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「ジリエーザ」
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- カターチェニは第六ドーム・テクロンの南西部にある非居住区域の、地下十二階に存在している巨大組織だ。
言わずと知れた旧ロシアの直属機関で、このペルソナ同様大勢のエージェントを養う施設でもある。
早くに親を亡くした俺が適性検査をパスしてこのカターチェニに入ったのは、確か六つの時のことだった。
他の組織でどうだかは知らないが、カターチェニでは身元のさっぱりした……例えば俺みたいに何かあっても後腐れのない孤児などを優先させて、シュテム公認の適性検査を受けさせるのだ。
適性検査にパス出来なかった連中は強制的に養護施設に送られ、そうでなければ検査直後にカターチェニ本部に送られる。
ほとんど当人達には選択権のない、まるで徴兵制の様な強引なシステムの末に選出された候補生達は、その後厳しい訓練を受け、やがてプロのエージェントの仲間入りをすると言う仕組みになっていた。
厳しいなんてもんじゃない、死傷者が続々と出るその訓練に、逃げ出す候補生は当然ながら大勢いる。
それでもほとんどの連中はカターチェニを出ても行き場のない奴らばかりだったから、ある程度の諦めはあったのだろう……何より地下十二階分のゲートやセキュリティをかいくぐる子供なんて居る筈もなかったから、カターチェニに到着してから半年も経たない内に、ほとんどの連中が逃亡を諦めるのが普通だった。
だからこそ俺は慎重に計画を練ったのだ。
ずっとカターチェニに居るなんてとんでもない、その頃の俺にはごく子供らしい小さな夢やある程度の希望なんてものがあったから、薄暗い地下で毎日を過ごし、やがては組織の下で命を切り売りする様な人生を送る羽目になるなんて冗談じゃないと思った。それでは一生を奴隷として過ごす様なものだ。
俺達孤児がもっとも恐れる「がんじがらめ」の未来。
そんなものを甘んじて受け入れられる筈がない……例え逃亡がどれ程危険を意味するものだったにせよ。
俺はしばらくの間カターチェニでの訓練を耐え、慎重に計画を練った末にようやく脱走を企てた。
今から思えば無茶をしたものだが、途中まではなかなかうまく行っていたのだ。俺がその時立てた地下三階までのゲート突破は今だに更新されていないと聞いている……もちろん運も関係したが、死罪すら用意されている厳しい罰則の中で、連れ戻された俺に課せられたのが数ケ月の軟禁刑だけだったと言うのは恐らく、その“成績”が認められた為じゃなかったのだろうか、と俺は思っている。
軟禁している数ケ月間は誰とも対話を許されない。隔離されたその中、沈黙だけが支配する空気を変えたのは、食事を運んでくる候補生の一人だった。
彼女はカターチェニで三年を過ごしている俺の先輩であり……候補生の間でも有名な綺麗な少女で。
それが、アナーシアだったのだ。
眠りから覚める直前に見た夢の内容は、いつも俺をうんざりさせる。
もう何度目か覚えてもいない悪夢。
繰り返し見る夢なのに、その都度鮮明に感じる思いだけが変わらない。
取り返しのつかない過去、やり直せないならせめて忘れることが出来れば良いのに、俺の脆弱な心はそんな逃げ道すら選べない。
「……っくしょう……!」
吐き捨てる様に言うと、俺は仮眠用のソファの上で書類を山積みにしたサイドテーブルに拳を叩き付けた。
何度こんなことを繰り返せば済むのだろう。何の進展もない。変化もない。俺の時間はあの時止まってしまったと思ったのに、それでも着実に時を刻む命がここに存在する。
あの日。
カターチェニを抜けて追われる身となった俺のもとに、通信が入ったのは突然のことだった。
何の前触れもなく入った連絡に、俺はとうとうカターチェニに居場所を突き止められたのだと思った。脱走は死を意味する。俺がその頃テクロンで足止めをくっていたのも、カターチェニの検問の為だった。
テクロンに居ればいつかは見つかる。だが入った通信内容は俺の予想を裏切るものだった。それは有り得ない人物からの連絡だったのだ。
俺の素姓も脱走の理由も全て踏まえた上での、ペルソナからの招待状。
正確にはベルデ・シュミテンからと言うべきなのだろう、通信には差出人の名しか記されていなかったのだが、彼の名を知らない工作員など居る筈もなかったから、それがペルソナからのものだとはすぐに理解出来た。
特別なプロジェクトに関して教官待遇で契約したい、とだけ彼は説明し、更にテクロンを出る唯一のルートを指定して来た。
俺がそのルートを利用出来るのは彼の申し出を受けた時だけ……だが彼がもし本当に俺の脱走理由を心得ていたのなら、そんなことが脅しの役目にすらならないのだと理解出来ていた筈なのだが。
ともかく組織から出たばかりの人間に教官待遇での招待状、なんてまず疑うのが筋だったが、俺は結局、その親切な申し出を受けることにした。
自暴自棄になっていたんだろうと言われれば否定出来ない。
だが命の放棄すら厭わなかった俺がそんな活路を選んだのは、緩慢に俺を蝕むおぞましい記憶に耐えられなかった為かも知れなかった。
本当に何も望まないのなら、俺は刺客に命を差し出しても良かったのだから。
(逃げていても、過去はつきまとうだけか)
本当に忘れたいのなら、違う環境に自分を置いてみるのが良いのかも知れないと。
それこそが本当に甘えではなかったのか、なんてことは今となってはもう判断出来ないが、それでもペルソナのデータを前にしてしばらく行動を取らなかったのは、俺のちっぽけなプライドが少しでも残っている為だったろう。
もしここで俺がデータをハックし身の保全をはかる様なら、それはもう甘えでは済まされないことだったから。
アナーシアを失ったのに、それでもなお生きたいと願うなんて、それだけは絶対に許されないことだ。
「……結局のところ、未練だな」
溜息をつくと、俺は腕時計をじっと睨んだ。
仮眠を取ってから三十分、アインとフィアーの射撃訓練の時刻が近いが、それでもまだ少し時間に余裕があった。
ここ数日悪夢のせいで余り眠れずに、睡眠は仮眠用のソファ中心になっている。
眠り直すことも面倒で、俺は仕方なく洗面所で顔を洗うと、身支度を整えた。
俺がこのペルソナで自由に動けるのは、あの二人が特殊検査や休憩等で訓練に時間を裂けない午前九時からの二時間と、今の様に午後三時から六時までの三時間のみ。
後はほとんど行動を共にしていて、離れるのは眠る時だけだ。
双子の教官を引き受けて一月近くがたとうとしていたが、今だに二人の成績は進退を繰り返している状態だった。
と言うより俺がここに来る以前から二人の成績は標準レベルを随分と上回っており(これは通常の成人女性のレベルと比較して、である)伸び悩むのが当然の時期が、今ちょうど来ているのだ。
この進退を繰り返した後、候補生は実践の為の初仕事を経験し、プロとしての勘を養うことになる。だが二人はまだ幼く、この先の訓練についてはベルデの指示を仰ぐしか手がなかった。
二人の成績とそれに反比例する幼さは、他に類のない特殊なパターンである。
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