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「ジリエーザ」

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「口封じかも知れない」
 小さな呟きに、俺ははっとした。
「何の為の」
「貴方が知らない筈ないわ。ベルデに直接聞いたんだもの、貴方は真相を知る数少ない外部のエージェントなんだってね。SOTEウイルスが何故突然世界を席巻したのか、それから父の愚行の数々のことだってそう。貴方は全部知っているんでしょう!?」
 ……確かに。
 と、俺は変わらない表情の下でルティカの言葉を認めた。
 確かに俺は知っている、ペルソナと旧ドイツとの恐ろしい企みを。
 いや、もしかしたらそれはベルデ・シュミテン一人の生み出した悪夢だったのかも知れなかったが……悪夢と呼ぶに相応しい行いのことを。


 昔話だ。
 ある病理学者が研究中に偶然生み出してしまったウイルス。
 引き続き行われた研究の末、より進化した新種ウイルスを生み出した学者は、やがて国家の支援を受けてその分野の研究を進めていく。
 やがてそのウイルスが人為的に世界にばらまかれた時、既に彼はそのワクチンを発見していた。
 否、SOTEウイルスの変異の規則性は、そもそもノイマンがそうなる様に操作しておいたものだった。
 故に彼はウイルスが次に起こすであろう変異を完璧に予測し、その都度ワクチンを作り出すことが出来た。
 全ては始めから仕組まれていた『惨事』だったのである。


 史上最悪のウイルスと、そのワクチン。
 二つ並んだその武器に、古代じみた馬鹿げた理想が重なって世界は地獄を味わうことになった。
 ナチスが世界に知らしめたアーリア人至上主義と言う思想は、外国人排斥や小規模なグルーピーの存在などと言う形で世紀末から延々続いていたことだったが、まさかその為にウイルスを操作して人類を滅亡寸前まで追い込む人間が居るなどと、果たして誰が想像しただろう。
 不必要な人間の整理。劣等民族の排除は、そのウイルスによって行われた。
 ウイルスが進化するごとにノイマンのワクチンは開発され、それが与えられるのは計算された末の『有益な』人間だけ。
 やがて荒廃した地上には七つのドーム、隔離国家シュテムが建設されたが、その地こそが旧ドイツの描いた野望そのままのアーリア人種の理想郷であったのだと……予想出来る筈がなかった。
 誰一人、気付く筈がなかったのだ、そんな馬鹿げた話を。
 だが真実だった。
 SOTEウイルスは名もない病理学者が……ミハイル・ノイマンが生み出したものだったのだ。
 ……それは隔離国家シュテムの政策方針をすら覆すまでの、恐ろしい真実。
 全ては旧ドイツとベルデ・シュミテンの手のひらで行われた、小さな劇の一幕。
「父はずっと後悔していたのよ、何故あんなことに協力してしまったのかってね。だからペルソナが“ウイルスを利用した遺伝子操作”の研究を考案した時、父は協力を決意した。ペルソナの思惑なんて少しも理解出来ずに、遺伝子治療にも通づるプラス志向の研究内容を知って、せめて少しでも償いが出来ればと思ったのよ」
「じゃあやっぱり、遺伝子操作プロジェクトはミハイル・ノイマンを中心として進められた、ペルソナの機密プロジェクトなんだな」
「それだけじゃないわよ。ペルソナには幾つもそうしたプロジェクトが存在している。でもその全てを掌握するのは、ベルデ・シュミテンただ一人なの」
 あの……あの男。
 俺は改めて、あの食えない男の顔を思い出していた。
 レキの受けた新しい仕事。もしルティカの恐れが的中しているのだとすれば、あれがミハイル・ノイマン暗殺を示唆していたのではなかったか。
 もしそうであれば、それは確かに“デカイ仕事”だろう。何せ国家の英雄の暗殺なのだから。
「だがノイマンの死に関する情報は、ペルソナ内部にすら出回っていない」
「時間をおいて発表するつもりなんだわ。多分報道陣の流す情報では、父の死は心不全の類になっているんでしょうね。幾らかペルソナも不便な思いをするでしょうけど、遺伝子操作の研究に反対し始めていた父をそのままにしておくよりはマシだもの」
「反対?」
「そう。父は元々私の子供に遺伝子操作を施すことにも難色を示していたの。当初張り切って臨んだそのプロジェクトが、結局はナチズムの延長にあるものでしかないと知った時から、父は研究に対する情熱を失ってしまっていたわ。それなのに私、父に黙ってプロジェクトに参加した」
 吐き捨てる様に呟くと、ルティカは両手で顔を覆った。
 洩れる声は震えていたが、本当に泣いているのかどうかは分からなかった。
「でも父が死んだとなれば、私もナシェルも後ろ盾を失ってしまう。あの父が暗殺されたのなら、私達だっていつ処分されるか分からないもの。だから逃げようと思ったの、遠くへ……せめてペルソナのあるナン(第三ドーム)から離れなきゃいけないって。でも多分ベルデは気付いてる。私の考えに気付かない筈がないもの、あの人が」
 ルティカを覆っているのは、未知への恐怖だった。
 彼女を今まで支えていたのは絶対に揺るぎない国家の英雄・ミハイル・ノイマンを血縁者に持つと言う事実で、その後ろ盾は消える筈のないものだったのだ。
 少なくとも、これまでは。
 なのにペルソナはそのミハイル・ノイマンを殺した。
 まだ確認は取れていないが、彼女は恐怖から逃れる為にありとあらゆる手段を用いて父と連絡を取ろうとした筈だから、それが全て無駄足に終わったのならそうなのだろう。
 とにかくペルソナには“絶対のもの”なんて存在しないのだと、ここにきてルティカにもようやく理解出来たのだ。
 奴らは無差別的に命を奪う。
 多分今のルティカにとってペルソナはそうした存在だ。
 だから恐い。安全だと思っていた道が実は崖っぷちにあったのだと、ようやく彼女にも分かったのだから。
 相手の思惑が闇の中にあるその時に、与えられる恐怖を取り払う方法を、ルティカは知らない。
「トキ。貴方……本当に刺客じゃないの?」
 疲れた様にルティカはそう繰り返した。
 俺は小さく首を横に振ると、
「信用出来ないだろうが、俺は本当にお前の様子を見に来ただけだ。ついでに言うなら今日一日は休みを貰っている、ぎりぎりまで一緒にいてやれるが?」
 言うと、ルティカの顔がようやくこわばりを解いた。
 力が抜けたのか、すとんと背後のソファにもたれかかる。
「大丈夫か」
「……ええ」
「何か飲んで落ち着くんだな。立てないなら俺がコーヒーでも入れてやるよ。勿論インスタント位すぐ出せる場所にあるんだよな」
「待って」
 制止する声に足を止めると、がらんとした家具だけが並ぶ居間の中、残されたソファの上の顔が、小さく、引きつる様に笑みを浮かべた。
「貴方は座ってて。私が、入れるから」






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