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「ジリエーザ」

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 爆薬物取扱中の実験室は、防壁に包まれた幾つもの部屋の内に存在する。
 大抵は訓練生や候補生が使用する場所だが、ペルソナの施設だけに中で行われるのはかなり高度な実験ばかりで、それを考えるとこれすらも少し甘いかも知れないと思う程度の装備だった。
 プロ並の腕前なのだと当初ベルデ代表が話した通り、アインとフィアーは爆発物の取扱についてもかなり高度な知識を身につけていた。
 良く考えてみればそれはどの科目に関しても言えることで、身体の小ささなどのネックはあったものの、二人のプロ顔負けの成績を見ていると確かに、後は実技訓練を待つばかりだと意気込むアインの気持ちが良く分かる。
 厚いガラスの向こう、二人並んで爆発物をいじる姿を眺めつつ、俺は未処理の訓練用爆発物に向き合っていた。
 時折ちらりと無心になって爆発物を組み立てている二人を眺めるが、表情を抑えて真剣になっているその様子は、もうどちらがどちらなのか見分けがつかない程だ。
 名を呼ぶか、どちらかが反応を返す様な真似をするか、と言うのが今では唯一の判別手段だった。
 だが久しぶりに距離を置いて二人を見ると、不思議とアインとフィアーの見分けが可能になっていることに俺は気付く。
 目の色だ。
 じっくり見ないと分からないが、同じ緑の瞳はアインのそれの方が淡い感じがする。
 最初は光の加減だと思っていたが、どうやら元からの色素によるものだった様だ。
 それにしたって似過ぎている。しばしの後腕時計を確認して、俺は解体処理の済んだ爆発物をわきにどけた。そう、酷似なんてもんじゃない。まるでクローンだ。
 爆発物などを扱う際、もっとも必要になるのが集中力だ。
 訓練期間を過ぎてもこう言った分野にはしつこいまでの注意が要されるから、当然俺も時間を計って適度な休息を二人に与えている。
 新品の工場の様なその部屋から出てきたアイン達に、俺は買っておいた飲料水を渡してやった。
「十五分の休憩だ」
「やったっ。ありがと、トキ」
 返事は勿論アインのもので、フィアーは相変わらず無言のまま小さく頭を下げている。
 それはいつもの見慣れた光景だったのだが、飲料水の缶を口にあてがっていた俺は、ふと視線を落とすフィアーの様子に気付いて動きを止めた。
 フィアーの瞳にあるのは小さな不安と迷い。
 それからちらりと俺を見て、珍しくそのままじっと俺を見つめてくる。
 何か俺に言いたがっている。そう分かったから、ゆっくりと近づいた。
「何だ?」
「……トキ、は」
 小さな声は今にもとぎれそうな程で、まるで喋り慣れていない様にたどたどしい。
「どうして、ここに来たの?」
 隣のアインもフィアーに注意を向ける。
 缶を口に当てたままのその視線に、フィアーはまるで息をするのが苦しい様に目を細めた。
 何となく、見守っていないと今にも消えてしまいそうな。
 フィアーはそんな空気を常にまとっている。
「どうして、とは?」
「トキはもともと違う組織に居たんでしょう」
「組織を抜けたんだって聞いたよ、あたし。違うの?」
「……違わない」
 フィアーの質問に便乗してくるアインの声に、俺はそっと言葉を吐いた。
 これだけ長い時間を共にしていたのに、俺が身の上らしきものを尋ねられたのはこれが初めてだった。
 どれだけ親しい素振りを見せても、結局は技術を吸収する為の媒体、それが二人にとっての「俺」なのだ。少なくとも俺はそう理解していたし、当然二人もそう思っている筈だった。
 そんな互いに、過去の説明なんて必要ないものだ。
 答えをなかなか口にしない俺に、再びフィアーが尋ねてくる。
「組織を出るのはいけないことだって、ベルデはそう言ってた。トキは凄く腕の良いエージェントだったのに、って」
「まあな。でもどう仕様もないことって、あるものなんだよ」
「どう仕様もないことって何よぉ。質問の答えじゃないよそれっ」
「……じゃあ宿題にしとこう。お前達もプロを目指すなら、こう言ったことは自分でデータを調べるべきだな。少なくともこの先はそれが自分の勝敗を分かつ様になる。負けるってことは、つまり死ぬことだ。自分で調べる能力のない奴は死んでも仕方ないんだ」
 自分の過去のデータのハックを宿題にする教官なんて、今までいただろうか。
 何となく情け無い気持ちになりながら喋るだけ喋って無言になった俺に、けれどまだフィアーはじっと視線を向けてくる。
 一体何なんだ?
