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「失楽園」

第四部...12
「先の戦闘の際受けたダメージで、エヴァは全て凍結中になっています。動かせるのは零号機のみとなっていますので、起動実験はレイに出て貰うことになりました。レイ、良いわね?」
「……はい」
 一同が少し狭いケイジ管制室の内部にたどりついた時、ミサトから説明役をバトンタッチされていたリツコは既に、マヤを伴ってケイジ管制室の厚いガラスの向こうに居るエヴァのチェックを済ませていた。
 はっとした様にガラス越しのエヴァを眺めるヒイロ達の横では、説明を受けたレイが素直にケイジに向かって行く。
「では、エヴァについての説明に移ります」
 淡々と義務的に説明を始めたリツコに、けれどシンジは頭の中をハテナマークで一杯にする羽目になる。
 そもそもリリーナ達がここに来てから全員の主使用言語は英語で、ある程度の英語なら勿論大丈夫なシンジではあったものの、エヴァの説明などの専門的分野に関する話題となると専門用語等の単語がさっぱり分からなくなってしまうのだ。
 言い出そうかと思ったもののこの場で会話についていけないのはどうやらシンジだけの様子で、そう言えばアスカはトライリンガルで独・英・日の三国語が使えた筈だし(筆記についてはともかく)ミサトやリツコやマヤも当り前の様に数ケ国語の語学を修めているのだろう。
 聞いた話ではヒイロ達も百近い言語に精通していると言う話だったから……。
「シンちゃーん? もしかして、アンタ話についてけてないの?」
 話が分からないのではどう仕様もない。
 分かるところだけ聞きつけて俯いていたシンジに気付いて、アスカがからかう様な声をかけてきた。
「英語、使えてたじゃない。さては専門用語で苦戦してるな?」
「……うるさいなぁ。ちょっと自分が話せるからって、何だよ」
「英語くらい使いこなしてみなさいよ。公用語なのよ、日本語も不自由してる癖に努力足りないんじゃなくって、サード・チルドレン様は。通訳してあげよっか?」
「いちいち嫌味言うことないだろ、いいよ、後でミサトさんに聞くからっ」
「素直じゃないわね、んなことしてたら二度手間じゃないっ」
「誰にでも得手不得手はあるものだ。この手の専門用語は博士の様なプロフェッショナル以外不必要なものだろうから、日常会話がこなせるのなら問題はないんじゃないか?」
 へ、と突然乱入した説明にシンジとアスカが同時に振り返る。
 いつの間にかケイジ管制室内部では、それぞれの人間があちこち自由に動き回っており、代表のリリーナは熱心にエヴァの構造について語るカトルとリツコの間で説明理解に努め、デュオと五飛は一緒になってミサトと何かを話していた。
 マヤはケイジでエントリープラグに入ったレイと何やら簡単な連絡を取り合っていて、見ればヒイロだけが一歩引いて壁に背を預ける形でガラスの向こうのエヴァを眺めている……かと思いきや、腕組みしてさりげにリツコの説明を聞いている様子。
 となると勿論、シンジとアスカの間に入ってフォローらしき言葉を掛けてくれたのはトロワだったと言う訳だ。
「シンジはこれでもエヴァのパイロット、サードチルドレンなのよ? プロフェッショナルじゃないからって専門用語も覚えてないんじゃ話にならないわ」
「だが赤木博士他この組織には優秀なスタッフが揃っている。シンジが専門用語を叩き込まれていないところを見ると、少なくとも日本語で通じれば問題ないと言うことだろう」
「あ、有難う。フォロー……」
「……まぁ良いけど。シンジ、あんた話の内容知りたいって言うなら他の連中に日本語で話して貰える様に言ってみたら? 少なくとも日本語で専門用語使えない様な人はここには居ないんだし、それが一番簡単よ」
 言われてシンジは素直に頷いた。
 アスカの言葉に間違いはない。確かに少しの恥を忍んで無駄な時間を過ごすより、説明して自分にも分かる言語で話して貰った方が良いに決まっているのだから。
 でも何だか今のアスカの台詞は久しぶりに喧嘩腰じゃなかった気がする。
 そう思って、けれどすぐにあれ? とシンジは当惑した。
 違う、確かにアスカはいつも自分に絡んできたし、感情表現の激しい面もあったけど、もともとはこんなふうに普通に話せる相手だったのだ。
 ここしばらくずっとアスカが苛ついていることには気付いていたのに……今の彼女がいつも通りの彼女ではないのだと言うことに、ようやく気付いた。
 では何故彼女は、ずっと苛立ちを隠せないでいるのだろう?
