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「デッド・トラップ」

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 編入初日には寮に関する手続きを、そして入寮の翌日に講義選択もしくは専項科目の申込を。
 それらの過程を経てようやく、新入生達は講義への参加を認められる。つまり生徒達の新しい学生生活は入寮の翌々日から始まる計算になる。
 大抵の新入生達はその二日で身の回りの物を揃えたり、寮の様子を探ったりする。
 そして何より大切なのは、講義が始まる前にある程度交友関係の礎を築いておくこと。
 転入生には初日からの五日間生徒会役員の補佐がつくとは言え、その補佐が自分と全く同じ科目を選択するとは限らないし、そうなればより高度な講義内容について行く為に、せめて転入以前の詳しい講義内容を尋ねる相手が必要になる。
 大学までの知識はあらまし組織で身につけていたナギには講義に対しての不安はない。
 本当なら仕事の邪魔になる行為は避けたい位だったが、しかし交友関係の希薄さは別の意味で不自然に取られるかも知れない。
 とりあえず両隣の部屋の生徒とは面識を持った方が良い、と判断して、ナギは講義開始までの二日間のスケジュールに空きを作った。
 ナギの部屋は寮にある四つの階の内、一番上の階のE棟に当たる。組織側の考慮で同室生は居なかったが、室内にあるもう一組のベッドの類には触れていなかった。
 ちなみに室内が殺風景なのは、仕事の邪魔にならない能率的な室内を保とうとした結果である。
(とりあえず)
 室内をぐるりと見回してから、ナギはスーツケースの底に敷いていた無地の布で卓上を覆った。
 その下には薄いコンピュータが不自然ではない程度に隠れている。
(隣人への挨拶を済ませよう)
 明日からしばらく着用する予定のパステル調の茶の制服姿で、ナギはそっと鏡の前に立った。
 壁に内装されたクローゼットの横手の鏡はかなり大きく、全身を映すことが出来る。
 鏡に映るのは、どう見ても“普通の女子学生”ナギ・倉宮の姿。
 長いストレートの黒髪を頭上でまとめ、ぱっちりとした緑の双鉾はナギの奥底にある徹底したエージェント教育などかけらも伺わせない。
 十四と言う年齢を考慮した上ですらいささか小柄なその身体つきにしても、彼女の素姓がその姿と対極を成すものだと認めざるを得ないのだ。
  ……ことん、と奇妙な物音が窓の外から聞こえてきたのは、その時だった。
「おい、ここ開けてくれよ。エ、リッシュっ」
 物音に続く切れ切れの声。
 見れば部屋の窓の下層部からにょっきりと手がはえて、外から何度もその窓をノックしている。
 どうやら誰かが窓の外にいるらしい。
「聞こえてん、だろ。おーいっ。早くしないと、バレそ、なんだ。エリッシュ、ちゃん」
 エリッシュって誰だろう。
 存外冷静な頭で考えながら、ナギは窓に近づいてみた。
 別に開けてやる義理はなかったけれど、どうにも悲壮なその声を聞いていると放っておく気分にもなれず、閉じられたままの窓の外をそっと覗き込む。
 確かここは4Fだった筈だと気付いたのはそのすぐ後のこと……ほとんど手摺りらしいものもないその窓の外に、必死でへばりついている少年の姿を認めた時だった。
 しかもその顔には見覚えがあって。
「カイさん?」
「……て、え? あれ、ナギちゃん?」
 器用に窓の外、パイプを伝って上ってきていたその少年は、先程この寮を案内してくれたばかりのカイだったのだ。
 じっと見つめるその視線の先で、白シャツ姿のカイは悪戯を見咎められた子供の様な表情でパイプにへばりついている。しばしの沈黙の後、口を開いたのはカイが先だった。
「何で、ナギちゃんが、ここにいるの?」
「この場合、それって私のセリフだと思うんですけど」
「あそっか、俺部屋間違えたのかー。じゃあ悪いんだけどさ、ちょっと部屋に入れてよ」
「え……でも」
「分かってる。女子寮は男子禁制だよな。でも俺今しめだされると……お、落ちるっ」
 ほとんど脅迫の様な台詞。
 咄嗟にナギは窓を開け、その隙を付いてカイが室内に入って来た。
 敏捷な動きにナギが茫然としていると、綺麗に着地したカイは嬉しそうに破顔する。
