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「デッド・トラップ」

<17>
 講義が終わってすぐ、近づいてきた人の気配をナギはミストリアのものだと思った。
 突然の講義中の異常事態に生徒会室に向かったミストリアが、忘れ物か何かに気付いて戻ってきたのだと。
 机の上に影がさす頃になってようやく、それが彼女でないことに気付いた。
 こちらを見下ろす人影は、嬉しそうに微笑んでいた。
「貴方、ナギ・倉宮ね」
「……貴方は」
 座ったままのナギに、女生徒は笑みを崩さぬまますとんと前列の席に腰掛けてくる。
「初めまして。ミストリアから聞いてない? 私はナイティラ・サンダー」
 大柄で豊かなプロポーション、長身をいかした制服の着こなし。
 まるで雑誌から飛び出した様なモデル体型の赤毛の女生徒に、ナギは動きを止めて目をぱちくりさせる。
「……ナイティラ副会長、ですか?」
「あら、私もまんざらじゃないわね。編入試験の時も顔出さなかったのに、副会長って分かって貰えるんだもの」
「あ……昨日は申し訳ありませんでした。貴重なお時間を私の為に裂いて戴いて」
「いいのよ。私がナギちゃんに会ってみたくて勝手にしたことだから。クレスからとっても可愛い編入生がいるって聞いて、ね」
 ウインクされて、ナギはどう反応して良いのか困ったような曖昧な表情で俯いた。
「それにしても驚いたわねぇ。急にパソコンの電源が落ちたと思ったら、モニターにまで変な文が浮かんで。あれってやっぱり貴方達の作戦の一つなの?」
「あの。お言葉の意味が、良く……」
「お互い空々しい真似はよしましょう。貴方のことはクレスを通して知ってるのよ、ペルソナのエージェントさん」
 言い終えるより早く、膝に鋭い痛みを感じてナイティラは目を細める。
 ちらりと目線だけでそれを確認すると、今度は余裕の微笑になった。
「成程。見かけ通りの可愛い女の子って訳じゃなさそうね。安心したわ」
 ナギの左手は机の下にもぐり、携帯していたペンナイフでナイティラの足をいつでもかき切れる状態にしていた。
 勿論、周辺に居る生徒は誰も気付いていない。
「……今の話。ペルソナの情報は、この学園の生徒会側に筒抜けだと考えて良いのかしら」
「ペルソナの代表が直接クレスに連絡を取る位だから、そうないんじゃない? この学園が特別なのは貴方も知ってるんでしょう」
「それなら私に協力して。生徒会のノイマン氏に関する手書きの資料やフロッピーを頂戴」
「クレスに聞けば? 残念だけど私は持ってないのよ」
 揶揄する様なナイティラの声に、ナギはふっと眉をひそめた。
「貴方、クレスの補佐なんでしょう」
「肩書きだけね。私がVIPの娘だから、気を遣ってこの肩書きをあてがってるってわけ」
「成績優秀、生徒からも好感を持たれている貴方が? それこそ信じられないわ」
「誉め言葉と取っても良い?」
 嬉しそうなナイティラの声に、ナギはナイフを手早く仕舞って立ち上がった。
 パソコンを閉じて参考書と一緒に抱きかかえると、溜息混じり視線を逸らした。
「話にならない。失礼するわ」
「見逃してもらえるのかしら、私」
 立ち去り掛けたナギは、それでも最後に脅しを含ませた視線をナイティラに向ける。
「余計な真似をすれば、命はないと思ってね」


 ……教室から出て行く後ろ姿を見送りながら、ナイティラはくすくすと笑った。
 その瞳には穏やかでない輝きがある。
「命がないのはあなたの方かもね、ナギ。この学園には案外貴方の敵がいるのよ」
「あんたもその一人って訳か?」
 背後から届いたその声に、ナイティラは笑みを消してゆっくりと振り返った。
「カイ」
「ツナギ取る筈が連絡ないし、どうしてんのかと思ったらこんな場所で……ナギにちょっかい出すと火傷するぞ」
 だるそうに窓からの陽光を参考書で防ぎっているカイの呟きに、ナイティラは薄く笑いながら制服の内ポケットから紙片を取り出した。
 カイは無言でそれを受け取る。
「苦労したのよ。恩きせる訳じゃないけど」
「その割には楽しそうにしてたじゃねーかよ」
「だって本当に楽しいんだもん。けど火傷する前に引く位の頭もあるんだから、安心して」
「あの生徒会長と渡り合ってるんだから、そりゃそうだろうさ。しっぽ掴めないだろ? ファーストグラウンド始まって以来の天才君って奴は」
「掴めないどころか、もしかしたらこちらの動向についても感付かれてるんじゃないかと思うわ。恐いわよぉ、時々逃げたくなるもの」
 ……現在旧ドイツの中で広がりつつあるネオナチ集団の力。
 ベルデを中心とするペルソナや極端な右翼団体が増加する中、当然ながらそれに反発する人間も存在した。狂気に取りつかれた旧ドイツの勢力と野望とを恐れ、それを阻止して祖国を正しい方向に導こうと考えた人間が。
 そしてナイティラもまた、ドイツ国籍でありながら反対運動を続ける組織の関係者だったのだ。
 ドイツの動向を探る為にこの学園に入り、その才能と社交性と両親の地位のお陰で副会長の地位にまでのぼりつめたナイティラは、これまでもその危険と紙一重の立場から貴重なデータを反ドイツ組織に流してきた。
 カイ達もまた彼女の諜報活動の恩恵にあずかる立場にあり、おまけに今回学園に入り込む際にも随分と世話をかけていた。
 英才教育はともかくとして、彼女は何も特別なエージェント教育を受けた訳でもない。
 そんなナイティラがこの学園に入ってから丸四年、十二に入学許可を受けてから以降何のミスも犯さず諜報活動を続けているのだから、本当に彼女は大したものなのだ。
「泳がされてるのかも知れないなぁ、私。大体エリノアが勝手なことばかりするもんだから、こっちは気が気じゃなくて……ルティの件にしても、やりすぎよ、アレは」
「あー……あ、同室の子な」
「普通の女の子病気にして追い出すなんて真似、今度からナシにして欲しいの。そのうちフォローも出来なくなるんだから。ま、私美人には寛大だからそれは良いとして……そう、ナギちゃんよ。彼女ってクレスの憧れのあの人のお気に入りらしいじゃない。ああ言う芯の強い子ってタイプなのよねえ私、あれだけ綺麗な深い緑の瞳って言うのも珍しいし。籠絡したら私にも教えてよね、カイくーーん」
「お前その性格と言うか性癖何とかしろっ」
 どうして俺の周りにはこーゆー癖のある人間ばかりが集まるのだろう。
 と都合の良い突っ込みを入れるカイであった。
「それじゃあ私、その噂の会長サマの方に顔出して来るわ。今の講義のいざこざで多分生徒会の招集かけてる頃だろうし。後のことは宜しくー」
 ひらひらと手を振りつつ講義室を出ていくナイティラに、カイも同じく手を振り返した。
(さてと、紙片を広げて検討でもしようかね。今後の動きを)
 手の中には先程貰った紙片がある。
 それを見下ろして、カイは小さく笑った。







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