 顔を上げれば、いつの間にかアスカはトロワとエヴァ弐号機について話し出している。
 初めて会った時から思っていたことだけれど、トロワは大人びてとても慎重に話をするタイプに見えて、だからなのか、シンジの視線の先に居るアスカは自分と話す時みたいに声を荒らげたりしない。
 ……となるとやっぱり苛立ちの原因は僕にあるのかな、なんて思って落ち込んだりするシンジなのである。
「何よシンジ、あたしの顔じっと見ちゃってさ。まさか今更ながらにあたしの美しさに気付いたって訳じゃないわよね?」
 視線に気付いてアスカが振り返るのに、シンジは慌てて両手を振る。
「べ、別にそんなんじゃないよ。そんなんじゃないんだけど、さ」
「……そこできっぱり否定することないじゃない。つまんない奴」
「赤木博士、エントリープラグ挿入完了しました。エヴァ零号機の起動実験に移ります」
 子供の喧嘩のような二人の会話に、横に居たトロワが思わず顔をほころばせた時、マヤの良く通る声がケイジ管制室に響いた。
 自然視線がレイの搭乗するエヴァ零号機に集中する中、リツコの指示のまま通常の手順を踏んだ零号機は、ゆっくりと顔を起こす。
 厚さとは反比例して良く映るガラスの向こうからエヴァのかすかな生命感が伝わって来る様な、それはそんな光景。
 柔軟な脈動感がそこから感じられる。
「レイ、聞こえる?」
『はい』
 モニターにエントリープラグの中のレイの顔が浮かび上がり、青白いその顔がLCLで揺れているのが分かる。
 あの中に居るのがレイだけで、自分が今ここにこうしているのが何だか不思議な気がした。
 こうしてアスカと並んでエントリープラグ内のレイを見るのは初めてなんじゃないだろうか。レイがいつも通りの表情で零号機に乗っているからこそ、余計にそう思うのかも知れない。
「何も異常はないわね」
「ハーモニクス正常値、双方共に拒絶反応は見られません」
「成功か」
 エヴァとパイロットのシンクロ率の関係上、エヴァの暴走も有り得るのだと聞いていたカトル達は、そのやりとりを慎重に見つめていた。
 時折マヤの手元のコンピュータを眺めたりするのは、それらのシステムにやはり興味があるからだろう。
 パイロットとは言えヒイロ達は皆ガンダム等の整備をこなすレベルのエージェントだったし、カトルに至ってはウイングゼロを完成させるまでの技術者である。
 ……その能力こそが今のカトルを苦しめているのだろうけれど、それでも本来ある能力を否定出来る筈もないから、知的好奇心がカトルをエヴァに向き合わせているのだ。
 頃合いを見てシンジが日本語使用での説明を頼んだので、リツコもリリーナ達もすぐに使用言語を改めてくれていた。お陰でカトルの質問やリツコの返答が良く理解出来る。
「……それにしても良くあの八ミリの持ち出しを認めたわね、ミサト」
「え?」
 急に耳許にアスカの声が届いた。
 ひどく小声で聞き取りにくかったけれど、シンジは確認の意味でアスカを見る。
「何が?」
「さっきの八ミリ。自分のあんな過去に向き合えるって、凄いと思うわ。それも一番見たくない過去と。決別の意味なのか、それとも確認だったのかは分からないけど」
「……それって、あの、セカンドインパクトの唯一の生存者の……?」
「気付いてなかったの? あれ、ミサトよ。説明するコトでもないだろうし、だからミサトも言わなかったんだと思ったけど。でもアンタは気付くでしょ、フツー」
 咄嗟にミサトを探す視線。少し離れた位置で真剣にモニターを睨んでいる姿を見つけてシンジは眉を歪めた。
 苦い確信が胸に満ちるのが分かる。
 どこかで見たことがあると思ったのも無理はない。今思えばあの少女の容姿も声も、ミサトのものに酷似していたのだ。
 ちっとも気付かなかったのは、あの頃のミサトの病的なまでの表情とやつれ具合の為だったのだろうけど、それでも気付くべきだった。
 少なくともシンジは。
