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「失楽園」
- 第三部...8
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- ふとドロシーがこちらを楽しそうに見つめているのに気付いて、それだけが何となく不快だった。
悪戯に彼女を楽しませるのは物凄く不本意なのだけど、結果としてはそうなってしまった様で……。
周囲の生徒達の動揺はいよいよ濃くなり、もはや言葉を交わさない生徒を捜すほうが難しい位だったのに、それでもヒイロ達のこちらに向かう視線は決して自分への反論の色を表してはいないのだと気付いて、アスカは意外に思った。
先程のカトルの様子や推測で組み立てた現在の彼らの状況を考えても、この意見は皆にとって賛同出来るものではない筈なのに。
そうして視線をリリーナに戻すと、その表情にもまた、アスカを否定する様な色は一切伺えない。
むしろアスカの方がひるんでしまう程落ち着いた空気がそこにあった。
「そうですね、アスカ。確かにその通りかも知れません」
やがて彼女の口からこぼれたのは、意外にも肯定の言葉だった。
「確かに、私の思想は脆弱なものかも知れない。でも私のこの意思は、例え私が消えても受け継がれて行くはずのもの。戦争が刹那的に全てを奪う行為に過ぎないのなら、この心はいくら摘み取られても決して消えたりはしない。私が両親からこの心を受け継いだ様に、誰かが私の意思を継いでくれるなら……そうして消えずにいるのなら、その脆弱さはばねの様なしなやかさを同時に合わせ持つ筈だと、私は思います。形は違えども、私もまた戦っているのです。自分自身との戦いを」
真っ直ぐこちらを見つめる瞳。汚されない強い精神。
まるで圧倒される様な空気がリリーナから流れてくる。
アスカは束の間言葉を失い、けれどすぐに気付いて姿勢を正した。
「だ、だから……皆が皆、貴方みたいに強い訳じゃないって、」
「でも、弱くもない筈だわ。私、そう信じているの」
それは。
何と言う、強い意思。
他人をこれだけ信じる強さは一体どこから生まれてくるのか。
……今度こそアスカは言葉を返せなかった。リリーナが何故自分とほとんど変わらない年齢でありながら、世界を相手に自己の信念を貫くことが出来るのか、またそれがこれ程までに周囲に影響を及ぼすことが出来たのか。その理由が何となく、理解出来た気がして。
カリスマ。まさにそうだ。
簡単に使って良い言葉ではないけど、確かにアスカ達は当初から彼女にそれを感じていた。
生まれついての指導者、人を導くことの出来る強い心。
彼女の凄さは他人を信じる強さを持つことだ。どんな人間だって自分のことをすら信じられずにいる、それはとても難しいことなのだと知っている。他人なら尚更だろう、自分の心だって分からないのに、見えない他人の心をどうして信じることが出来る? 傷付くことを恐れずにどうしてそこまで立ち向かう勇気を持ち続けていられるのか。
認めたくない、絶対に。
でもそれは明らかだった。
自分すら信じることの出来ないワタシは、全てを信じて立ち続けていられる彼女には勝てない。
負けている。
同じ戦う存在でありながら、その差は余りにも極端だった。
アスカの戦いは決して世界の人達の為の戦いではない。いつかレイに戦う理由を尋ねられた時、自分で自分を誉めてあげる為に戦うのだと答えたけれど、その通りだ。この戦いは自分の為、戦うことでしかアスカは自分を立証出来ない。
命を賭して戦うアスカを、ヒカリは凄いと言ったけど、でも本当は違う。
弱者は戦うことでしか生き延びることは出来ないと言うアスカの持論だって、アスカ自身の経験から生まれた言葉……エヴァに乗って戦って、それでようやく自分の弱さを克服出来たと思ったのに、それこそが弱さの証明だったなんて。
<シンクロ率ゼロ。もはやエヴァのパイロットたる資格なし>
リリーナは戦う。武器を持たない戦いは自分の為ではなく他人の為、世界の為だ。彼女は自分の命を投げ打っても、自分の行動を後悔したりしない。
じゃあ、アスカはどうだろう。割り切れる? 本当に。
シヌノハイヤ、シヌノハイヤ、シヌノハイヤ……。
嫌だ。
割り切れる筈だった。でもそれは武装した自分の心が下した決断で、何もない無価値な自分の判断ではない。
何もかも失って生きることが辛いと泣いても、それでもアスカは死ぬことを恐れる。
建前で出来た強さは結局は簡単に剥がれてしまうものだから。
(あたし、は……)
不意に沸き上がる恐怖。
何故だかは分からない。それはまるで回想の様な鮮やかさでアスカの脳裏を襲った。
<あたしの中に入って来ないで、>
痛み。頭の中が疼く様な。身体中が引き裂かれる様な。
<あたしの心を、犯さないでっ>
「……アスカ?」
リリーナの声がどこか遠くで聞こえる。でも自分の中で渦巻く何かで全てが埋め尽くされていて、その声はきちんと知覚出来ない。
不自然なまでに青ざめて俯いてしまった彼女の横顔に、不審を抱いたのはリリーナばかりではなかった。
震える身体を、周囲の生徒達が不安げに見つめ出す。
「どうかなさったの?」
「アスカ」
シンジまで腰を上げた声を出した中、次の瞬間アスカは差しのべられた周囲の手を払いのける様にして立ち上がった。
茫然とする生徒達の間をぬって、その姿は勢い良く外に飛び出す。
まだ講義が途中なのにと事態を理解出来ずに騒ぐ周囲を無視して、やがて廊下に響く足音は段々と遠ざかって行く。
……そうして閉じられた扉は、世界を隔絶する様な重い音を響かせた。
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