「……人を、殺すのね」
「え?」
「プロになるって、人を殺すってことなんでしょう。それってどう言うこと?」
 思わず硬直してしまった。
 何を今更、そんな気分だった。
 これまで俺は、短いながらも十分な訓練を二人に強いてきた。射撃ばかりではなく講義的な面に関しても、だ。
 その中にはエージェントとしての心構えも自決の為のマニュアルも、当然ながら存在していた。
 彼女達はつまり、根っから“人を殺す”ことを意識的にインプットされている候補生なのだ。例え特殊な迄に幼い候補生なのだとしても、その事実に変わりはない筈だった。
「依頼は人を殺すことばかりじゃない。ガードの依頼もあるし、単純な人捜しの依頼もある。その過程で必要なら殺しも加わるだろうが、そんな説明なら今までにも十分……」
「でも。知ってるけど、分からないの。人を殺すことがどう言うことなのか、分からないの。今までずっと分からないままできてしまったけど、そのままで良いのかな。ほんとに分からないままで良いのかな」
 繰り返すフィアーの言葉は、すぐには答えを返せない程に切実だった。
 声の調子には変化がなく、ただ耳にするだけでは余程情感のないものに思えただろうが……だからこそ俺は考えずにはおれなかった。
 アナーシアを失った頃の、愚かだった自分のことを。
 実感と知識とはまるで違う。
 自分の中で組み立てられた説明も、感情と理性が個別に存在している様に、実感の前では何の意味もなくなってしまうものだ。
 つまりフィアーは俺よりも利口なのだろう。
 知らずにいることを不安に思えるのなら何も疑わずに命令のまま動く人形ではない、少なくとも彼女は。
「……殺すってことは、人の命を奪うってことだよ、フィアー」
 俺は慎重に言葉を選んで、じっとフィアーを見つめた。
 視線の先で彼女は隣のアインに寄り添う様にして、視線を返してくる。
「それって同じことじゃないの、トキ。フィアーの言ってることの答えじゃないよ」
「同じことだけど、全然違うことだ。命を奪うってことは、その人の時間を奪うことなんだ。その人の持つ全てを、過去も、未来も、家族も、恋人も、可能性も、夢も、絶望も、希望も。本当なら存在した全てを壊してしまうことだ。それは俺達が想像している以上に大きくて重いことだし、罪深いこと……なのかも知れない」
 二人の小さな子供は、俺の言葉に揃って怯えの色を瞳ににじませた。
 実際、それまで教えてきた全てを否定する様なその言葉に、ショックを受けない方がおかしかった。
「だけどそれでも俺達は人を殺す。依頼を受けて命を奪う。大切なのはそれがとても大変なことなのだと理解していることだ。それだけで、全然違う。少なくとも自分の心には」
「……どうしても、殺すの?」
「理由があるなら殺さずに済むかも知れないな。ターゲットを前にした時にまず考えてみると良い。利用価値があるかどうか、それだけの理由があるなら奪わずに済む。これは俺の持論だが、無暗に失うよりずっと良いことだと思う」
「じゃあ、トキは理由がないから殺してきたの? 今までの人みんな」
 俺は言葉を失った。どう答えれば良かったのだろう。
 アナーシアの全てを奪った時、俺はそこまで考えて行動していただろうか。
 そこにあったのは俺自身の言い訳と欺瞞ばかりではなかったと、果たして言い切れただろうか。
 また無言になってしまった俺に、今度はアインがぽつりと呟いた。
「あたし、教官が死んだ時悲しかったよ。そりゃ、いやな奴もいたけど、皆あたし達に何かくれた人達だもん。あれと同じなの? 殺すって、あれと同じこと?」
「……そうだな。同じなんだろうな、誰かにとっては」
「利用出来るものは利用するってルティカが前に言ってたけど、あれってそう言う意味もあるの? だとしたら……ルティカは分かってて利用してたの?」
「それはどうだろう。どちらにせよ、誰にも自分一人の真実ってものがある」
 あたしにもあるのかな。そんな声が小さく届いたが、あんまり小さすぎて、アインのものなのかフィアーのものなのかは分からなかった。
 どちらにせよ俺に返せたのは答えではなく、ただの沈黙だけだったのだが。
 迫る実技訓練の不安は確実に、二人に食い込んでいた。
 だがこの時俺はまだ、何も知らなかったのだ。
 ……俺の口にしたその言葉こそが、二人のこれからを大きく左右してしまうことを。
 未来に待ち受けているものの、その正体でさえも。






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