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「デッド・トラップ」

<1>
 天を貫くクリスタルの先端。
 遠く広がる天井を眺めているとそんな言葉が浮かんで、ナギは苦笑する。天を貫く程の建築物がこのドームの内に存在する筈がないのに。
 人類の過半数の命を奪ったあの疫病蔓延以来、限られたドームの内で、限られた生と限られた文明を持つことしか、彼らには許されていないのだから。
「綺麗でしょう、この塔は。まるで天に続く柱の様だと思わない?」
 まるで彼女の心のうちを読んだ様なその声に、ナギはふと我に返った。すぐ隣に少女が立っていたことをその時ようやく思い出す。
 途端辺りを包んでいた騒音が甦り、周囲を行き来するせわしない学生達の姿が映った。
 そう、ここは学園の中だったのだ。
「貴女もやっぱり見とれたみたいね。本当はここ、反射の屈折率の関係で、限られた高さの塔が際限なく続いている様に見えるだけなんだけど」
 肩を少しばかり越す栗色のセミロングに、愛らしい笑顔。
 育ちの良さと素直さがそのまま形になった様なその少女に、ナギは曖昧な笑みを返した。
〈白い塔の学園〉……幾つかある隔離国家シュテムの中でも極めて高層の建築物の立ち並ぶ、第一シュテムの首都・ホランの誇る学園の名。ナギが立つのはその学園の中央部、出入口の門から近い塔の二階部分になる。
 無駄を省いた機械的な建物の並ぶ中、白い塔の学園は中世の西欧の建築法を真似て作られていた。
 白い塔が幾つかある中で、だが中央部分の塔だけは透明度の強いクリスタルの様なタイルで出来ている。
 隔離国家には七つの教育施設があったが、中でもここは特別な場所だった。ファーストグラウンドと言う別名を持つこの学園こそ、シュテムの優秀な頭脳を集めた第一の教育施設なのだ。
 この学園に通うのは立場的にも実力的にもある一定水準を越えた子女達。
 そしてその立場を自覚し、将来のビジョンを国家の存在に重ねた者たちだけが、この学園に籍を置くことを許されている。
「それにしても転校生が多いのね。私を含めて……今日だけで、一体何人くらい?」
 まだ制服を着用していない人影を周辺に認めて尋ねると、
「全員合わせて七人はいる筈よ。皆も今頃はあんな風に学園の中を案内して貰っているところね。正式に転校してきた貴女と違って、ほとんどの転校生はここに長居するつもりもないんでしょうけど。皆一時的に講義を受けたいと言っている人達ばかりだから」
「講義?」
「貴女も知ってるわよね。あのノイマン氏がこの学園でしばらく講義されるお話。今頃の転校生や見学者は、ほとんどこの話を聞いた人達ばかりよ」
 含み笑いと共に、案内役をつとめるナギの新しいクラスメイトは、ざわめく学生の集団を意味ありげに見遣った。
 彼らは全て特権階級の子女達だ。
 能力が劣りこの学園に入れずにいた者、またもとより学園ではなく個人で教育を受けている者……それぞれに、本来ならこの学園に顔を見せるはずのない子供達ばかりである。
 彼らに共通項があるのだとすれば……ある理由から箝口令が降りている筈のノイマンの情報について、自らの両親から難無く仕入れることのできる立場にある、と言うことだったろう。
 人類の命運を好転させた英雄の講義を自分の子供達に受けさせたいと願う特権階級の人間も少なくはなかったし、それ以外にも自身から進んで(それらは一度で良いからノイマン氏の講義を受けたい、また人前に姿を現すことが極端に少ない彼に一度直接会ってみたい、と言う理由からだったりした)講義を希望する子供達もいる。
 彼らはこうした様々な理由から、この学園の講義に特別参加を申し入れたと言う訳だった。
「さあ、学園の案内もこれでおしまい。次は寮の方へ案内するわ。荷物は直接部屋の方に運ばれている筈だから」
「残念だけど時間切れだ、ミストリア」
 突然かけられたその声に、笑顔でナギを振り返った筈のクラスメイトの表情が不意に凍りついた。
 行き交う生徒達の中、冬用の茶の制服に身を包んだ男子生徒が立っている。
 それまでの落ち着いた仕草からは想像もつかない慌て振りで、ナギの案内役の少女は腕時計に視線を落とした。その頬は真っ赤に染まっている。
 無理もないとナギは思う。何しろその男子生徒ときたら、とんでもない美貌の持ち主なのだ。
 通り過ぎる一般生徒達の賛美の視線に気付かない訳でもあるまいに、立っているだけでこれだけの注目を集めながら、それでも無関心に穏やかな微笑を浮かべている少年。
 女子とみまごうばかりの繊細な美貌は、けれどナギにはちょうど良い目印だった。お陰で考えずともすぐにデータの中にあった彼の名前を思い出すことが出来る。
