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「デッド・トラップ」

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 ぱたぱたと。
 普段は走ることを禁じられた講義室の廊下を、ミストリアは走っていた。
(クレス生徒会長とナイティラ副会長、一体どこにいらっしゃるのかしら)
 ノイマン氏の講義途中の突然の問題発生の為に、生徒会会議が行われることが決まったのはつい先程のこと。
 この事態を予想して呼び出しがかかるより早く第一会議室に集まった役員の面々は、けれど肝心の会長と副会長がなかなか表れないことを不安に思い、しばらく待った後に代表のミストリアが二人を捜しに出ることになったのだった。
 ミストリアがまず向かったのは生徒会室。
 間取りを考慮して生徒会役員全員の収容が不可能と判断された為、今ではほとんど会長の自室になっている場所だった(ちなみに今回の様な一斉会議の場合は、第一会議室の使用が決められている)。
 セオリー通りのその行動を取ったミストリアは、一応その途中の講義室も覗きながら、結局は生徒会室にたどり着いた。
 しばし躊躇し、やがて扉を軽くノックする。
「あの……会長。いらっしゃいますか?」
 しばらく待ったのに返答はなく、だから諦めて走り去ろうとしたミストリアの背後で、扉が開いたのは次の瞬間のこと。
 驚いて振り返ったその先で、うっとりする様な美貌に微笑を浮かべて立っていたのは、紛れもないクレスだった。
「ミストリア。何かあったの?」
 とても穏やかな表情のクレスに束の間言葉を失い、けれどミストリアはすぐに今の状況を思い出す。
「あ、あの、先程のノイマン氏の講義途中に不審な通信異常が起こったことを案じて、役員が全員第一会議室に集合しています。後は会長とナイティラ副会長が」
「僕は集合をかけた覚えはないけど?」
「……え。ですが、これは異常事態では」
「君達が驚くのも無理はないけれど、これは予想範囲内のミステイクだよ。役員会議の必要はないと思う」
「そんな! 有り得ないことです、私達に与えられたあのデータを見ても」
 言い募る唇に、ふと伸びる手。
 クレスの人差指に言葉を封じられて、ミストリアは咄嗟に口ごもってしまう。
「ミストリア。君は国家の為にとても役立つ人材だから、今回の件について話しておいて良いかも知れないね」
「何の……こと、でしょう」
「入りたまえ。ここでは落ち着いて話もできないだろう」
 大きく開く扉。
 こちらに向かって笑みを作ると、クレスはそのまま生徒会室に入った。
 少し躊躇してミストリアも後に続く。
「さあ、席について」
「……あ」
 入室したその途端、ソファーにくつろぐ人物に気付いてミストリアスは思わず足を止める。
 ナイティラが、ひどく退屈そうに手にしたカップを口に寄せていた。
「やっぱりこちらにいらしたんですね、ナイティラ副会長」
「私と会長ってセット扱いなんだ?」
 小さく笑んで言うナイティラに、会長は複雑そうな表情になる。
「……それもどうかと思うけどね。ああ、気にせずに好きな所に掛けると良いよ、ミストリア。ナイティラももう少し遠慮して」
「あら失礼」
 余り反省していない口振りでそう言って、ナイティラはソファーの端に移動した。
 それに気付いたミストリアも慌てて隣に座る。
 ようやく落ち着いた時点で、さて、とナイティラがカップを置いた。
「それでクレス会長、何のお話かしら。わざわざ私を呼び止めたからには、大切な話があるんでしょう。ミストリアまで部屋に入れて」
「君も興味があるだろうと思ってね」
 意味ありげな言葉。
 ぴくりと眉を震わせて、けれどすぐにナイティラは余裕の表情で膝に頬杖をついた。
「面白い話なら聞きたいわね」
「ミハイル・ノイマンについてだよ。今まで君にだけは漏れない様にしてきたけど、もうその必要がなくなったからね。説明してあげようと思って」
 クレスの言葉に、ミストリアはいぶかしげな視線を向けた。
「まさか……副会長はノイマン氏に関するデータを手にしていないんですか?」
 勿論否定される筈だと思っていたその言葉を、けれど意外にもクレスは冷ややかな表情であしらった。
 そのまま二人と向かい合わせのソファーに腰掛けると、
「そうだよ」
 その唇が紡ぎ出した言葉に、今度こそミストリアは言葉を失った。
「だって、スパイにデータを渡す訳にもいかないだろう?」



「…………!」
 スパイ。
 ミストリアは目を見開き、勢い良くナイティラを振り返って絶句した。
 ファーストグラウンドの副会長が、スパイ?
 驚きの余り言葉を失ってしまったミストリアのその横では、真実動揺しなければならない筈の少女が軽い動作で肩をすくめている。
 苦笑混じりの言葉が、その様子を飾った。
「何だ、やっぱり気付かれてたのね。もしかしたらとは思ってたんだけど」
「第三シュテム“ナン”には、その内部を拠点とするA・Uと呼ばれる組織がある。Aは分析、Uは調査をそれぞれ意味し、その活動内容は主に旧ドイツの行動の阻止すること。同じドイツ国民でありながら、祖国を陥れる様な活動を続ける愚かな集団だ。君があんな場所に所属しているとは、とても残念だよ」
「そんな。ナイティラ副会長、これは何かの間違いですよね。そうでしょう!?」
「間違いじゃないわよ。クレスがそこまで言うなら、確かな裏づけもあるんでしょうし。今更じたばたしても仕方ないわね」
「副会長」
「でもね、貴方も真実を知るべきだわ、ミストリア。今の貴方は恐らく、私のことを祖国を裏切った愚か者だと考えている。けれど裏切ったのはどちらかしら。祖国を愛するなら、その祖国を辱めようする存在を疎うべきではないの?」
「どう言うこと、ですか」
「やっぱり話してないのね。クレス」
 追い詰められている立場にあるのはナイティラの方だと言うのに、むしろ堂々とした様子で彼女はそう呟いた。
「話しても良いの?」
「構わないよ」
 返答は短く。
「彼女には、選択権があるからね」
 氷の様な美貌はこんな時でもやはり美しく、だから彼女はその言葉に込められたひどく残酷な意味を掴み損ねてしまったのだ。

 ……とても冷たい時が満ちるその中で、ナイティラはゆっくりと語り出した。







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