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「デッド・トラップ」
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- 薄汚い路地の隅、今にも倒れそうなアパートメントの小階段の上に見慣れぬ少年の姿を認めて、少女は足を止めた。
この辺りは貧民街の中でも随分とガラの悪い区域だ。
空は近くの工場から流れる黒い煙に染まっているし、捨て犬や捨て猫があちこち汚物を巻き散らして行くお陰で目が痛くなるほどの臭気が漂っている。
なのにけばけばしい落書き跡のあるその壁の近く、泥で汚れた階段の上にいたのは、少女が今まで見たこともない様な雰囲気の少年だった。
何の知識もない少女が見たって上等の物だと知れるスーツに身を包み、茶に近い金の髪をさらさらと風に吹かせて。
だから思わず足を止めてしまったのだ。
最初にどんな言葉をかわしたのか覚えていない。
けれど二人はすぐに親しくなり、互いの身の上を語り合うまでになった。
少年はドイツ名門家の嫡男、そして少女は孤児院から来た子供。
環境の違う二人がそこまだ親しくなれたのは、お互いの中に何かを渇望する姿を見いだした為かも知れなかった。
ねえ玉怜、世界が狂いの歯車を止められずにいるのは、誰も指導者の資格を持たないからだ。
でも僕なら出来るよ。この世界を変えることも……活かすことも、死なせることも。
……夢だと言った。夢物語だと。
その為の計画が沢山、僕の中にはあるんだよ、そう言って笑う少年の話は確かに楽しかった。
(僕がいつか夢をかなえたら、その時には君と一緒が良いな)
少年の夢は少女の夢になった。
具体的な形を持たなかった少女の未来への夢と希望は、すぐに少年のそれへと重なったのだ。
(いつか必ず。君を呼んであげるよ。玉怜)
僕の夢のすぐ側に。
「でもそれは、私の思い描いていたものとは掛け離れていたのよ、ベルデ」
りん。
と傾けたグラスが銀の燭台に当たって、かすかな音を立てる。
「貴方の夢は危険過ぎたわ」
玉怜が初めてベルデに出会ったのは、玉怜がまだ十になるかならずかの頃。
出産政策の行われた中華人民共和国で捨て子となり、両親を知らぬまま孤児院に入ったから正式な年齢は分からないけれど、確かにその頃ベルデと出会ったのだ。
あれが全ての始まりだった。
そう、ベルデの紡ぐ夢物語がなくならない限り、ペルソナの悪夢は続いて行く。
静かな、広い指令室の中で、玉怜は一人溜め息をついた。
あれから時が流れ、世界は昔の面影の全てを失った。
未来は暗く過去は美しかったけれど、もう戻れないその過去を切望する愚かしさを知っているからこそ、玉怜はただ一人、時の流れの重さに首を振る。
(“記憶操作”だなんて、本当に貴方らしい考え方ね)
記憶操作。
以前ベルデと行動を共にしていた頃に聞いたことがあった。
人間をCPU(中央処理装置)に見立て、データを更新して行く。データとはつまり人間の脳から採取した“記憶”であり、研究が進めば被検者の脳に幾つものデータの蓄積が可能になる、と言う。
(でもね、ベルデ。メイがそうだった様に、人の心は簡単に計算出来るものではないのよ)
未知の可能性の中で、玉怜は子供達を思った。
彼らは未来を変えていくだろう。自分達が夢想していた架空の物語を現実にしてしまった様に。
そして彼らが新しい未来を築いた時、ベルデの悪夢は本当の意味で形を変えるのかも知れなかった。
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