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「デッド・トラップ」

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 さすがはファーストグラウンドと言うべきか、入学の際、この学園に持ち込めるものは少なかった。
 それでも追及の手が厳しくなる程にかわす手段も多様化するもので、裏をかいくぐるのはエージェントの得意技でもある。
(しっかし、その割には警備が薄いんだよなーここは)
 学園のコンピュータルームの前。
 数十分置きに見回りに来る警備の目をかいくぐってその場に立ったカイは、ぽりぽりと頭をかきながら溜息を付いた。
 この学園には教育施設と言う枠を越えた高水準のシステムコンピュータが設置されている。
 そこに収集されているデータは厳重にロックされ、従ってその内容も機密性の高いものとなっていた。
 おまけに外部から接続された単独のシステムなので、異常にデータがハックしにくい。
 ナイティラから「確実にここがクサイ」と言われなければ、なるべくは関わりを遠慮したい場所だった。
 カイは胸ポケットに潜ませておいた偽造カードキーを取り出すと、ドアロック本体に滑り込ませた。
 反応なし。
 だが焦ることなくしゃがみ込んだカイは、次に持ってきたミニ制御インターフェイス機を繋いで暗号キーを検索した。すぐにロックが解除される。
 痕跡を残さない様に慎重に道具を片付けると、カイは周囲に気を配りつつ、コンピュータルームに入り込んだ。
 幾つも並んだコンピュータの中、一番近くにあったデスクに近寄ると、電源を入れてディスプレイが明るくなるのを待つ。
 何度かキーを叩いて、それから注意深く文字の流れる青い画面を睨んだ。
 ……カイが学園に潜入した理由は三つある。
 一つがナギとの接触、もう一つがナギの持ち薬を奪って解析を進めること。
 ここまでがエリノアとペアを組んでいた仕事で、ペルソナと旧ドイツの罪を知る証人であるミハイル・ノイマンとの接触をはかる、と言う仕事は、主にカイ個人に任された玉怜直々の依頼でもあった。
 そのノイマンの居所が、幾ら調べても分からない。ナイティラの調査で彼が確かに学園内部に居ることは判明しているのだが、それ以上のことがどうしても謎なのだ。
 地図にデータを重ね、警備状況と全配置図を更に重ねて行っても、ノイマンの移動ルートは成立しなかった。つまり彼が学園に入る方法は今のところ存在しなかったのである。
 しかし、彼は確実に学園に居る。
 どうすれば生きた人間をここまで隠し通せるのか。

【F.Gにおける講義進行スケジュール】
【生徒成績表/戸籍比較】

 次々と表れる必要のない項目を流して、カイはトラップを丁寧に避けながらガードを解いて行った。
 逆探知を避ける為にハッキング出来る時間は限られるが、しかしカイがそこにたどりつくまで、一分もかからなかった。
【マウス移動・接触コード】
(何だよ、これ)
 暗号、と言うほど難解な意味を持つ言葉ではなさそうだ。
 素早く判断して、ディスプレイ上に呼び出す。
 無意味なダミープログラムかも知れない……と思ったのだが、レコード抽出中の表示の後に暗転したディスプレイに、カイの表情が僅かに強ばる。
 やがて、白く浮かび上がる文字が、カイの瞳に反射した。
(ノイマンのデータか)
 異常な早さで流れるそのデータを走り読みしながら、カイは次第に顔色を変えて行く。
 やがて荒々しく電源を落とすと、警備の人間が再び見回りに訪れる前にコンピュータルームを飛び出した。
(畜生、そう言うことかよ……手の込んだ真似しやがってっ)

