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「デッド・トラップ」

<6>
 夜の青い冷気が沈殿した会議室の中。
 壁に配列された窓から入る月光だけを明かりにして、クレス・ダフィルトはじっと窓辺に佇んでいた。
 かすかに耳鳴りが響いてきそうな程の沈黙の中、照らされた陶器の様な美貌には何の表情も浮かんでいない。
 やがて機械的な音を立てて会議室のドアが開くと、そこには新たに栗色の髪の少女が現れる。
「……会長」
「ああ、ミストリア。来てくれたんだね」
 そっと声を掛けると、クレスは薄い笑みを浮かべて振り返った。
「こんな時間に済まなかった。寮の方は大丈夫だった?」
「明日からは講義が始まるので、同室のタミアはもう眠っています。寮母さまにも気付かれない様に裏口から出てきました」
「もし気付かれても、僕から話しておくから平気だよ。それよりこれを」
 広い会議室には円形のテーブルと幾つものパイプイスが並んでいる。
 かたい革靴の音を響かせてそちらに近づくと、クレスは卓上にあった淡いパープルの封筒を手に取った。
「渡しておこう。目を通してくれないか」
「は、はい」
 震える手で受け取ったその中には、数枚の紙束とフロッピーディスクが入っていた。
 まず資料らしき数枚の紙に目を通すと、ミストリアは不安げな顔でクレスを見上げる。
 そうして。
 しばしの後、ミストリアの口からもれたのは不安げな声。
「あの……会長。これは一体」
「何か問題でもあった? この資料は生徒会役員の者にしか配布されていない極秘のものだから、質問があるならこの場でだけ聞くよ」
「そ、それではお尋ねします。この資料ではもう既に、ノイマン氏が学園内にいらっしゃることになっていますが……私の知る範囲でその様な報告は一切入っておりません」
「いや。彼は確かにこの学園の中にいる。君も知っているね? ノイマン氏がこの学園で講義される、つまりはシュテム建国以来初めて人前に姿を現すこととなる……それが、どれだけ重要な意味を持つのか」
 月明かりを背にしたクレスの表情は、形の良いその目鼻を縁取る陰の中で判断がつきにくい。
 不安の色を隠せないまま資料に再び視線を落とし、ミストリアは震える声で呟いた。
「か、彼の立場の重要性についてでしたら、勿論私も了承しているつもりです」
「様々なエージェントがこの学園に入り込んでいることも?」
「予想は、つきますわ」
 ごくんと息を呑むと、ミストリアは両腕に資料を抱えながら返答した。
 彼女もまた、生徒会のメンバーなのである。
 隔離国家シュテムの実態については一般生徒より詳しいし、そうでなくともエージェントの役割について少しでも理解しておれば、今回のノイマン氏の講義について各首脳陣がどう動くのか位すぐに予想できただろう。
「だからこその処置だったんだよ、今回のことは。……詳しい彼の所在地や講義に関するデータはそのフロッピーの中に入っている。勿論この学園への来訪手段等もね。君にはこれら全てのデータを厳重に管理した上で、生徒会役員としての役割を果たして貰いたい」
「ですが」
「ミストリア、そうかたくなることはない。所詮学園はやり直しのきくシミュレーション・スペースでしかないし、何より君は優秀な人材を集めた、この学園の頭脳たるべき生徒会役員のメンバーじゃないか」
 ミストリアは俯く。
 彼はつまり、誇りと自信をもって行動しろ、と言いたいのだ。
 この学園はただの教育施設ではなく、常に自らを試され、将来進むべき道を他者により選定される実験の場でもある。
 そして今こそミストリアは試されているのだ。クレスの出した問題にどの様な解答を示すのか、を。
「……良く分かりました、会長。早速部屋に戻って、この中のデータを確認して参ります」
 深々と礼をすると、ミストリアは資料を手にその場を立ち去りかけた。
 けれど次の瞬間、何事か思いついた様子で動きを止めて、緩慢な動きでクレスに向き直る。
「あの、会長。この資料は、生徒会役員全員に渡されたんですよね」
「……何故?」
「その……他の役員の方にも、こんな風に……こんな形で、手渡されたのかと思って」
 こんな時刻の、こんな場所で。
 ほんの少し頬を染めて呟くミストリアの姿に、クレスの身体がすっと動いた。
 やがて白い手がミストリアの栗色の髪にそっと触れて、赤くなった耳許に小さな囁きが届く。
