ジリエーザindex > 20
「ジリエーザ」
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- 物音に最初に気付いたのは、やはり俺の方だった。
すぐに状況を思い出して、俺は覚醒したばかりの意識を外に向けた。
家の外。
すぐ側に置いてあったパイソンを引き寄せると、さすがに不穏な空気を読み取ったのか、俺の胸に顔を寄せていたルティカが不審顔を向けてくる。
「……何?」
「誰かいる」
ソファから身を起こすと、俺は手早く服をまとった。
そのまま弾の装填を確認している間に、ルティカがけだるそうな顔をかすかに青くしながらもじっと俺を見つめているのに気付く。
肌から滑り落ちる服を慌てて纏おうとする辺り、状況は理解出来ているらしい。
「どうした」
「ね、今すぐここから移動するのは避けたいの。せめてあともう少し……レキが施設からナシェルを連れて来てくれるから、それまで時間を稼げないかしら」
「……レキだって?」
俺は思わず自分の耳を疑った。
何故ここにレキの名が出てくるんだ。
「息子を連れてきてくれと、レキに頼んだのか? あのペルソナから?」
「そうよ。だって貴方はあの双子ちゃんにかかりきりだったし、どこまで信用して良いのか分からなかったんだもの。他に頼れる人なんて限られてるでしょう? レキはお金さえ出せば信用出来る人間だもの」
ようやくルティカの言葉の意味を理解した。
さっと血の気が引いていく。
(……よりにもよって、あのレキに頼んだだと?)
勿論ルティカが悪い訳じゃない。彼女は何も知らなかったのだから。
しかし……。
俺は息を整えると、ルティカの両肩を掴んでなだめる様に語りかけた。
「ルティカ。多分レキは、今回のミハイル・ノイマン暗殺に関係している」
「……え」
「あいつは俺に忠告して来た。ルティカとは関わるな、状況が変わってきたからってな。それにでかい仕事を引き受けたと話した跡、しばらくペルソナに顔を出さなかった」
「うそ」
すぐにその不吉な暗示に気付いたルティカは、震える手で口もとを覆った。
暗がりに慣れた目にも、彼女がひどく狼狽しているのが分かる。
「じゃあ、ナシェルは……どうなるの」
「とにかくお前だけでもナンを出ろ。シュテムの外には旧国家に関係ないエージェント組織だって存在している。依頼すればお前の身の安全位は保障してくれる筈だ」
これは本当だった。
旧国家に無関係どころか、中にはこのペルソナに敵対する組織だってあることを、俺は知っている。
だがルティカは納得出来ないと言った様子で何度も首を振った。
「私、いやよ。ナシェルと一緒でなきゃ、行けないわ!」
「出来るならナシェルも後で俺が連れ出してやる。どちらにせよ、今すぐあそこから人を連れ出すなんて無理なんだ!」
でも、と繰り返す身体を俺は抱き寄せる。
間近に触れるとルティカの身体は思っていた以上に震えていた。
「……私、死ぬの?」
「出来る限りはガードしてやる。でも自分から全てを諦めた人間をガード仕切れる程、俺は優秀じゃないぞ」
何より敵の人数が分からない。
いよいよ殺気を帯びてきた外の気配に、俺はルティカを突き放すと、パイソンを腰に差した。
「銃は」
「あるわ、そこの引き出しの中……」
三歩で進んで引き出しから小さな携帯用の銃を取り出すと、ルティカに渡した。
プロ相手じゃどうしようもないかも知れないが、それでもないよりはマシだろう。
「生きていれば、絶対に俺がナシェルと会わせてやる。分かるな?」
「ええ……」
「俺が戻るまで隠れててくれ。合図を決めとこう、口笛を二度吹く。それ以外の場合は絶対に出てくるなよ。十分たっても俺が戻らないなら移動を始めてくれ。奴らも派手にことを起こすつもりはないだろうから、隣家に近い部屋に行くか、助けを求めに出るか」
「貴方はどうするの」
「さあな。アイン達の教官職は取り下げだろうが、後のことは分からない……行くぞ」
言い捨てて、俺は玄関に走った。
今では濃厚になった気配が、そこから流れ出ている。
ここまで殺気を隠さないやり方はおかしな程だった。普通のプロなら気配も殺して来る筈だ。
相手がルティカ一人と侮ったのか?
