デッド・トラップ > 3

「デッド・トラップ」

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 ナギ・倉宮。二○二一年、二月十日生。
 血液型AB、十四才。
 第三シュテム(ナン)の都市コーンドリア出身で、一九七地区の知事を父親に持つ。
 現在は両親と共に第一シュテム中心部の都ホラン在住。
〈白い塔の学園〉編入試験時の成績はプラスB。
 編入生ながらも特別講義を受ける権利を有するものとする。



「これは」
「今度の君のデータだ。実在の物を買い取った。異例の事態だが前回の件に続いて、君にはある依頼を担当して貰うことになってね」
 ナギ指名で本部からの内線通信があったのは、とある依頼を完了させた後の休暇・訓練準備期間中のこと。
 その時ナギは射撃場での訓練途中で、先に届いていた書類を手にしながら受けたそれは音声だけの通信機を通してのものだった。
「依頼内容は身体チェックの後通知する。従来必要とされる休暇の義務をこちらから放棄させる訳だから、準備は君の肉体・精神値が必要レベルに達していると判断した後行おう」
 ……その組織は“ペルソナ”と呼ばれていた。
 旧ドイツの高官を父に持つベルデ・シュミテンの創設した、エージェントの巨大供給組織である。
 七つのドームの総称・隔離国家シュテム。その建国初期に導入された各ドームの主導源の中央コンピュータの管理、その他行政権などの一切を請け負うべき七つの首脳陣が選任されたのは、SOTEウイルスの脅威から人類がようやく解放された直後のことだ。
 旧アメリカ・ロシア・中国・イギリス・フランス・日本・そしてドイツ。それぞれ失われた国家の元官僚達によって構成されたその首脳陣は、あらゆる人種差別を超越し争いを避ける為に選出された、或いは各首脳陣の暴走を互いに牽制する為に作られた監視でもあった。
 そのバランスに大きな亀裂を走らせた存在が、旧ドイツの病理学者ミハイル・ノイマンだった。
 ウイルスのワクチンを発見し、人類を滅亡の危機から救った英雄の存在により旧ドイツ高官の地位は自然強まり、やがて完全に同一の権力を与えられていた筈の首脳陣達は次第に協調性を失って行くこととなる。
 上層部の冷戦はやがて様々な分野においての波紋を生み、その手足となるべきエージェント集団、もしくはエージェント養成所が各地で創設された。表向きは人々の生活難に対する専門家の協力組織として。
 ペルソナは、数ある組織の中でも最大規模のグループだった。旧ドイツをバックに産業スパイから暗殺まで、様々な依頼を受けると言うその正体については公表されていなかったし、内部で諸実験が行われている事実はペルソナ関係者でさえほとんど知らなかったが。
 通信機に触れた手に力を込める。
 目の高さにある送信機能部に寄って、ナギは一段とその声を小さくした。
「何故、私に依頼が?」
「君が最も信頼のおけるエージェントだから……と言っておこうか。舞台がファーストグラウンドだから、今回は信頼のおける腕と、何より若さを持つ人間が必要なんだ。勿論受けてくれるね? ナギ」



(ナギ・倉宮か)
 ディスプレイに並ぶ言葉の羅列を眺めながら、ナギは知らず吐息を洩らした。
 明かりのない室内の壁には、ディスプレイの放つ微光がちらちらと映っている。
 その下に広がるのは、二つあるベッドの上に散らばる衣類やスーツケースだけ。壁に設置されたクローゼットやドアの横手にあるバスルームそれにWCを除けば、そこはほとんど何もない部屋だった。
 華やかで凝った外装とは対象的に、学園の寮はほとんどこんな間取りになっている。
 恐らく入室者がそれぞれの趣味で内装を改造できる様にとの考慮の為なのだろうが、未だ手の加えられていないその二人部屋の中にナギがぽつんと座っている様子は、どこか頼りなく、玩具の家に住む小さな人形を連想させた。
 ナギがカイの案内のもとここに到着したのは、今からほんの数時間前のこと。
 既に届いていたスーツケースの奥にあった携帯用コンピューターは、着くなり取り出して窓際のデスクの上に乗せている。
 接続を完了させてから、ナギは部屋の明かりをつけることすら忘れてそれに向き合っていたのだ。
 流れるデータは学園に送られたナギ自身のデータ。
 どこをつついても完璧に仕上げられている筈のナギの経歴……ディスプレイの文字を瞳に映しながら、思い出すのは数日前までシミュレイトを繰り返していた架空の疑似人格の内容。それから新たに加えられている暗号データの解析方法だった。
 遅くとも五才までには訓練施設に収容されるメンバーの中で、ナギは唯一施設の中で生まれた子供である。
 特殊な訓練を経た彼女は十代のエージェント達の中では恐らく随一の依頼成功率を誇っており、だからこそ指名依頼が出たのだが……検査の後、無事に仕事につける健康状態であると診断を受けて手にした依頼内容は、確かに高レベルなものだった。

“依頼内容。学園に講師として招かれる病理学者ミハイル・ノイマンの暗殺と、彼を目的として現れる某組織のエージェントの抹殺”

 某組織、と言う場所には勿論特定の組織名が入る。
 不思議なのは、ペルソナ程の巨大組織がいち組織のエージェントをわざわざ抹殺しようと考えていることだった。
(どちらにせよ、ノイマン氏が関わる以上は大事件だわ)
 仕事の内容が内容だけに、今回の仕事には補助メンバーがつけられるだろう。
 つまり自分に対して与えられた信頼は彼らの命分強いと言うこと。
 だから今は、ペルソナのターゲットがノイマン氏であることの奇妙さを気にするべきではなかったし、エージェントが依頼主の意向を知ろうとすることはもとより強く禁じられている。
 今ナギに必要なのは、真実ではなく情報だ。
 暗号データの解析の後、コンピュータで集められる限りの学園内部のデータをハックして、ナギは小さく唇を噛んだ。
 思ったより役立つデータは少ない。
 ノイマン氏の暗殺はそう難しいことではない。しかし彼を狙って動くエージェントを始末する為にも、その時までは彼を護衛し、慎重に行動しなければならないのだ。
 何しろ彼はペルソナの用意した生き餌なのだから。
(ハックして収集できないデータ分は、足で集めるしかないわ。リスクが高くなるけど邪魔が入らないうちに……今夜か、明日)
 現在隔離国家の中にはペルソナが掴んでいるだけでも十以上の組織がある。そして標的のエージェントも勿論、ナギ同様何らかの方法でこの学園に入り込んでいる筈だった。
 データを見る限り大きな事件は起こっていない様子だし、彼らは恐らくノイマン氏が動くのを待っているのだろう。
 ノイマン氏の講義は三日の後に行われる、狙いはその時だ。
(作戦の真意に気付かれる前に、動かなきゃ)
 自分に与えられた人格を完全にマスターし直しながら、ナギは爪を噛む。
(トリガーはまだ引ける? ナギ。いつでも平常心のまま撃てる?)
 何度も繰り返してきた自問。
 唇から指を離し、脳裏に浮かぶ標的をイメージで撃つ。
 暗闇の中響く銃声の幻聴。
 まだ、撃てる。そう思って、ナギは安堵の息をついた。






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