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「ジリエーザ」

<9>
 ベルデとの面会を申請すべきだろう。
 だがその前に彼のスケジュールを調べて(この程度のハックは俺だって否定しない)空き時間を狙う方が良いだろうと判断した俺は、すぐにコンピュータを立ち上げて、呼び出したデータをじっくりと眺めた。



     【午前七時・シュテム内閣トムハンド氏と朝食予定   
        九時・候補生の検査立会
        十時・セルス事件報告会議
        正午・ダフィルト夫妻との昼食会後,交渉会談…………】



(ダフィルト?)
 データ検索途中で、俺はその一文にじっと見入った。
 ダフィルト。
 この後のスケジュールは四時まで空いており、ベルデが会見に非常な時間を裂いているのが気に掛かった。
 ダフィルトと言えば、大抵の者が知っている旧ドイツの名門家だ。
 何よりその資産はシュテムでも類を見ない程のものであり、シュテム建国の際にかなりの出資を行った為、彼らの内部での発言力は絶大なものとなっていた。
 少しずつその勢力を拡大するダフィルト家を危険視する関係者も多かったが、それでも彼らが排斥されないのは、何と言ってもダフィルトの資産なくしてはシュテムの管理運営が成り立たないからだろう。
 金融業にも手を出す彼らを、例えるのなら二十一世紀のロスチャイルド家とでも言うべきだったろうか。
 ただ一つ違う点は、ロスチャイルドはヒトラーの独裁政治に迫害を受けたが、今のダフィルトを迫害するまでの勢力・敵が現時点では存在しないこと。
 否、生粋のアーリア人でありナチズムを匂わせる思想をすら持つ彼らでは、ロスチャイルドに例えられることに嫌悪を示すかも知れなかったが。
(そのダフィルト夫妻との交渉となれば、やはり金、か)
 政府の失態は個人資産の管理を杜撰にしたことだ。だからこんな連中がはびこる。
 不機嫌にハックを中断し、俺はコンピュータの電源を乱暴に落とした。
 ペルソナの財源は、案外旧ドイツの官僚からではなく、こうした富豪の名門家を源としているのかも知れない。
 俺はまだ一度しか対面していないが、ベルデが噂通りの人物であるのなら、一部に残る上流階級の人間を相手にする社交術などお手のものだろう。
そう言えば彼に関しても分からないことが多すぎる。
 様々な説話を残す程のVIPでありながらデータが少ないなんて、まるでミハイル・ノイマン並の存在だが、身の保全を計る為に自分の行動・経歴の一切を伏せるのは今の国家官僚達の常套手段だったから、これはさして珍しい話でもない。
 俺は部屋の鍵をかけると早足で歩き出した。
 目指すは勿論K29区。
 トレーニングルームに組み込まれる射撃場に向かういつもの廊下で、だが俺は目的地にたどり着く前に足を止めることになった。
 ……聞き慣れた女の声が、通路の向こうから聞こえてきた為だ。
「……話が違うわよ、どうなってるの。このプロジェクトは慎重に進めてるって話だったでしょう、だから私だって……」
「落ち着いて下さい。そちらにまで危害が及ぶことはまずありませんから」
「あの二人にもそう説明した筈じゃなかったの。なのに!」
 ルティカ・ノイマンの声だった。
 小声ではあるものの、ひどく激昂した調子で誰かと言い争っている。俺はその声が右折した通路から聞こえてくることを確認すると、そっと近寄ってそこに立つ二つの影を覗き込んだ。
 彼女……ルティカ・ノイマンとは、コンピュータルームの件以来良く顔を合わせる。
 彼女が俺の何を気に入っているのか知らないが、いつも隣にいる男を変えている割には俺への執着が過ぎる様子で、ペルソナ内部では密かにルティカと俺との親密な関係の噂がとりざたされているらしい。
 ……迷惑な話である。
 何より俺の貴重な自由時間に顔を出すのはともかくとして、双子が居る時を狙って姿を現すのはどう言うことだろう。こちらはアインの不機嫌が増すので後が大変なのだ。
 だが、こんな様子のルティカを見るのは、俺も初めてだった。
「ルティカ。お分かりでしょうが、我々は同じ失態を繰り返す訳にはいかないのです。今回の件は勿論、二年前のあの事件を背景にしています。第一あの親子があんな真似を……」
 話しかけていた研究員らしき白衣の男が、ふと気付いて口をつぐんだ。
「……とにかく、こちらには十分な用意が出来ています。貴方は安心して我々にナシェルを預けて下されば」
「あの子はレベル2だと聞いているわ。今のところ一番の成功例の筈ね。それを失うなんて馬鹿な真似はしないと、信じてるわよ」
 ルティカの脅す様な声に、研究員はわざとらしく咳払いをする。
 口を慎め、と言う意味なのだろうが、ルティカはそんなことで黙り込むタマじゃない。
「私達には切り札があるってことを忘れないでね。このプロジェクトに参加したのは私の意思からだけど、お父様が離反すればここだって」
「ルティカ!」
 声がやんだ。
 束の間の沈黙がその場に落ちて、更に移動目的とは思えない、同じ場所で繰り返される足音が聞こえてくる。
「……いいわ。そこまで言うのなら、信用しましょう。でも私は一人じゃ倒れないからね」
 ようやく足音が止み、しばらくしてからドアの閉まる軽い機械音が響いた。
