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「デッド・トラップ」
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- 巨大なコンピュータとあらゆる技術を駆使したシステムとが、炎と煙を上げながら小爆発を起こしている。
その光景を視界に映して、ナギは静かに立ち尽くした。
これでもうすぐ依頼が終わる。
手の中の銃を見下ろした。もうすっかり慣れてしまった筈のそれがかすかに重みを増している気がしたのに、やはりそれは最初から何も変わらないただの銃だった。
変わったのは心だ。
脆弱な、この心。
(……もうすぐここに来る)
そう心中で呟いて、ナギは耳の裏につけておいた盗聴受信器をそっと外した。
エリノア・メーベの部屋に繋がっているそれは、地下に下りてから既に受信不能になっている。
カイかエリノアがこの場所を探り当てて来ることは予想していた。そうなる様にエサを撒いておいたのだ。
ナイティラ・サンダーがスパイであることを承知の上で泳がせ、わざと情報を残したコンピュータルームに潜入させて情報を流す。
結果、ハンのエージェントは放っておいてもこの場所にやってくる……真実を知った上で。
深く吐息した時、階段側の扉から気配が近付いてくるのが分かった。
巨大なパイプの影に隠れて待つと、そこから表れたのはやはりカイだった。
(躊躇う必要はない。私にはまだ、終わらせることが出来るんだから)
ここに来るまでに精神状態を落ち着けて、何度も脳裏に標的を描いた。
マズルを向けて、撃つ。
何度も何度も繰り返して。
だからカイがこちらに気付くより早くに銃を向け、発砲することだって簡単だった。
重い銃声と共に、カイの身体が崩折れる。
彼が気配を察知して動いた為に、心臓を狙った弾は左肩を捕らえただけだった。
「……成程、やっぱ罠だったか」
ゆっくりと歩み寄るナギに、カイが答えた。
その顔にあった焦りは既に消えている。
「おかしいと思ったんだよな。あれだけ簡単にデータが出てくるってのも、爆破音が聞こえて来るってのも」
「それでも来たのね。死ぬ為に?」
「ノイマンと、お前に会いに」
銃を突きつけられているのに、カイは相変わらず余裕の表情でコンピュータを眺めた。
「あれがノイマンか」
「……そうよ。彼の脳を移植したバイオコンピュータは破壊したし、バイオチップも完全に壊した。貴方の用が何だったのかは知らないけど、全部無駄になったわね」
「で、ノイマンを完璧に壊したってのにまだここに残ってた理由は、やっぱ俺?」
「貴方を、殺さなきゃいけないの」
「そりゃ困るな。お前を連れて帰れなくなる」
カイの返答に、昨日の会話を思い出す。
カイとエリノアの目的は、ナギの持っていた薬とナギ自身だと。
そう言っていたこと。
「何故そんなにまでして、私をハンに引き込もうとするの。危険を冒してまで」
「もう誰もペルソナの為に犠牲になってやる必要なんかないからさ。あいつらが始めたことで何人死んだ? このノイマンの正体見ても、まだ何も感じないのか、お前」
「感じないわ」
すぐに返った言葉に、カイは思わず息を呑む。
「感じない?」
「そう。何も、感じないわ、必要がないから。貴方は貴方の価値観で私を見るけど、誰もが同じ心を持つ訳じゃないもの。ましてや貴方はペルソナを知らないのに」
背後がとても熱い。コンピュータが爆発して、燃える炎と共に出す最後の熱が、ナギの背を照らしつけている。
目の前のカイの顔にも深い陰影を作る程のスパーク。
これ以上ここにいるのはさすがに危険だと、恐らくカイの方も気付いているだろうに。
「……お前さぁ、ペルソナの実験が一つじゃないってこと位知ってるよな」
何だかひどくこの場に不釣り合いな調子で呟いて、カイは左手でぽりぽりと頭をかいた。
突然のその仕草にそれでも隙がないことは分かったから、ナギはじっとその姿を凝視する。
「知ってるわ」