「生徒会長。あの、申し訳ありません。もうこんな時間に」
 ミストリアの言葉と重ねて、ナギも脳裏に浮かんだ名を反芻する。
 ファーストグラウンドの今期生徒会長、クレス・ダフィルト。
「時間配分を誤るとは君らしくないね、ミストリア。ああ……彼女が今回君の担当の?」
「ナギ・倉宮です。初めまして」
 自分に向かうクレスの青い瞳に進んで名乗ると、クレスは優雅な仕草で頭を下げた。
「クレス・ダフィルトです。学園内の様子はどうでした?」
「とても素敵な学園ですね。物語の中に出てくるお城の様で」
「それは良かった。勿論、ここは外装ばかりではなく充実した学園生活の為の準備も整っていますので、どうか楽しんで下さい。ところでミストリアはこの後生徒会の役員会議を控えているのですが、今から彼女をお借りても良ろしいでしょうか」
「ですが会長、私倉宮さんに寮の案内が」
「俺が案内するよ。寮の場所ならさっき教えてもらったし」
 突然の第四者の声に、ナギは再び顔を巡らせた。
 見ればナギ達から少し離れた手摺りの側で、階下を眺めていたらしい少年が親しげにこちらに手を振っている。
 転校生だろうか、見覚えのない……データにはなかった顔だ。
「な、クレス。それで良いよな。俺ちょーど今から寮に戻るトコだしさ」
「男子寮と女子寮は別なんですけど。ええと……ミスタ……」
「カイ。カイで良いよ。女子寮って向かい合って建ってたアレだろ、だったら大丈夫」
「あの。寮に戻るだけなら、私一人でも平気ですから」
 カイ、と名乗った少年とミストリアが話を進めるのに、ナギは慌てて間に入る。
 だが見慣れぬ少年カイは人懐こそうな顔をこちらに向けると、
「駄ぁ目だって。この辺警備の人間でごちゃごちゃしててさ、下手に一人で歩いたら尋問されて時間食うだけだから」
 案内など、本当に必要ではないのに。内心溜息をこぼしつつ、それでも結局は少年と一緒に寮に行くことになってしまった。
 階段を降りて行くその生徒会の二人の姿を見送っていると、軽く口笛が響く。
 思わず見れば隣に立つカイが口もとに笑みを乗せながら、こちらを眺めているのにかち合った。
「なぁんかすげーよな。俺あの生徒会長に案内して貰ってる間、在校生の先輩に睨み殺されるんじゃないかと思った。生徒会役員の条件って顔の美醜の項目まであるんじゃないの?」
「……あの、カイさん。何か用事があったんじゃありません? なのに案内なんて……」「いやでも外の警備マジで凄いし。第一俺、綺麗な生徒会長といるより、可愛い転校生と一緒の方が嬉しいもん。あ、名前まだ聞いてなかった。俺はカイザス・シュナハ=ベルナ」
「ナギ・倉宮です。お互い転校生、ですね」
「あ、ジャパニーズ?」
「ええ、母親が。父は生粋のドイツ人だったから、故郷と呼べるのはコーンドリア(旧ドイツ跡)になるんですが……」
 コーンドリアは、ここホランに続く第二の首都と呼ばれる区域である。ただしこの<白い塔の学園>のあるドームとは遠く離れた第三ドームに存在する為、転校でもしない限りコーンドリアからこの学園に通うことは不可能に近い。
「じゃあ、今はこっちに住んでるんだ」
「ええ。両親が仕事の都合でホランに入ったから……いくら寮生活でも、両親と違ったドームで暮らすなんて考えられなくて」
 話しながら塔の一階に降りて庭に出る。
 自然に包まれた小道を進むと、遠く蔦の絡まる洋館が二つ見えてきた。学園の男子寮と女子寮だ。
「でもラッキーだな。転校初日でナギちゃんみたいに可愛い子と知り会えて」
「……お世辞は嬉しいですけど、もしかして誰にでも言ってるんじゃありません?」
「まさか。俺普段は控え目だもん。ナギちゃんには興味があるから、つい本音がね」
「今日会ったばかりなのに?」
「初対面だから興味が生まれんの」
 紫の瞳がじっとナギを見つめている。
 それに気付いて見つめ返せば、カイは人好きのする顔にかすめる様な笑みを浮かべて、すぐにその視線をそらしてしまった。
(ナギ。心を……)
 紫の瞳。先程見せた皮肉げな微笑。それから柔らかそうな栗色の髪。
 視線をそらしてそのまま一歩先を進むカイの後ろ姿で、ほんの少しだけ伸ばした髪が首のつけ根でまとめて揺れているのを見ていると、ふいに断片的な記憶が脳裏に甦る。
(心を切り替えるんだ。いつでも冷静にトリガーを引ける様に)
 ……勿論、忘れはしない。
 その為に、ナギはこの学園に来たのだから。





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