 辺りを支配した沈黙は人工的なもので、それでようやく俺は息をつき、気配を殺したまま壁に背を預けることが出来たのだった。
 ルティカがこのペルソナを訪れるのは息子と面会する為。
 そして以前アインが話していたことが本当なら、この付近にある筈の“子供が大勢いる”施設。
 プロジェクトと言う言葉を交えただけで、それらの言葉があっさりと形を整え出す。
(子供を使った研究か。ロクなもんじゃないな、そんなものは)
 ペルソナには他組織に比べて著しいまでの特色がある。
 それはあの悪名高きヒトラーの提唱したアーリア人至上主義を、ささやかながらも受け継いでいると言う点だ。
 勿論それはペルソナばかりでなく、その宿主である旧ドイツも然りで、密かに外国人排斥の動きを見せるグルーピーの存在さえ認められる昨今(これが疫病以後の話なのだから、全く情け無いことだ)実は俺がベルデ代表からの招待に驚いた理由の一端もここにあった。
 言うまでもなく、俺はどう見ても生粋のアーリア人種じゃなかったから。
 内部に入って初めて顕著な外国人差別は存在しないらしいと知ったが、それでも彼らがそうした思想のもとに行動していることは否めない事実で、そんな状態のペルソナ内部で子供を集めて進められている研究があるのだとすれば、思いつく内容は限られてくる。
 ヒトラー時代にだって考えられていた遺伝子に関する研究、つまりは遺伝子操作だ。
 彼らが望むのは恐らく、より優秀なアーリア人種を作り出すことだろうから、あらゆる研究が推し進められているペルソナじゃそんなプロジェクトの一つや二つ、あっても不思議じゃない。
 多分このセンで考えて、それ程外れちゃいないだろう。
 もしかしたらアインとフィアーもその辺りに関っているのかも知れない、そんなことを思った瞬間、俺は背後に気配を感じて咄嗟に振り返っていた。
「……わっ」
 眼前には誰もいなかった。
 だが小さな声が下から聞こえて、見下ろせばとても低い位置に映る姿がある。
 俺はわずかに緊張していた身体から力を抜いた。
 そう、そこにいたのはまだ幼い少年だったのだ。
 少年はきょとんとして俺を見つめている。
 束の間、例の施設に集められた子供の一人だろうかと思ったが、それにしては身なりが良いので違和感があった。
 黙って立っていても品の良さそうな雰囲気が伺えたし、じっと眺めれば、ひどく綺麗な顔立ちをしていることも分かる。
「ここで何を」
「すみません。ぼくこちらは初めてなんですけれど、迷ってしまったみたいで。もしよろしければ、ここがどの辺りなのか、教えていただけないでしょうか」
 おっとりとした、やはり育ちの良さそうな物言いに、俺は密かに眉をひそめた。
 実を言うと声を聞くまで男なのか女なのか分からなかったのだが……と言うより中性的、と言うのだろうか。
 俺に変な趣味はないが、それでもまじまじと見つめてしまうほどの何かが、その子供にはあった。
「あの……」
「ああ、済まない。迷子なら、見覚えのある場所まで案内した方が良いだろうな」
 ひどく居心地悪そうに呟いて俯く少年に、俺はようやくまともに言葉を返した。
 それに安心したのだろう、少年はぱっと花が開いた様に微笑む。
「ありがとうございます。でも、あなたも何か御用がおありなんじゃないですか」
「いや、急がないから良いんだ。ここには一人で?」
「父と母がいっしょです。でも大切なお話があるとかで、邪魔しちゃいけないと思って」
 子供らしい仕草で気難しい表情を作ると言う芸当をやり遂げたこの少年に、俺はほんの少し好感を持った。
 何せここで会ったのはアイン達の様な特殊な子供ばかりだったから、子供が子供らしい様子で居るってのが……それは一般的にはごく普通のことの筈なのに……ひどく安心出来る気がしたのだ。
「分かった、それじゃあ、その両親のいる場所の近くまで送ろう。それなら迷わないな?」
「はい。本当にたすかります」
 礼儀正しくそう言って、少年は天使の様な繊細なその顔に、心底からの喜びを顕にした。
 それにしてもこの区域でうろうろしていたと言うことは、つまりこの少年が最初から重要区域にいたことを意味している。
 Kのつく区域にはそう簡単に外部から入れるもんじゃないからだ。少なくともこんな子供には……となると、この少年も関係者の息子か何かと言うことになる。
「それで、最初はどの辺りに居たんだ? どこか特徴は」
 問われて、少年は小さく首をかしげる。
「いつもの部屋です。さいしょはお昼をごちそうになったんですけれど、その後はミスタベルデと両親とがめんかいする時、いつもしようする部屋の……」
「面会? 君のご両親は、ベルデ・シュミテンと面会中なのか」
「はい。ミスタ・ベルデはとてもすばらしい方ですね、ぼくそんけいしています」
 訪ねても居ない言葉を嬉しそうに口にする子供を見ながら、俺はベルデが面会時に使用する部屋の並びの幾つかに向かって歩き出した。
 その隣を少年もひょこひょこついてくる。
「……それで、君の名前は」
「あ、すみません。ぼく、まだ名乗っていなかったんですね」
 警戒の全くない無邪気な顔で、子供は俺をじっと見上げて、言った。
「ぼくは、クレス・ダフィルト、といいます」





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