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「失楽園」

第二部....1
 遠く茜色の空が、だんだんと淡い紫へと変わっていく。
 空の色だけが出せる自然の、微妙な薄紫はうっとりとする程美しく、けれどほんの数分で消えてしまう彩色。
 やがてその色を追うようにして星々を引き連れた暗闇が辺りを支配する時刻が、もうそこまで迫っていた。
「どこの世界でも、空の色は変わんないんだね」
「……あんたって何のかんの言って、結構適応力あるのよね。この状況で良く空の色なんてのんびり見てられるもんだわ」
 ふう、と溜め息をつきながらのアスカの台詞に、シンジはかすかに赤面する。
 ……世界に異変が起こってから、丸二日が過ぎた。
 ことがあまりにめまぐるしく起こったので、本当のことを言うとまだシンジは現状を把握出来ないでいる。
 と言うより今の状況に現実味が伴わないのだ。
 それは勿論アスカ達も同じ筈で、それでもどこか落ち着かないアスカ達と比べてまだシンジの方がのほほんとしていられるのは、彼がつい最近も“環境の激変”を味わっていたからかも知れなかった。
 そう。突然異世界にまぎれ込むのも、エヴァのパイロットに選ばれるのも、シンジにとってはさほど大差のない「非日常」。
 世界が変わってしまう恐怖ならあの日、ネルフに初めて足を踏み入れた日に経験済みなのだ。
「感覚が麻痺しちゃってるのかも知れないな」
「え?」
「だってほら、ここしばらく僕にとっては変化ばかりだったし。第一、何が起こっても僕達がエヴァのパイロットってことに変わりないんだし……もがっ」
 言葉を続けようとしてシンジは目を点にしてしまう。
 隣の椅子に座っていた筈のアスカが突如、勢い良く立ち上がって、がしっと自分の口を塞いでしまったから。
 何事かと目をぱちくりするシンジに、アスカは眉をひくひくさせてその顔を覗き込んだ。
「あんったねえ、口慎みなさいっ。ここは第3新東京市でもネルフでもないの、ぺらぺら好き勝手に喋るのはナシ、ミサトにもそう言われてんでしょーがっ」
「…………」
 とりあえず視線だけで謝罪するシンジ。
 アスカはジト目でその様子を眺めてから、ようやく口を塞いでいた手を離してくれた。
 そう。
 ここは第3新東京市でもネルフでもない。サンクキングダム学園……つまりは異世界の領域の中、なのだから。




 ネルフ作戦指揮官葛城ミサト三佐とリリーナ・ピースクラフトとの通信途中に突如起こった戦闘は、結局エヴァの登場を待たずして終結してしまった。
 戦闘は総てネルフとは無関係に行われたこと。
 ミサトが戦闘中に拾った通信によれば、現在ネルフの近くに存在する“サンクキンクダム”と言う王国の微妙な立場が呼んだ戦闘だったのだと言う。
 緊急の会談の必要を感じた両代表(ネルフ側には依然司令の姿がなく、結果ミサトが代表代行を務めた)は戦闘の後、通信対談を再開。
 更に翌日行われた会談に於て、両者はようやく正しい現状を掴めた、と言う訳だ。
 地形図・政治情勢・気象ありとあらゆる手段によってネルフは“今自分達のいる場所”が“正しい地球”ではないことを理解した。
 当初入手したデータに間違いはなく、この世界にはセカンドインパクトが存在しなかったのである。
 サンクキングダム側に対してネルフは資料を以って証拠とした。
 異常の起こった当日ネルフに侵入していた少年が入手したデータと検証してこれを証明、サンクキングダムもようやく、ネルフが“違う世界の存在”であることを容認してくれたのだった。
 会談の後、更に続けられた会議では互いの世界の情報交換が行われた。
 まず必要だったのはこの世界の情勢で、複雑な戦況を聞かされたネルフは自分達が非常にまずい立場にあることを知る。
 例えサンクキングダムがネルフを認めてくれても、その他の組織も続いて寛容な態度を示してくれるとは限らない……情勢はすなわちその事実を示していたのだ。
 何より第3新東京市を襲ったロボット(モビルスーツ)は、第3新東京市を新たなサンクキングダムの戦争拠点として認識した財団の繰り出したものであり、それに武力で応対したサンクキングダムの言い分を果たして今更聞き入れてくれるかどうか。
 そして何よりネルフが恐れた問題が一つ。
 ネルフがここに存在する以上避けられないその問題は、言うまでもなく「使徒」の存在について、だった。




「でもアスカ、ここの人達って確かもう使徒のこと、知ってる筈だよね。ならエヴァのこと話したって別に問題ないと思うんだけど」
「あんた馬鹿ぁ? あの侵入者がいなけりゃ使徒のことだって機密情報だったの! ここがどれだけネルフのこと知ってるかは分からないけど、もしエヴァを見せろなんて連中が言い出したらどうなると思う?」
「……見せれば良いんじゃないかな」
「……分かった。要するにアンタは、何も考えてない訳ね」
 サンクキングダム学園の校舎は広い。
 先ほど訪れた理事長室で、その設立理由と生徒について聞かされたシンジ達もひどく驚いたものだ。
 学園長であるリリーナが自分達と年の変わらない少女だったこと、この世界の情勢のこと、総てが驚きに値する事実だったから。
(ミサトさんの説明ってそう考えると詳しくなかったんだよなぁ)
「でも納得出来ない。あたし達の立場ってさ、良く考えると人質とも取れるのよ。いざって時困る癖に、どーしてこうミサト達の考えって浅はかなのかしら……ちょっと優等生、さっきから黙ってるけどアンタ人の話聞いてるの!?」
 しんとした教室の中には、もう生徒の姿はない。
 シンジとアスカ、そして黙ったまま静かに席に着き、読書にふけっているレイを除いては。
「何とか言えば? ファーストっ」
「……自信がないのなら、葛城三佐に言って第3新東京市に戻れば。後は私達がやるわ」
 決して喧嘩腰なのではない。綾波レイにとっては、これは日常会話なのだ。
 無表情のまま本から目を離そうともしないレイの横顔にアスカの顔がぴくぴくするのを見てとり、シンジは段々と頭が痛くなってくるのを感じていた。

 ……シンジ君、お願い。使徒の動きが見えない内にこんなこと言うのがどれ程無茶かは分かってる。
 でも色々考えた結果これが一番マシな方法なの。
 あのサンクキングダム、と言う国にある学園に編入して。第3新東京市の中から動かずにいれば何も状況が変わらない、勿論私達だって動くし、いざと言う時のガードもつけるわ。
 貴方達には貴方達にしか出来ない方法で、この世界の様子を探って欲しいの。

(編入はともかく、このメンバーでうまくやる自信なんてないよ、ミサトさん)
 手続きを終えてここに到着したばかりだから、シンジ達が本当に授業に出るのは明日になってから。その時にクラスメイトになる生徒達に紹介して貰うことになっている。
 完全平和主義を掲げる学園の生徒と聞くだけで、自分達が物凄く浮いてしまう様な予感を今から感じていると言うのに、これでは本気で最悪のメンバーになりかねない。
 しっかりね、なんて物凄く無責任なことを言われてやってきた学園の中。
 シンジは険悪なムードを漂わせる二人の仲間の姿に、もしかしたら自分が現状に動揺してないのはこの気苦労の為かも知れない、などと、早くもリタイヤめいた弱音を吐いたりしていた。





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