「っわー助かった。ギリギリだよホントにっ」
「……カイ、さん。分かってますか? ここ4Fなんですよ。あんなパイプなんか伝って来て、落ちたら危ないじゃないですか」
「ん。ナギちゃんが部屋に入れてくれなかったら落ちてたかな。それにまー、外の方がちょっとヤバくなってたんで助かった」
「外?」
 何だか聞き流せないその言葉にナギが反射的に窓を覗き込むと、眼下では緑茂る庭の木々をぬって寮母と数人の警備員の姿が幾つも見えた。
 この一様に厳しそうな表情の私服警備員達が、噂の“ノイマン氏特別警護”もしくはエージェント対策の為のプロフェッショナル達なのだろう。
「いやもう、男子禁制なんて聞いたからちょっと忍び込んだだけなのにおーさわぎになっちゃってさ。まいったまいった」
 へらへらと手をひらめかせ、頭までかきながら言うカイに、ナギはカーテンを引きつつ窓に背を預けた。
「……カイさん、部屋を間違えたって言ってましたけど」
「ああ。幼馴染みがこの学園にいてさ。エリッシュってのがそうなんだけど、ここに入れたのもそいつのツテみたいなもんだったし、礼もかねて挨拶に来たんだわ。いちおー」
「ツテって」
「俺、ジャーナリスト志望でね。今回この学園にあのノイマン氏が来るってんでどーしても直接話とかしたくてさ、その知り合いに頼んで編入試験受けさせてもらったって訳……あれ、ナギちゃんどっか悪いのか?」
 不意に話の矛先が変わって、ナギははっと振り返った。
「薬。わー、でっかい錠剤」
 まだほとんど片付けていないスーツケースの中、その一番上にシンプルな小瓶が転がっていた。
 グレーのストールの中に無造作に沈むその瓶には、確かに大きな七つの錠剤が並んで入っている。
「それ、貧血の薬なんです。具合が悪い時だけ飲んでるんですけど」
「へええ……これって鉄分か何かかな。あんまり数入ってないけど、重い貧血って訳じゃないんだ?」
「ええ。寮に入る時、身体検査に引っ掛からなかった程度ですから」
「そっか。でも大変だな、朝とか辛くない? 俺なんか血の気多いのに起きらんなくてさ」
「ですから、これ」
 さりげなくストールを小瓶ごと丸めて端に寄せると、ナギはスーツケースの底から古びた丸い銀の目覚まし時計を取り出した。
「旧式だけど、この位耳障りな音じゃないと目が覚めなくて」
 薬の小瓶は、もうカイの視界には入らないだろう。
 珍しいアンティークの時計に気を取られたカイに内心ほっとしながらも、そんなことより、とナギは腕組みになった。
「……まだ部屋の中、片付いてなくて。あまりじろじろ見ないで下さい」
「だな。ご免、女の子の部屋なんて滅多に見ないもんだからさ。でも造りは男子寮と同じになってんだー……ってそんなことよりエリッシュだった! ナギちゃん、この辺の部屋の生徒のこと知ってる?」
「と言われても……」
 さっき部屋に到着したばかりなのだ。と言いかけて、ナギはふと思い当たった。
(隣にエリノアって言う名前の人がいた筈だけど)
 左隣は空き部屋で、右隣の部屋には一月前から学園に通っている生徒がいるのだとミストリアが言っていた。
 データを思い返しても、この辺りで“エリッシュ”と呼ばれそうな生徒はその少女くらいだったように思う。
「あの、エリッシュさんて」
「エリノア・メーベって言うんだ。同室の奴が今風邪ひいて医務室に入ってるって聞いたんで、こっそり来たんだけどさ」
「それじゃあ、隣みたいですね。あ……の、私今から隣室の方の所に挨拶に行くつもりだったんですけど、ご一緒して良いですか?」
「へ?」
「昨日生徒会の方に名前を伺ってたんです。寮の方とは早く親しくなった方が良いって」
「ああ……あいつ結構問題児で通ってるからなー。ナギちゃん心配されてんのかも」
 適当に言った筈が意外な言葉を返されて、ナギはきょとんとする。
 けれどカイはほんの数歩で部屋を横切ってしまうと、
「じゃあ行こっか……お、廊下今なら誰もいないみたいだな、チャンスチャンス」
 何だか妙な人間と縁を持ってしまったかも知れない。
 ドアの隙間からきょろきょろ外を眺めている少年を見つめながら、ナギは知らず苦笑してしまった。




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