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「ジリエーザ」

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「どう? 知ってた?」
「……いや」
 続けて彼女はキーを叩く。
 口に出して話さないのは、他の人間に聞かれてまずい内容と言うことなのだろうか。
 そう考え、とりあえず俺は無言のまま、流れる様に打ち込まれる文字を目で追った。
【貴方が教官として招かれたのは、正確には訓練の為じゃない。判断が目的だったのよ。準備された名前は一つしかないから、どちらにその名前をあげるのか、貴方の行う訓練の成績如何によって決められる】
【優秀な方を選ぶのか?】
 俺も並んで文字を打ち込んだ。ぱたんと扉が開いて誰かが入室して来たが、俺達から随分と離れた場所でコンピュータをいじり出したのでとりあえず無視する。
 まさか盗聴器がある訳でもなし、そう思いながらも何となく声を出すことがはばかられる様な空気が、ルティカから流れていた。
【コードネームを与えるのはベルデ。理由は優秀か否かにばかりあるとも思えない】
【そんなに重要な意味を持つ名前なのか、それは】
【ナギ】
 静かに、今度はむしろゆっくりとさえ言える重々しさで、ルティカがキーを弾いた。
 そこに現れたのはまるで名前の様な単語。
 コードネームだろう、との俺の判断は、直後に続けられたルティカの打ち込みによってあっさり肯定された。
【ナギ、よ。それがあの双子ちゃん達の運命を左右するコードネーム。選ばれて見事ナギになることが幸せなことなのかどうなかはベルデしか知らないことだけど……彼のことよ、きっと何か面白い計画を準備しているんでしょう?】
(ナギ……)
 俺はその名を心中深くに刻み込んだ。
 エージェントが候補生からプロとして認定される時、ようやく授かるのが「コードネーム」である。
 これに使用されるのは旧アジアで使用されていた「漢字」で、たった一文字だけで表現されるその名の中には、沢山の願いと希望が託されているのだと言う。
 いかにも嘘くさいこの教えは勿論、候補生の受ける講義中に説明されるものだ。
 名を授けた上司当人が考え、通常はカナ発音される為に名付け主と当人しか知らないと言われるコードネームの意味と由来、知ればどうだと言うこともないが、その本当の意味は自ら探求し悩む為にあるのだと言う哲学的な理由付けをする連中もいるらしい。
 コードネームを授かれば、当然以前からあった名は抹消される。
 第二の人生の始まりを告げる儀式の様なそれが、例え何の意味をも持たないものだとしても……工作員達にとって、それは忘れられない重要な「分岐点」になる。そんなものだ。
「名前を貰えなかった方はどうなる」
 声に出して言った俺に、ルティカはあくまで無言のままキーで返答する。
【役割を持たない駒なんて存在しない。何か別のコードネームと役割とが与えられるんでしょうね】
「何故こんな情報を俺に流す」
 これだけ手の込んだ真似をしているのだ、コードネームの件は確かに機密事項なのだろう。
 何故彼女がそんな情報を入手出来たのかと言うことも気になったが、それよりも俺にデータを流してくれた理由の方が気に掛かる。
「何かメリットでもあるのか」
「言ったでしょ、貴方に興味があるからよ」
 傾けた顔に髪を落として、そこに浮かぶ笑みが急に意地悪く歪んで行く。
「こんな場所でデータも集めずにのうのうとしてるなんて自殺行為だわ。緩慢な自殺。もっと努力して自分の立たされている状況を良く掴んでよね。でなきゃ貴方……」
 言い掛けて彼女が言葉を切ったのは、その時唐突に背後で勢い良く扉が開いた為だった。
 咄嗟に振り返った俺は、そこに小さな黒髪のポニーテイルを見つけて瞬きする。
 時刻は午前十時、まだ双子が毎朝義務付けられている検査を受けている筈の時間帯だった。
 ……一体どうしたのだろう。
 俺は素早くコンピュータの電源を落とすと、ルティカを返り見た。
 彼女の視線は髪をなびかせて走ってくるアイン、もしくはフィアーのどちらかと思しき少女に向けられており、その顔に浮かぶ不機嫌さを隠そうともしていない。
「どうかしたのか?」
「……こんな所で何してるのよ、ルティカ・ノイマン!」
 ルティカが答えるより、俺達に駆け寄った姿が叫ぶ様に言う方が早かった。





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