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「デッド・トラップ」

<序>
  無気質な闇が視界を閉ざしている。
その鉄の部屋の中で、ナギは真っ直ぐ前をねめつける様にして立っていた。
 手には銃。
 幼さの残るその大きな瞳がとらえるのは、白くペイントされた人形の標的だ。
迷いのない視線で、その標的に照準を合わせる。確実に、そして相手に気付かれるより早くトリガーを引くこと……それがまず、第一の留意点。
「いいか。躊躇するな。一瞬の迷いが致命的なミスにつながる」
 隣で響くその声にナギは目をすがめる。ナギより頭三つ分は大きいその姿だけが、無機質なその場所の中で命の脈動感を伝えてくる。
「心を切り替え、目的の達成が全てにおいて優先されることを忘れるな。常に全てのデータを考慮して、利用と抹消を決断するんだ」
 標的に対しては必ず二度発砲する。確実に相手を仕留める為だ。
 ナギは諜報活動を主とした訓練を受けていたから、弾丸の節約よりもまず完璧な仕事の完了を重視することを教えられている。
「いつでも心を騒がせずにトリガーを引ける様になれ。どんな相手にも冷静に。引けなくなった時がお前の終わりだ」
 何度も響く銃声と、手から腕、そして全身へと走る衝撃。知らず唇を噛み締めながら、散ってはその都度現れる標的を飽くことなく狙う。トリガーを引く。
 激しい衝撃は、幼いナギの体に痛みを与えたが、ナギにはそれが心地好くすらあった。それは簡単に全てを終わらせてしまうその行為への代償の様に思えたから。心を切り替えて悲しみをセーブする自分の代わりに、こうして伝わる鈍い痛みこそが“泣く”と言う行為を表しているのだと感じていたから。
 いつの間にか木製の標的は全て砕け散り、代わりに部屋の前面を覆うモニターが標的となっていた。そこに誰の姿が映ろうと、ナギは心を迷わせない。その術を知っている。
 撃つ。
 衝撃と、切り換わったモニターに走る閃光……それにも動揺せずに、ナギは再びマズルを向けた。
 そしてまた、衝撃。
 薄暗い視界が最後に捕らえたのは、重い銃声と共に切り裂かれる、それはナギの……自分自身の顔だった。



 西暦一九九九年。ノストラダムス、聖書、ありとあらゆるものが世界の終末を示唆した世紀末。
 様々な滅びの可能性に包まれたその世界を揺るがせたのは、大戦でも自然破壊の末の罰でもなく、SOTEと呼ばれる恐怖の病原性ウイルスだった。
 カナダを発端とする原因不明の疫病は、確たる治療法の発見を待たずに全世界に広まった。
 臨床報告を調べると、この疫病は人間の鼻や口から入り、喉の粘膜に付着して爆発的に増殖、その後血液を通して体内の各器官に入り込み、数日の後には感染体の脳に回って神経障害を起こさせる……99.998%と言う高い数値の死亡率を持つことが判明している。
 製薬会社その他の施設はこのウイルスに対するワクチン研究の一切を放棄、人々はこれに恐怖し、結果世界各国の一時協定による巨大な隔離国家が成立されることになった。
 隔離国家シュテム。
 非汚染区域を幾つかの巨大なドームで覆い、完全な隔離対策を用いた国家。
 厳重な検査の結果、感染者ではないと確認された者のみがこの場所に入国することが許された。つまり政府は、感染者を見捨て、残された人類の保全をはかったのである。
 だがこの厳重な隔離政策の上にも、この疫病は蔓延した。存在する人類全てを蝕もうとするこの悪魔に、人々は慄然とする……あるいは人類の滅びが訪れる始まりをすら予感させる、それは絶望的な事態と言えた。
 しかし、二○○五年、世界を代表する病理学者・ミハイル医師の登場により状況は一変する。彼は数年の研究の結果、この奇病に有益なワクチンの発見に成功したのである。
 文字通り、人類は滅亡を免れた。
 だが誰が気付いていただろう。
 本当の滅びは、もうそこまで姿を現しているのだと……目先の恐怖の回避から得た安泰の中、緊張を解いた彼らの眼前にあるそのものこそが、深淵の様な絶望の始まりであったことなど。





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