「じゃ、遺伝子操作ってのは知ってるか。ウイルス研究の権威ミハイル・ノイマンが中心になって、シュテム創設頃から始まったプロジェクト。……知らない筈ないか」
遺伝子操作。
ウイルスを与えることにより、遺伝子に変化をもたらす研究。
“優秀なドイツ国民”を作り出す為のプロジェクトとして、それはスタートした。
試験管から生まれた子供と母体から生まれた子供、それはあらゆる可能性と危険性とを考慮して進められた研究だった。
「……俺の母親はチガニーでね。生物学の才能を認められてペルソナのプロジェクトに関わってた。遺伝子操作の話が持ち上がった時も、彼女は当然の様に卵子を提供したんだ。その頃強烈な右翼思想の持ち主だったって言うから、勿論ドイツの為に協力出来るならって腹もあったかも知れない」
当時は人種査定の基準も緩く、アーリア人種ではない彼女も審査にパス出来たのだ。
「じゃあ、貴方は」
「ペルソナで遺伝子操作受けた成功例、って訳だ」
「ペルソナを裏切ったの!?」
「裏切ったのはペルソナの方だ。母親が亡くなってから聞いた話だよ、彼女は二度目の遺伝子操作を受ける為に再びプロジェクトに参加したけど、結果は肉の塊になって帰ってきた妹の死体だ。研究の失敗が発覚した後、ペルソナはその死体を別の研究の生体サンプルとして利用して、価値がなくなるとゴミみたいに捨てたんだ。母親には何も知らさずにな」
旧ドイツ官僚の依頼を受けてペルソナが行った様々な研究については、実はほとんどナギ達にも知らされていなかった。
知っているのは自分達が関わっていた記憶操作についてだけで、ベルデを除けばプロジェクトの全容に通じる人物なんて存在しない。
「ペルソナに忠誠を尽くす必要がどこにある? ナギ、今なら間に合う。ハンに来いよ」
「私は」
何を信じれば良い?
真っ直ぐナギを射抜く紫の双眸は鋭く澄み、どうしても嘘をついている様には思えない。
銃を持つ手が震えて、けれど決断が。
“君がもっとも信頼のおけるエージェントだから”
……ひときわ激しい爆発音が響いたのはその時だった。
はっと顔を上げたカイの目に映ったのは、ノイマンの意思を持っていたコンピュータの爆発に誘爆されるシステムの光。
次の瞬間ナギに視線を戻したカイは、そこに立つ彼女の表情に微妙な変化を認めた。
僅かに目を逸らした途端に、彼女の緑の瞳に浮かんでいた動揺は綺麗に消え失せていた。
可愛い制服姿で余りにもそれとは不釣り合いな細身の銃を手にする少女。
それはナギになっていた。ナギ・倉宮ではなく、“ナギ”。
「これで、終わりよ」
なのに。
銃を構えた手がかすかに震えていることにナギは気付いた。
カイもまた、不審を抱いて目を細める。
「……ナギ?」
束の間取り戻した正常。
それなのにナギにはまた分からなくなっていた。
段々と狂い出している、何、か。
(トリガーを引けるか、ナギ)
(引けなくなれば)
仕事の達成は不可能になる。死ぬ。
なのにどうして撃てない?
空の写真立て。優しく触れてくれた手。衰弱して、ナギを殺すならチャンスだった筈のあの時にいたわってくれた人。
(違う!)
この思いは間違っている。
だって全部消してしまえるものだから。
記憶操作であんなに簡単に消してしまえるものが、どうして自分を左右する程大きなものだと言えるのか。
言えない。
それは間違っている。
「ナギ、迷う気持ちがあるなら銃を捨てろ。俺達の敵はお前じゃない、ペルソナだけだ!」
視界の中で立ち上がった姿に向かって、ナギの手の中の銃が渇いた音を立てた。がくんと衝撃がくる。
この時まで、何度も脳裏でトリガーを引いた。いつでも引けた。
ただ問題なのは、何故かカイの淡い紫の瞳を照準に合わせた途端にためらいが生まれたことだ。
一瞬の躊躇でもミスにつながることは必死で、ましてや相手はプロのエージェントだと言うのに。
ナギは、ゆっくりと目を閉じた。
闇に落ちた世界に立ち尽くしたままで。
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