デッド・トラップindex > 17

「デッド・トラップ」

<16>
「生徒からSOTEウイルスの講釈を希望する者があったと言うので、本日の講義はそれを中心に進めたいと思う。では昨日途中で終わった耐性菌についての説明から始めよう」
 モニターの向こうから届く映像と音声。
 ナギは手元のパソコンをいじりながら、注意深くノイマンの姿を眺めた。
 昨日から始まった講義は見たところ順調に進んでおり、慣れぬ様子で講義をしていたノイマンも、ようやく落ち着いたペースで授業を進めている。
(皮肉だな)
 そう、ナギは思った。
 カイ達は知らない。ナギの本当の目的も、ノイマンがこの学園に訪れた意味も。
 自分達が罠に掛かったのだと知れば、きっと昨夜の様な悠長な真似は出来ないだろう。
 だが……知らないのはあの二人ばかりではない、ナギも知らなかった。
 SOTEウイルスを生み出したのがノイマンであること、それがベルデの策略だったことも。
「カビ、が医学界にもたらした公益ははかりしれないものだ。抗生物質の発見はあらゆる菌から人々を救った。しかし利口なウイルス達は抗生物質を受け続けることにより進化を始めてしまう。人がより環境に適した存在になろうと進化して行った様に」
 何故、自分には知らされていなかったのだろう。必要なかったから? 
 だがベルデがハンを特別視したのは、ハンの持つ真実が彼にとって厭うべきものだったからではないのか。
 ぼんやりと講義室中央のモニターを眺めていると、パソコンにメールが入った。

【調子が悪そうだけど、まだ昨日の疲れが残ってるの? /M】

 M。ミストリアだ。
 すぐ隣に座っている栗色の髪の少女を見ると、心配そうにこちらを見遣る瞳が視界に入る。ナギは小さく笑うと、

【大丈夫。昨日は勝手に部屋に戻って、本当に御免なさいね。/N】

 今日の朝方に寮の部屋まで迎えに来てくれたミストリアが、実は昨日いなくなったナギを捜してあちこち走り回っていたのだと聞いたのは、講義が始まる直前のことだった。
 ナギは何度も謝罪したが、その顔色が昨日にも増して悪かった為、ミストリアはますます心配になってしまったらしい。

【私のことなら、もう良いの。でもナイティラ副会長がひどくナギのことを気にしていて、会いたいって言ってたわ。/M】

「研究者達が抗体を作り出しても、菌はすぐに耐性を得てしまう。まさにいたちごっこと言う訳だ。年単位で新たな抗生物質が作られ抗体菌も生まれた。このミクロの闘いは結果恐ろしい抗体菌を次々と生み出すことになってしまう……」

【ナイティラ副会長とは面識があるの?/M】

 ナイティラ副会長、と読み上げてからナギは首をかしげる。
 知らない筈はなかった。ただしデータの上でだけ。
 しかしナイティラがナギを知っている筈はない。
 返事を打ち込もうとして、視線を転じた先にカイの姿を見つけた。後ろ姿しか見えないけれど、親しげに隣の男子生徒と目配せし合っていたから、もしかしたら彼も友人とメール交換をしているのかも知れない。
 そうしていると、彼は一般の学生にしか見えなかった。
(プロ、か)
 ……カイ達が帰った後。
 ナギは庭で仲間とつなぎを取った際に入手したしおりを出し、中に挟んであったカードキーとチップとを確認した。
 チップにあった追加情報はハンから派遣されたエージェントのデータである……カイと、エリノアのことだ。
 そう言えば、とナギは首を傾げる。
 カイ達は何故かコードネームを伺わせる名を使っていた。
 エリノアはともかくとして、カイなどは少しいじっただけのコードネームだ。ナギの場合は当初より学園内部に紛れ込んでいた仲間への目印代わりにコードネームを使ったが、実際カイ達の様な特例がなければ、その名に気付いたのはベンチで読書を装っていた仲間の少女位のものだったろう。
 そう言えばエリノアが随分前からこの学園に入っていたことも、少し気になる。
(カイ達の狙いは私と私の持つ薬だと言っていた。確かに薬は一錠なくなっていたし、始末するなら取り返す必要もないと思ったけど)
 ナギの為だけにノイマンの講義を受けたり、危険を犯してこの学園に残ったりしない筈。
 とすれば、やはり行きつくのはミハイル・ノイマンの名。
 そこまで考えた時だった。
 不意にぶつん、とパソコンの電源が落ちて、それと同時に講義室内に設置されていたモニターが暗転、音声は砂嵐に変わった。
 わあ、と室内に悲鳴が上がり、周囲の講義室からも同じ様なざわめきが聞こえてくる。
 モニター通信の講義に切り変わってから、同時に多数のクラスでノイマン氏の講義が行われることになった為、この現象はあちこちで起こっている様だった。
 講義室内の照明は消えていなかったし、暖房器具についても同様。
 だとすれば主力電源の問題ではないのだろう。
(これは……)
「ナギ、見て。文字が出てきたわ。誰かが入力してるみたいだけど……何、これ!」
 ミストリアの声に、ナギは素早くパソコンのディスプレイを見る。
 途端、眼に映ったそれに茫然となった。

【救いは現れない。私は生きている。だまされるな。人は自我だ。自我は人だ。消去は死を意味する!】

 流れる様な文字。暗号の様なそれに、ナギは束の間驚き、はっとした。
(ノイマン、何てことを)
 ディスプレイに触れ掛けた途端、文字が消えた。
 ほとんど間をおかず復活したパソコンの電源と共に講義室内のモニターも生き返る。
「………………であるから、これをMRSAと名付けた。従ってメチシリン耐性の」
 切れていた時間分だけずれた講義内容が音声コードから流れてきた。
 突如復活した講義に、けれど生徒達の動揺は消えそうもない。
「ナギ、今の一体何だったの」
 茫然と呟くミストリアに、ナギは押し黙ったままディスプレイを睨んでいた。
 その様子を、遠く離れた席からカイとエリノアの視線が捕らえていたことに気付かない程熱心に。








page16page18

inserted by FC2 system