「実は、他の役員達にはまだ資料を渡していないんだ。けれど君が何か不快に思ったのなら、この方法は使わないでおこう」
 月光の作る二つの影が、部屋の床の上で僅かに近づいた。
 けれどそれは束の間の出来事。
 次の瞬間、二つの影は驚くべき勢いで離れていた。
 正確には、ミストリアの側から。
「あ、あのっ。それでは私、失礼いたします!」
 ちぎれそうな叫びを残し、真っ赤な顔に涙まで滲ませたミストリアは、資料の入った封筒を鷲掴みにして会議室を飛び出して行った。
 後に残ったのは、冷たい表情を浮かべるクレスただ一人……否。その時くすくすと響いてきた含み笑いに、クレスはゆっくりと電子掲示板を振り返った。
「ナイティラ。その態度はミストリアに失礼だとは思わないか?」
「私は会長の人の悪さを笑っただけで、何もミストリアを笑った訳じゃないもの」
 かたん、と。
 丸テーブルの中央、会議室の真中に浮かぶ電子掲示板の影から、長身の女性が姿を現した。
 腰までのびた長い赤髪を揺らせて笑う彼女こそ、生徒会副会長のナイティラ・サンダーである。
「本当に人が悪い。あんな可愛い子をからかうなんて」
 ほとんど音も立てずかろやかにクレスの前に立ったナイティラは、彼よりも幾分か高い位置からその美貌を見下ろして、軽くしかめつらを作って見せた。
 高い位置……とは言え何もクレスの背が足りない訳ではなく、彼女がずば抜けて長身なだけなのだ。
 そのスタイルの良さと長身とをかわれた彼女は、過去にモデル経験まである異例の生徒会役員で、そのあっけらかんとした性格と他者を圧倒する大胆な態度のお陰か、今ではクレスに遠慮ない態度を示せる唯一の生徒でもあった。
「それにしても、貴方って本当に意地が悪いわよね。いきなり機密情報を渡して厳重に管理しろ、なんて言うんだもの、ただでさえ責任感の強い子なのにガチガチになってたわ」
「君くらいずうずうしい方が、きっと彼女は大成するだろうにね」
「お言葉ねえ。貴方じゃなかったらひっぱたいてやるところだわ……この綺麗な顔は、ちょっとの短気じゃぶてないからね」
「そこまでさっぱり言われると、逆に言葉をなくすな」
「私って物好きだから、貴方のそう言う所も結構気にいってるけど……でも私にまで秘密を持つのはあんまりじゃないの? ファーストグラウンド生徒会会長さん」
 言葉を区切る様にはっきり言うと、ナイティラは軽くクレスを睨んだ。
「ねえ・何故ノイマン氏がこの学園に来るのか、この私が知らないとでも思ってるの?」
「この学園はシュテムでも随一の……」
「ほら、またを嘘つく。この学園は特別だわ、プロジェクトの一環でもある教育施設なんだもの。でもノイマン氏の目的は、栄光あるドイツの為の講義にある訳でもなさそうだし」
「ナイティラ。口は災いのもと、と言う古語を知っているかな」
 挑む様な口調で続けていたナイティラは、底冷えする様なクレスの声にはっとした。
「ク……レス」
「僕はまだ子供だから、絶対的な支配を敷くつもりはないし、出来れば君の様な才能を持つ人間とは肩を並べて学んでいきたいと思っている。だけど簡単に失敗を犯す様な人間は必要ないんだ。そんな素振りは、頼むから見せないでくれないかな」
 美しい容姿はまるで人形の様、成長途中にある姿は女性と見まごうばかりのものだったけれど……それでも彼は確かに指導者なのだ。それも随分と凶暴な支配欲にとらわれた。
 軽く唇を噛んでから、ナイティラは深く溜め息をつく。
 口だけではない、彼は確かに邪魔なものを排除するだけの力を持っている。
 そうして、ナイティラはまだ排除される訳にはいかないのだ。
「……御免なさい。調子に乗り過ぎたみたいね。だけど最後に一つだけ、ヒントを頂戴」
 言えば、クレスの口もとにようやく暖かい笑みが浮かんで。
「彼から……貴方の尊敬するあの人から、連絡が入ったのね? エージェントの件について。貴方は掌握している筈だわ、この学園に潜入した彼の“遣い”のこと」
「僕が知っているのは一人だけどね。あの方は多くを語らないから」
「何か分かる目印があるんでしょう。教えてよ、その遣いが誰なのか」
 ヒントだけ、と念を押したばかりのその口で言うナイティラに、クレスは短く返答した。
「ナギ・倉宮。ミストリア受持ちの編入生だ」





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