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「弥彦編」

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「要するに、あれって一種の嫉妬だった訳よね、弥彦に対する」
 ……翌朝。
 結局昨夜は時刻が時刻なのでと、一同揃って水澤道場にお邪魔した薫達は、日の出と共に帰宅の途を辿っていた。
 太陽の光はまだ弱々しく、吸い込んだ朝の空気は頭の中をすっきりさせる程に澄み切っている。
「それで弥彦に絡んで、わざと挑発した」
「そうだったみてぇだな」
 薫の言葉に、ぽつりと呟きを返したのは弥彦だ。
 その後ろから歩いてくる剣心は、弥彦の様子に苦笑している。
「でも、凄いタイミングだったわよね。剣心が引き返して水澤先生を呼んで来てくれなかったら、あれだけうまく話がまとまったかどうか」
 そうなのだ。あの時ふらりと姿を消した剣心は、実は屋敷の方に駆け込み、そこで騒ぎに気付きながらも道場の中に入るきっかけを困惑しながら探していた禄助を呼びに行っていたのだった。
 ちょうど良い間で禄助が道場に入って来たのは、剣心の配慮のお陰だった訳である。
 それからもう一つ。
 水澤親子の和解が行われ、弥彦と誠一の果たし合いも何とか無事に終わった時、誠一はぶっきらぼうながらも弥彦に謝罪した。
 それから薫にことの次第を説明してくれたのだ。弥彦が何故果たし合いを受けたのか、自分がどんな言葉で弥彦を挑発したのかを。
 息子の告白を間近で聞いた禄助は、苦笑しながら薫に言った。良い弟子を持たれましたな、と……はにかんで頷いたのは、実は弥彦がすぐ側にいないことを確認してからだったのだけれど。
 本当に素直じゃない。誤解されてもどんな目に遭っても絶対に態度には示さない癖に、裏ではこんな真似をするんだから本当に困る。本当に、
「意地っ張りの馬鹿弟子なんだから」
「ああっ!? 今、何つったんだよ薫!」
「ご免ご免、聞こえちゃった? 思わず本音がぽろーっと出ちゃったのよね。あんたが私の悪口聞いて、それで逆上して喧嘩になったって聞いたもんだから」
 ほっほーっと笑いながら言う薫に、弥彦は再び顔を真っ赤にさせ、ぶるぶると震えながら立ち止まった。
「だ、誰から聞いたんだよ、それっ」
「そんなのどうでも良いじゃない。私、結構嬉しかったのよ」
 薫さん、俺、弥彦にこう言ったんだ。
 あの時。
 薫に向かって誠一は、申し訳なさそうにそう言った。
 牛鍋屋で働いてることを調べて、その帰りに待ち伏せした上で。出会い頭に、こいつが神谷道場の弟子か、弱そうな奴だなあって。
 最初はむっとしてるだけだったのに、どうせ女師匠なんかに教わってる奴なんか、相手にもならねぇだろう。それとも無人の道場でなら、お山の大将気取れるもんなあ、って言ったら凄く怒って、後は簡単に挑発に乗ってきた。あいつ自分のことより、薫さんの悪口言われたことの方がこたえたみたいで。
 ……顔を合わせばブス扱い、練習中も偉そうにしてたり、熱心なんだけど薫のことを師匠扱いしていない。
 最初は薫じゃなくて剣心に剣術を習いたいからと、稽古を抜け出しては薫を相当困らせものだったけど。
 でも。自分のことを師匠と思っていないとか、師匠の気持ちなんて伝わってないんだろうなとか。そんなのは全部こちらの勝手な思いこみだったのだ。
 今なら分かる、分かっていないのは、本当は薫の方だった。
「私のこと、ブスだって言った門下生の子達に蹴りかましたそうじゃない。あんたってば普段はあんなこと言いながら、本音は全然違ってたのねえ。ふっふっふ」
「ば、馬鹿言うなっ。んな訳ねえだろ、てめえはブスもブス、日本一のブサイクだよっ! ただ、俺は、俺以外の奴にお前がブスだって言われたくなかっただけで」
「……え?」
 思わず、薫は足を止めた。
 真正面から照れ屋の弥彦に、こんな風に言われるなんて思ってもいなかったのだ。
「弥彦、あんた、」
「ったりまえだろ。何たって俺はあいつらと違って、お前の寝起きのブサイク面とか抜け作な顔とか、サイッテーなブス顔を嫌って言う程毎日見てるんだ。それをあの連中に、簡単にブス扱いして欲しくねえんだよ。お前のブスはもっと根が深いんだからな」
「…………っな、何ですってえええっ!?」
 ぴしっ。と亀裂の入る音。
 素直じゃない師弟の素直じゃない応酬。
 その末に始まった喧嘩を前に、剣心はまたもや苦笑するしかなかった。
 結局道場に戻るまで殴り合い・蹴り合いを続けた二人は、普段の稽古の比ではない程の喧嘩傷を作る羽目になり、騒動の結末話を聞く為に道場にふらりと現れた左之助に、
「おい、あれが昨日の果たし合いの傷か!?」
 などと言われてしまうのだった。
 本当に、何とも似た者師弟である。




 さて、本編とは余り関係ないのだが。
 この夜の弥彦と誠一の果たし合いを境に、水澤道場ではちょっとした騒ぎが起こった。誠一の命令で弥彦に喧嘩をふっかけていた門下生達三人を中心として、小さな集団が出来ていたのである。
 この集団は数日の間神谷道場に入り浸り、薫につきまとって弥彦をぎゃいぎゃい言わせることになるのだが……いずれにせよ、これもちょっとした後日談である。

<終わり>





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