* * * * *

 その場所に向かう経路の入口は、二つ用意されていた。
 一つが体育館の裏口のマンホール、そしてもう一つが現在クレスの使用する生徒会室だ。
 マンホール側から地下に下りたナギは、どこまでも続く深く退廃的な石階段を歩きながら手にしたライトを何度も揺らした。
 中世的な雰囲気の漂うその石階段は明かり一つなく、ひどく不便な場所だった。
 石牢の様な階段は気が遠くなるほど続き、それでもナギはやがて終わりにたどり着く。
 眼前に頑丈そうな扉を見つけて、ナギはようやくほっと吐息してそちらに手を伸ばした。
 栞を介して預かったカードキーで扉を開くと、ナギは広がる景色に僅かに息を呑む。
 そこには“大きな部屋”ではとても片付けられない、巨大なコントロールルームが広がっていた。
 中央にある樹木めいたコンピュータときたら、学園敷地内の地下のほとんどを埋める巨大さだ。
 まさか学園内部にこんな場所があるとは誰も予想だにすまい。
 知識として教わっていたけれど、直に見るのはナギも初めてだった。
 ゆっくりと歩き出し、けれどすぐ側に人の気配を感じて立ち止まる。
 顔を上げて、目をすがめた。
「……ミストリア?」
 そこに居たのはミストリアだった。
 青ざめた顔で、じっとナギを見つめている。
「どうして貴方がここに?」
「会長から全て聞いたわ。貴方がペルソナのエージェントであること、その目的と……ノイマン氏の正体のことを」
「生徒会室側から下りてきたのね」
 静かに、ナギは答えた。
 ミストリアのうちに潜む激しい感情を無視する様に。
「だけど、それは貴方がここに居る理由にならない」
「それじゃあ、本当なのね。さっき会長から話を聞いた時、とても信じられないと思ったわ。貴方がエージェントだったなんて……だけど、そうなのね。だとしたらあの話も嘘じゃない……SOTEウイルスを生み出したのが、ミハイル・ノイマン氏だと言うことも」
 ぴくりとナギの眉が動く。
 全てを聞いた、と言うのは、まんざら嘘でもないらしい。
 ミストリアは今や立っているのもやっとな程青ざめていた。旧ドイツとペルソナの所業を聞き、今まで信じてきたものが崩れる衝撃に耐えかねているのだろうと思われた。
 父への尊敬の念と今はなき旧ドイツへの忠誠心も、その真実の前では意味をなさなかった。
 彼女がこれまでに知っていたことで真実はほとんどなく、あったとしてもそれはドイツの、ペルソナの非道を更に決定づける様なものばかりでしかなかったのだろう。
 けれどそれはミストリア一人の問題ではない。真実を知る人間は限られていたし、シュテム成立以前の祖国に思いを馳せる人間のほとんどが純粋な忠誠心から活動していたからだ。
 誰も疑わなかった。ナギでさえ、カイとエリノアに話を聞くまで何の疑いも抱かなかったのだ。
 あのベルデ・シュミテンに。
「ミストリア。そこを退いて貰える? 私には大切な仕事があるの」
 静かに告げたナギに、けれどミストリアは小さく首を振ってナギを見据える。
「退けないわ、私は貴方を止めに来たんだもの。貴方にノイマン氏を壊させる訳にはいかない、貴方は利用されているだけなんだから」
「ノイマンは既に死んでいる。今更その存在を抹消することを、何故それ程嫌がるの?」

 ……既に、死んでいる。

 そう、ミハイル・ノイマンは死んでいたのだ。今から十数年も前に。
 だからここに居るのはただのコンピュータに過ぎない。
 ただの、バイオ・コンピュータに。


 ノイマンが死んだ時、旧ドイツは彼の存在を何とかして残そうとした。国家の英雄と知能と歴史とを終わらせる訳にはいかなかったからだ。
 繰り返される実験の末、旧ドイツは人間の脳をコンピュータに移植することに成功する。
 人間の精密な脳のメカニズムを全て移し替えることは不可能だったが、それでも必要な箇所……彼の築いてきた歴史、研究、ある一定の質問に対する本当、普段の小さな癖、ありとあらゆるデータを収集してコンピュータが作られた。
 今、ナギとミストリアの前に広がる巨大なコンピュータの正体こそが、現在のミハイル・ノイマンの正体なのである。
 膨大なデータを収める為にコンピュータのサイズは可能なまで巨大化した。
 学園で行われた講義もクレスが操作することによって可能なマジックだったのだ。
「ノイマン氏は本当に死んでいるのかしら。それなら何故、講義中にあんなアクシデントが起こったの? ナギ、私は彼がデータになった今でも後悔している様に思える。もしかしたら、生前の彼も罪の意識から全てを告白しようとして暗殺されたのかも知れない。それなのに彼の存在はコンピュータ移植されてまで利用された。従順なコンピュータなら必要な時に必要なデータを出すだけで良いし、裏切ることもないから。彼は耐えられなかったのよ、これ以上自らの意思に反して利用されることが。だからコンピュータでしかなかった物が、人の心を持ったのではないの?」
「そうね。だからペルソナは、私に彼の暗殺を依頼した。正確には彼の存在の抹消を、ね」
 淡々と答えるナギに、ミストリアは咎める様な視線を向ける。
「ナギ!」
「これを破壊することは、つまりは生徒会の望みでもある筈よ。ペルソナと生徒会との繋がりが認められた以上はね」
「だけど私は許せないのよ! こんな恐ろしいことをして、その上まだ罪を重ねようとするドイツが、ペルソナが! ナイティラ副会長の言う通りだった、こんなこと黙って見てちゃ駄目なのよ。誰かが止めなくちゃ!」
「……ミストリア」
 そっと、ミストリアの頬に触れる。
 思わず見開かれたミストリアの瞳に、ナギは微笑みかけた。
 ミストリアが今まで見たこともない、それは慈愛に満ちた表情だった。
「そこを、どいて」
「いや。今、貴方の行為を見逃せば、私は私を一生許せなくなるわ。今までの自分の考えが無知の生み出したものなのだとすれば、この愚行は見逃してはならないの。だって私はもう知ってしまったから……だから」
「ミストリア」
 微笑は変わらない穏やかさで。
 けれどミストリアはその微笑みに身体をこわばらせた。
「私も、貴方みたいに生きられたら良かったと思うわ。……本当に」







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