天涯比隣index > 8

「天涯比隣」

<其の七>
 化け物の通った爪痕はえらくド派手に残されていた為、跡をつけるのはそう難しいことではなかった。
 予想通り、化け物の退路は真っ直ぐ森に続き、大破されてあちこち折れた木々の合間をぬって進むと、やがてはその破壊現場が唐突に途切れる。
 ささくれだった折れ株が円形状に作られた人工の広場、その周囲には傷一つない森が広がるばかりなので、恐らくここから先は姿を小さくして移動したのだろう。

「この先はほとんど跡を残してないみたいだね」

「うむ。おぬしの言った通り、ここからは大体の位置を推測して進むしかあるまいの」

 木々の密集した森はうっそうと暗く、太陽の光さえ遮断されている為か、辺りには強い土と植物の香りとが充満している。
 ほてほてほて、と僅かに湿った土の上を進んでいると、やがて遠くから、何かの澄んだ音が聞こえてきた。

「水音のようだのう」

「音からして、近くに滝があるみたいだね。行ってみよう」

 かすかだった水音も、近付くと「どぼどぼどぼ」と言う物凄い急流音に変化して行く。普賢の予測通り、確かに近場に滝があるらしい。
 ずんずん進んだ二人はやがて、さっと木々のまといから逃れた場所にまろび出、そこに岩場のつらなりと、その奥の崖から流れ落ちる滝水とを視界におさめて頷いた。

「ほう。やはり滝か」

「あの奥が怪しいね。途中で千年物の樹林を見掛けることはなかったし、もしあの化け物が小植物なら、マイナスイオンの発生するこうした場所で成長したんだと仮定出来るし」

「マ、マイナスイオン?」

「うん。滝の飛沫の周りに発生する筈なんだ。もともとマイナスイオンは物質を……」

「待て、普賢! ただでさえ頁を食いそうだと言うのに、中盤にきてからいきなりややこしい説明を入れるでない。要約してくれんと巻物がトイレットペーパーレベルの厚さになってしまうぞ」

(※ 作品発表時、これは巻物の形態をした同人誌だったのです)

 とりあえず懇願にも似た太公望の言葉をすぐに受け入れてくれた普賢真人は、改めて簡単な説明を口にした。

「こうした滝の奥・裏側では、色々な要因が重なった結果、小植物でも枯れたり腐ったりせず長持ちすることがあるんだ。だからあの植物の妖精も、ここの滝の奥で千年を過ごした可能性が高い、と言うことだね」

「なんかザックリした説明だが……成程! それなら話は早い、滝の裏側に入り込んで直接その植物を探せば良いのだ」

 ぽんと両手を打つと、太公望は早速喜び勇んで滝の裏側に向かった。
 歩きにくい岩場を軽やかにぽんぽん飛びながら移動すると、後に続いた普賢真人と並んで滝裏に続く横道を探し出す。
 そうして流れ落ちる滝の水壁の向こうへと飛び移ると、奥は当初の予想通り、ぽっかり空いた洞穴になっていた。
 裏側の細道を通って滝の内側に入り込んだものの、流れる滝水の激しさに、二人はすっかりびしょぬれである。
 洞穴の中はひんやりとしており、濡れた身には結構キツイ。
 思わずくしゃみしながらその場にしゃがみ込んだ太公望に、普賢は手にしていた大極符印を空に浮かせると、ほわんと球体からほのかな暖光を発生させた。
 放たれた微光が辺りを照らし出し、更にちょっとだけヒーター効果もあるすぐれ物である。

「おお、これは助かるのう」

 ……しかし。
 微光に助けられて辺りを懸命に探した二人は、やがてしばらくもしない内に、目的のものが洞穴にはないことを悟った。僅かな雑草は存在するものの、肝心のそれらしき植物が見当たらないのである。

「ううむ。おかしいのう、あやつの気配もない」

「……よそに移動したのかな?」

「いや、度々同じ邑を襲った上、毎度の様にどこかに戻って行くと言うことは、あやつ、決まった場所に逃げ込んでおるのだ。移動するならもっと大胆に離れた場所に移るであろうから、自らの意思での移動はあり得ぬと言うことだの。だがしかし、見よ、普賢」

 言われて太公望の手元を覗き込むと、そこには不自然に土を掘り返した後があった。

「恐らく誰かがここで何かを掘り起こしたのだ。妖精自ら移動したと言うのなら、二度三度と同じ事を繰り返す筈だから、やはりこれは、誰かがあの妖精を別の場所に移してやった跡と見て止さそうだの」

「誰かが移動を」

 呟いて、普賢は首を傾げた。

「でも、一体誰が」

「……そのことなのだがのう普賢。わしには一つ気に掛かっておることがある」

「?」

「さっき植物の妖精が逃げ出した時のことを覚えておるな。あの時、あやつは妙に不自然に逃げ出しおった。普賢の宝貝の反撃を受けても意地になって対抗してきおったものが、里延が現れて槍を投げた途端にあっさりとな」

「うん、それは僕も気になってた。確かにあれは不自然だったね」

「わしは、あの行動にこそ、例の妖精の意図が隠されておるのではないかと思うのだ」

 静かに言い切った太公望に、普賢は目を細めて、浮かんでいた大極符印を引き寄せた。

「どう言うこと?」

「あの妖精、やはり里延に深く関係のある存在であるようだの。だから里延の行動にいちいち反応しておったのだ。里延と妖精とが同じ場所に居るのを見たのは今日が初めてだが、恐らく以前にも、同じ様なことが起こっておったのだろう」

「邑長の言っていた、唯一邑で化け物を追い返すことが出来た少年、と言うのがそれだね」

「うむ。これは一旦邑に戻って、里延から更なる詳細を聞いた方が良さそうだのう」

 独白の様にそう洩らした太公望は、一息ついてその場に立ち上がった。普賢も静かに頷くとこれに倣う。
 二人の足下には、意味ありげな小さな土山だけが、ぽつんと残されていた。




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