それだけとも思えない何かを感じて、俺は唇を噛んだ。
玄関を開けて、外に出る。
何も変わらない普通の正午の景色がそこにはあった。
遠く川沿いの道を歩く子供連れの女性、散歩中の老夫婦……どこにもおかしなものはない。
気配を追いながら、俺はゆっくり歩いて住宅街の合間の暗がりに入った。
途端に強烈になる殺気。
俺は咄嗟に右に逃げた。
「……!」
振り降ろされたナイフが空を切り、壁の一部を削った。
その、がつ、と言う重い音に、男はそれでも動揺した風でもなく俺を眺めていた。
「やっぱりお前か、レキ」
「そいつは俺の台詞だな。先輩の忠告は聞くもんだって言っただろ、馬鹿野郎が」
そこにいたのは、レキだった。
口が裂けるんじゃないかと思う位、蛇みたいな笑みがレキの顔を彩っている。その口調とは裏腹に、楽しくて仕方がないって顔つきを隠そうともしていなかった。
こいつは根っからの殺人マニアだ。その顔つきですぐに分かった。
獲物を追い詰めるスリルと、断末魔のターゲットの顔と。
命のちぎれる音と感触とを何より楽しんでいる顔だ。
レキはナイフを構えると、腰のパイソンに手を出しかけている俺めがけて振り降ろした。
その身体のデカさからは想像もつかない程の俊敏さと切り替えの速さとに、攻撃に移る瞬間の気配が全く読めない。
かろうじてそいつもよけた俺は、同時にパイソンを抜いてレキの額を狙った。
だが肉弾戦を覚悟したルキは素手で俺の手を潰しにかかってくる。
「ッ、ヨロシクやってたみたいじゃねえか、潔癖そうな顔してテメェもやるな!」
殴りかかる手をまず避け、次にパイソンを向けた俺は、だがとっくの昔に自分の劣勢に気付いていた。
コルトパイソンはリボルバータイプだ。オートマと違って、シリンダーを押さえられたら弾が出なくなる。
つまり接近されてシリンダーを掴まれればそれまでなのだ。
レキがそれに気付かない筈がない。
すぐにシリンダーを掴まれて、俺はパイソンを動かせなくなった。
「俺はなあ、トキ。前にカターチェニの奴と仕事がバッシングしたことがあるんだ。あの時はしてやられた、護衛するVIPを殺られて大恥だ。しばらくは上も仕事を回してくれなかった……殺しなら負けない自信はあったんだけどな、ガードってのはどうもいけねぇ」
下から腹部に向けて繰り出されたナイフを俺は左手で掴んで止めた。
ぎりぎり柄を掴んだものの、刃にかすかにかかった手のひらがすっと赤い筋を引く。
「昔話を聞いてる程、暇じゃない……!」
「もしかしたらお前だったのかもな、トキ。お前カターチェニでは名が売れてたそうじゃないか。代表の抜擢の理由はそれだろう? どっちにしろ礼はさせて貰わなきゃなあ」
ぐっとナイフを持つ手に力がこもる。
一応両利きの訓練は受けているが、レキの右手の押す力と左手で留める力とじゃ、どちらが有利か結果は見えている。
ゆっくりと俺の腹部に近づくナイフと、自由の利かないパイソンを手に、俺は汗をにじませながら眼前のレキを睨んだ。
「ルティカの息子は、ナシェル、は、どうしたっ」
「さあな、そろそろじいさんと同じ場所に行ってる頃だろ? ルティカもすぐに送ってやるよ。地獄で親子対面、めでたいじゃねえか」
「馬鹿な、ナシェルは研究の成功例だろう。そう簡単にベルデが手放す筈が」
「代表は一度、レベル最高値を出した成功例を逃がしている。敵に回れば厄介な研究材料だ、始末しておくに限るさ……何せ今から幾らでも作れるモンなんだからよ」
ナイフが腹部にめり込む感触。
眼前に近づくレキの顔が愉悦に歪んでいく。
「引き裂いてやる……テメエの内蔵引きずり出してルティカに見せてやりゃあ、さぞかし怯えて泣き喚くだろうぜ」
ナイフは内蔵をえぐり心臓まで達することを目的にして、上向きに切り進んで行く。
ぶつ、と肉と血管が断ち切られる音と共に血が飛び、額には脂汗がにじんだが、それでも俺はレキの顔に唾を吐いてやった。
「クソ野郎……!」
嘲笑。
俺は咄嗟にナイフを支えていた手を離した。銃を離せばすぐにそいつで撃たれることは分かっている。
留める力を失ったナイフは一気に俺の腹にのめり込み、だがその間に俺は尻のポケットに隠していた飛び出しナイフを掴んでいた。
次の瞬間俺は、反射的な動きでレキの頸動脈を切り裂いていた。
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