話じゃないよ。環境が整っていれば、そうしたことも起こり得るから」
「そんなもんかいのう」
こうした類の話はどちらかと言うと普賢真人の得意分野である。その彼があり得ると言うのだから、実際にあり得るのだろう。
「いずれにせよ、後は化け物の登場を待つばかり、か……」
欠伸混じりに呟き、太公望が伸びをした、その時だった。
不意に強い気配を感じて、次の瞬間、太公望は横になっていた草の上から跳ね起きた。
見れば普賢真人も、じっと両手に抱えた大極符印を見つめている。
「望ちゃん」
「うむ。出たようだの」
レーダーに映る強い反応。それは明らかに強大な仙気・生体エネルギーを意味していた。
そうして二人の予想を裏付けるかのごとく、遠くから尋常でない邑人達の悲鳴が聞こえてくる。
タイミングが良すぎるわい、と呻いて素早くその場に立ち上がると、二人はレーダーと悲鳴の聞こえた方角をもとに、慌てて『化け物』が出たと思われる場所へ走り出した。
……里延の住む場所とは丁度反対になる、森の外れ近くにある天幕の集まり。
そちらに向かった太公望と普賢真人は、目的地に近付くにつれ、逆向きに逃げてくる邑人の数が次第に増え出していることに気付いた。
誰もが我先にと走り去り、二人の仙道の姿に気付いた者さえない。
そうして悲鳴と怒号の起こる中、昼間だと言うのにやたらと陰った辺りの様子に顔を上げた二人は、途端に頭上を覆うそれを認めてはっとした。
太陽の光を遮る様に天高くのびあがるもの。緑色のうねうねの、花までつけた不気味な巨大植物が、高く二人を見下ろしていたのだ。
「こ、これが化け物っ!? 気持ちわるーーっ」
「早速大暴れしてるみたいだね。説得してみよう」
辺りの天幕は既に滅茶苦茶だった。化け物は巨大な茎を中心(身体)としてあちこちから突き出す根を振り回し、既に人の姿のなくなった天幕や羊達の檻、小さな菜園を破壊し続けているのだ。
恐らくこの化け物が行ったことだろう、地面をえぐる様にして、森から邑へと続く通り道上の田畑が潰れている。あれではもはや使いものになるまい。
普賢真人は、辺りの様子を確認する太公望より先んじて、自分の背丈の数十倍はあるその巨大植物に近付いた。
まだうねうねと根の部分を動かしている化け物は、どうやら頭の様な役割を果たすらしいてっぺん部分をぐりんと動かすと、突如自分の前に現れた普賢を睨む様な体勢になる(顔の位置が分からないので、これは想像だったのだが)。
「ねえ、君。どうしてこんな真似をするの? この邑の人達は皆困ってる。もし理由があるのなら、僕達に話してくれないかな」
両手を広げて宝貝・大極符印を空中に浮かせた普賢は、誰の目から見ても思いっ切り無防備だった。
無論化け物もそう考えたのだろう、普賢の言葉をあっさり無視すると、突如自らの根をムチの様な鋭い動きで普賢の頭めがけて振り下ろす。
「げげっっ」
咄嗟に太公望が目をむいたが、これに対し、普賢は既に大極符印で斥力を発生させていた。単純な化け物のムチ攻撃はあっさりと斥力に弾かれ、もとの位置に戻ってしまう。
「結構乱暴だな……これは、説得には応じないつもりだと判断して良いのかな?」
化け物は明らかにたじろいだようだった。自分の攻撃がかわされ、ましてや弾かれることなど、これまで一度もなかったのだろう。
しかし、たじろいだとなると、確かにこの化け物には『感情』もしくは『知性』が存在するのだ。
(それなら、説得は不可能じゃない)
考え、普賢真人はねばり強く化け物に言葉を掛ける。
「君を力で制するのは簡単だけど、強引にことをおさめたくはないんだ。出来れば君が何を考え、何の為にこんなことをしているのかを知りたい。理由がないなら、君は人間界に居て良い存在じゃないから、すぐにも仙人界に連れて行くよ」
「何やら緊張感のない説得だのう」
本当なら、命のやりとりの絡む緊迫した状況である筈なのだが……横で見ていた太公望が思わずと言った風に呟くと、今度はその声に反応して、化け物がぎょろりと動いた。
どうやら普賢以外の人間がこの場に存在することに、この時初めて気付いたらしい。
「こ、こっちを見とらんか? あやつ」
たらりと冷や汗を流す太公望。すると案の定、化け物は素早いムチ攻撃を太公望に繰り出してきた。
太公望は素早くその場から逃れたが、その後には大地にぱっくり開いた生々しいえぐれ傷が残されている。
つい今しがたまで自分の居た筈のその場所に、穿たれた傷を目の当たりにして、太公望はぞぞーっと青ざめた。
「わしの逃げ足が早いから良かったものの、まともに当たっとったら死んどるぞ」
こんな攻撃をあちこちに仕掛けるのでは、邑人達がパニックを起こすのも無理はない。
なんちゅー攻撃をするんじゃい、と呻いて、太公望は素早く近くの樹木の影に引っ込んだ。
