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「神殿」

ミケェヌ・シュビタD
 これほどまでに縁の深いわたしとキュルソーとの出会いが、果たして偶然であったのか、そして何故彼がわたしを匿う気になったのか。
 それらは分からないながらも、結果的に彼はわたしの怪我の手当をこまめに行い、完治した後もわたしを川辺の貧しい小屋に置いてくれたのだった。
 だが、分からないのは、彼が何故ここにいるのかということだ。
 王の聖地画を描くほどの人間、それも「静寂の神殿」出身の高官が、果たしてこんなに辺鄙な場所で暮らすものだろうか。
 不思議に思って尋ねると、キュルソーは「ここは私の故郷ですから」と、いつものようにのんびりした様子で答えた。
「それに、私に王宮勤めは向いていませんでしたからね。ここでゆっくり王宮から出るお手当で暮らしているのが、気楽でいいんです」
 数日かけて描く絵と、何冊もの書物を片手に仕上げられた書類のようなものが、キュルソーの生活の糧だった。
 それらを王宮だか神殿だかに納めることで、王宮側から手当金が出るのだ。
 月に一度、彼の住む質素な小屋を王宮の使者が尋ね、運んできた大量の資料や画材を与えてくれる。
 それらを使って、キュルソーは気ままな毎日を送っていた。
「だから君を助けたのは、単なる暇潰しだったのだと思って下されば結構ですよ。
 追っ手がここに感づけば放り出しますが、それまではのんびりしていらっしゃれば良い。君は大人しいので、別に仕事の邪魔にもなりませんしね」
 運良く、なのか悪くなのか、追っ手はわたしがこの小屋で暮らしていることに気付きもしないようだった。
 やがて数カ月もたつと、キュルソーはわざわざ追っ手が島を離れたらしいことをわたしに教えてくれた。
「キュルソーは王が嫌いなの?」
 ある時、唐突に尋ねたわたしに、キュルソーは珍しく呆気にとられたような顔になった。
「どうしてそんなことを」
「だって、王が殺そうとしているわたしを匿っているから。それに時々すごく冷たい顔で王のことを話すし」
「……王は、恐ろしい方ですよ。それにとても優秀でいらっしゃる。
 ですが確かに、私はあの人が嫌いですね。だからと言ってわざとあんな嫌味な聖地画を描いた訳でもないのですが」
「聖地画って、どうやって描くの?」
 わたしは既にキュルソーに聞いて、聖地画が全部で4枚あること、それぞれに意味が含まれることなどを知っていた。
 以前スンガルが教えてくれたのは死を表す聖地画のことだけ、それも黒髪の女の子が描かれていたと言う特殊な事例だけだったから、普通の聖地画についてはそれほど詳しくなかったのだ。
 何より彼は、手紙を受け取ってわたしを島から連れ出したあの日以外には、神殿に関する話をわざと避けていたように思う。
「四つの光景は神託で描かれるんでしょう? 静寂の神殿に棲む神様って、そんなに凄いの?」
「さあねえ。私は神託師の言葉を受けて描いただけですから。
 聖地画は、絵師が神託を受けて描くものだと言われていますが、そう都合良く絵心のある神託師などいないものです。ただでさえ、静寂の神殿出身の人間は少ないものですからね。だから大抵は、神託師と絵師とが別にいるのです」
「神殿てどんなとこ」
「おや。興味があるんですか」
 ひどく面白そうに言って、キュルソーは手にしていた絵筆を置いた。
 その前には大きな白いキャンバスが立て掛けてあり、中心に小さく細い川が一筋描かれている。
「……そうですね。スンガルの見立て通り、君ならあの神殿の試練を乗り越えられるかも知れない。感情を捨て去った者だけが生き残れる、あのおぞましい試練を」
「わたしは別に行かなくても良いんだけど、スンガルの知っている人や、キュルソーや、王がいたところだって言うから」
「それは残念」
 キュルソーは言って、真横にあった棚の上のナイフを手に取った。
 柔らかい色石を削る為の絵具だ。
「無理強いすることではありませんが、本当に、君のような人間にはとても適した場所だと思うのですがね」
 ナイフがゆらゆらと揺れながらわたしに近付いてくる。
 わたしは真っ直ぐ、鈍色に光るそれを見つめた。
 ナイフ。
 月光に反射する光。
 映し出される男の歪んだ顔。
 雨をはじく光。
 ……飛び散った、スンガルの血。
 ナイフをわたしの頬に当てて滑るように首もとに持ってきたキュルソーは、それでもわたしが反応しないことを確認すると、ようやくナイフを遠ざけた。
「ほら。数カ月一緒に暮らしましたが、君程物事に頓着しない人は初めてです。
 スンガルはそれに期待したのかも知れませんね。君なら復讐を叶えてくれるのではないか、と」
「ふく、しゅう?」
「静寂の神殿には、スンガルの恋人がいました。彼女は自ら望んで入殿しましたが、スンガルはそれを嫌い、王に彼女を助けてくれるようにと頼んだのです。
 その交換条件が、聖地画に描かれた黒髪の女を殺す刺客役だったわけですよ。
 けれど王は約束を破り、スンガルが本島を離れている間に神殿に火をつけました。女は死に、スンガルは復讐を決意した。それでその時、丁度身辺を調べている途中だった『予言の少女』に似た子供を連れ、王の監視下より逃げ出した訳です」
 概要を説明して、キュルソーは再びキャンバスに向かった。
「ですから、スンガルは君に期待したのでしょう。君がいつかあの聖地画の予言の少女として成長し、いつか王を殺してくれることを。その時ルゼットス王の御代は終わり、新たな時代がミネルバに訪れる……まあ、それを期待しているのは、なにもスンガルだけではないのですがね」
「あなたも?」
 わたしは反射的に尋ねたが、キュルソーは何も答えなかった。
 黙々と絵筆を動かして、キャンバスに向かい続けている。
 その途端、わたしは不意に会いたくなったのだった。
 スンガルに憎まれ、キュルソーにはっきりした嫌悪の念を示され、民衆の期待を集め、優秀な王だと言われ……そして、聖地画を恐れて黒髪の子供を殺すように命じた、稀代の名君ルゼットス王に。
 神殿に行けば、彼の存在を少しでも知ることが出来るのだろうか。
 ……わたしが入殿のことを真剣に考え始めたのは、もしかしたらこの時だったのかも知れない。
 いずれにせよ、わたしはその後、なんと5年もの歳月をキュルソーと共に過ごすことになったのだった。
 その間、不思議とわたしを追い立てる存在はなく、離島を騒がせた幼子の殺害事件も次第に耳にしなくなり……雨の島で何度目かの年明けを迎えたわたしは、気付けば十三になっていた。








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