(駄目だな僕は。こんなに近くに居てもミサトさんのこと、ちっとも分かってないんだ)
 そう言えば以前聞いた筈ではなかったのか。
 ミサトがネルフに所属する理由。昇進が目的ではない、父の仇が討ちたいのだと。
 ……皆そうやって、何らかの形で使徒に……エヴァに縛り付けられている。
「シンクロ率はパイロットの精神状態に左右されます。その代わり体調からの影響はほとんどありませんが、ただ使徒からの精神攻撃などの問題も強く残されています」
「彼女は、戦うことを決めてこれに乗っているのですか?」
 不意のリリーナの言葉に、マヤが顔を上げる。
 周囲の人間の視線が一斉に自分に向かう中、けれど聞かれた当人のリツコは顔色一つ変えずに眼鏡を指で押し上げた。
「……と、言われますと?」
「シンクロ率の考慮の末、パイロットは選ばれるのだと伺いました。それではその選出された人間の意思はどうなるのでしょう。エヴァンゲリオンの操縦が精神状態に強く左右されるものであるのなら、通常よりパイロットの意思が重要視されるのではありませんか」
「残念ながら、我々にとってそれは理想論としか呼べません。選出されたチルドレンしか操縦権を持たず、そしてエヴァンゲリオンこそが唯一の人類最終兵器なのだとすれば……パイロットの操縦拒否は人類の破滅につながりますから」
「貴方はどう思っていますか?」
 振り返ったリリーナの瞳が自分達に向かっているのに気付いて、シンジはかすかに顔を赤くする。
 視線に慣れていないシンジにとって、リリーナの真っ直ぐすぎる程誠実な視線は余り直視し返せるものではない。
「え……と。僕、ですよね」
「あたしは自分で望んで、納得して乗ってるわ。他の二人はどうだか知らないけど」
 迷うシンジの横でアスカがさらっと口にする言葉。
 そんな風に言い切れるアスカが何となく羨ましくて、それでも即答出来ない自分がひどく恨めしい。
「僕は……僕にも出来ることがあるんならって思うし、僕が乗れば皆も喜ぶし……何もしない自分より、今ここにこうしてる自分の方が好きになれる気がするから」
「自分の存在価値を求めて、アレに乗るのか」
 耳を打つ冷ややかな声は五飛の声。
 その場の空気に耐えかねる様にマヤが顔を伏せるのが映る。
「自己の確立を戦うことで成そうと言うのなら、そんな不自然な方法は取らない方が良いな。戦いがなければ生きられない人間になるぞ」
「勝手なことを言っているかも知れませんが、でも私、今一番大切なのはこの世界ではなく、貴方がどう考えて行動しているのかと言うことだと思うのです。……取り返しのつかない過ちを犯す前に、自分の闘いのことをもう少し考える必要があるのではないのかと」
 五飛の調子とは裏腹に優しく尋ねるリリーナの声に、シンジは言葉を失って唇を噛む。
 ひどいことを沢山言われるよりずっと心が痛んだ。
「過ちって……だって、僕がエヴァに乗らなきゃいけないのに」
 それに。
 取り返しの付かない過ちならもう。
 とっくの昔に。
「……はい、こちらケイジ管制室です。え? あ、はい。分かりました」
 けれどその時シンジにとっては救いのタイミングで通信コールが入り、受信器に向かったマヤの声が耳に痛い静寂を破る様に響き渡った。
 しばしの後そのままリツコに受信器を譲ったマヤに、状況を静視していたリツコが素早くそれを受け取り、次の瞬間緊張を含んだ声をその口から洩らしていた。
「赤木です。……え? 何ですって? 確認は……取った。ええ、こちらには葛城三佐も同席しています。すぐに司令塔に向かうわ」
「……何かあったの?」
 ただごとではない声の調子に、さしものミサトも不吉な何かを感じ取って通信器に近づく。
 その姿に、珍しくかすかな狼狽を顕にしながらリツコが振り返った。
「また異常事態よ。……町が消えたわ」






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