こんなもので化け物の攻撃を避けられるとは思わないが、何もないよりゃマシである。
「普賢っ。これはちょーど宝貝を試すチャンスじゃ。頑張って何とかせいっ」
「……だけど望ちゃん、当初の予定では説得する筈だったじゃない?」
「あーそりゃおぬしに任す。人には向き不向きがあるでのう、この場合はおぬしの方があきらかーに説得に向いておるわ」
確かに、手ぶらの太公望がこの化け物に向かって行くのはかなり危険である。
宝貝を持たぬ道士が行えるのは、薬を作って病人の病を癒したり、仙桃を使って水を酒に変えたりする位のこと。後は各々の才能によって変わってくるが、いずれにせよ強力な力を持つ化け物に対して手ぶらで立ち向かうなどと言うことは、無茶以外のなにものでもない。
勿論普賢とてそれを充分理解している。太公望の言葉に頷くと、普賢は再び、化け物への説得を試みた。
「もう一度言うよ? 君の行動の理由を聞かせて。答えない、もしくはまだ邑に被害を加えるつもりなら、僕も対抗手段を取らせて貰う」
強い普賢の瞳に、再び植物がたじろぐ。
しかし勝算があるのか、それとも言葉を理解していないのか、化け物は同じムチ攻撃を繰り出してきた。
「……仕方ないな……」
溜息混じりに呟いて、大極符印を手早く操る普賢。やがて球体宝貝にぱりぱりと電光が走り、様々な部品が光を受けてそれに反応し始めた。
「とりあえず、そのムチ攻撃を止めてもらうよ」
「仙道さま!」
今にも普賢が攻撃に転じようとした瞬間。聞き慣れた幼い声が二人の背後から聞こえ、驚いて振り返った太公望と普賢の目に、こちらに駆け寄ってくる里延の姿が映った。
「ば、馬鹿もんっ。こっちに来るでない!」
隠れている樹木の陰から咄嗟に叫んだ太公望に、けれど里延は、制止の声など完璧に無視してこちらに向かって駆けてくる。
このままではまずい……冷静な顔つきで更に普賢が大極符印を操作したその時、化け物は、およそ誰もが予想だにしなかった行動に出た。
じゅ、しゃあああああ……。
不気味なうめき声にも似た音を上げると、その場からずるりと後退してしまったのだ。
「はれ?」
太公望が間抜けな声を出した途端に、ようやく二人のもとまでたどり着いた里延が、荒い息をつきながらきっと鋭く化け物を見上げた。
こちらはヤル気満々である。
「出たな、化け物! 今度こそ退治してやるぞ!」
昨日妹の前で「それじゃあ化け物を説得しようねー」と言う方向でまとめられた話のことなどすっかり忘れているらしい。
手には青銅の槍、恐らく昨夜邑長の天幕から持ち出したのと同じ物なのだろうが、それだけを武器に化け物に向き直った。
「さあ来い化け物! 今日は仙道さまも一緒なんだ、お前なんかに負けないぞ!」
だはーっとその場に崩折れそうになる太公望。どこまでもストレートに無謀な少年である。
しかも里延は言葉だけではあきたらず、今度は思いきり振りかざした槍を、勢い付けて化け物に投げつけたりなんかしてしまった。
「あああっいかん、あんまり無茶な攻撃をすると……!」
青くなる太公望に、しかしこの槍攻撃は予想以上の効果をもたらした。
何と化け物はあっさりその槍を茎に受けて「ぎゃおおおーっす」と、どこかの怪獣の様な悲鳴を上げたのである。
「うそォ!?」
「槍を受けて弱っている……?」
まさか、と内心呻く二人。あれだけの攻撃力を持つ化け物……妖精が、こんな簡単な攻撃にあっさりやられるものだろうか。
って言うより、
「何かこの展開では、わしらの出番がなくなりそうな予感がするのう」
「仙道さま! 今です、やっつけましょう!」
「あ、逃げる」
意気込んで里延が叫んだ途端、その隙をぬって化け物がわさわさと逃げ出した。
とにかく早い。無数の根を使って地面を走ると、そのまま登場時に壊した田畑を通って森に駆け込んで行ってしまった。
外見からは想像もつかない程のその見事な逃げっぷりに、思わず呆然と見送ってしまった一同も、すぐに我に返って顔を見合わせた。
「逃げられちゃったね」
「せ、仙道さま! 落ち着いている場合じゃないです、追いかけましょう!」
「いや待て。おぬしは邑に残っておるのだ、あやつはわしらだけで追う」
「だけどっ」
「それより、外に放り出して来た臼を天幕の中に運んでおいてはくれんかのう。ついでがあれば、中身を丸めて丸薬にしといてくれると助かるのだが」
「……へ?」
「望ちゃんが作った薬だよ。もしかしたら英鈴ちゃんの目と体調不良に効くかも知れないから、丸薬にするなら良く砕いて混ぜ合わせてからね」
咄嗟の話に思わず里延が言葉を失う中、太公望と普賢真人は、化け物が去った跡を目指して素早く駆け出したのであった。
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