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「感謝祭(カーニバル)」

【9】
 ネイナの朝は早い。特に用事がない時でも、両親が健在の頃からの癖で夜明けと共に勝手に目が覚める。
 一度起きてしまうと睡魔はするりと逃げて、寝直すことも出来ずに朝の支度を始めるのが常だった。
 奇妙な男達に脅された翌日、案の定窓の外が白んでくる頃には起き出していたネイナは、早速階下に行って朝食の支度を始めていた。
 作り置きのスープを温め、パンを焼く。
 地下室に下りて冷やしておいた作り置きのバターを取り出し、小さなカップに盛りつけた。
(昨日は妙な一日だったな)
 あの後。
 イシリオンに家のすぐ側まで送り届けて貰ったネイナは、珍しく家に居たガゼルがやたらと心配してくれたお陰で、帰りが遅れた理由を懇切丁寧に説明しなければならなかった。
 居候であるガゼルにいちいち説明が必要と言うのも妙な話だが、やたらとネイナを案じる彼の姿に、悪かったなあと反省する気持ちが自然とわいてきてしまったのだ。
 設計図の内容を知りたがり、更にはネイナを拘束しようとした男達の話を聞いたガゼルは、案の定気難しい顔をして黙り込んでしまったのだが……しかしこの件について頭を悩ませているのは、他でもないネイナなのである。
(今まで何とも思わずに設計図を書いてきたけど)
 ヘルストックに設計図の内容を認めて貰って以来、しばらくの間はマメに図面の仕事が入ってきた。内容は全て改築増設にまつわるもので、王都で流行している隠し棚や小さな地下室などを、自宅に作ることを目的としていた。
流行は簡単に飛び火する。王都でそうした改築が流行していることはネイナも耳にしていたし、だから続けて同じ様な仕事が入っても、まるで疑いもしなかった。
 実際、人が隠れる程の広さもない隠し棚や地下貯蔵庫が、収納以外に果たせる役割など思いつかない。
 あんな物騒な連中がかぎつける位だから、もしかしたら自分の書く設計図がマイヨ右宰相にまつわる不穏な噂に関わりがあるのではないか、とも案じたが、仮にそうなら、隠し棚ではなく隠し部屋を作る筈だろう。
 暗殺と言う恐ろしい行為が必要とするのは、今のところそんなものでしかない様に、ネイナには思われるのだった。
(でもシニョンには宿屋が多いから、隠し部屋なんて作る必要もない筈よ。それならあの設計図の何処に問題が隠されているんだろう)
 気のせいではないかと思いたい。
 それでも連中は明らかにネイナ個人を狙っていたとイシリオンが話していたし、何よりまず設計士とは思えない外見をしているネイナのこと、突如見知らぬ男から「設計図を見せろ」などと言われる可能性など皆無の筈だった。
(あの時は頭が混乱して……そう言えばイシリオンさんにも、きちんと御礼が言えなかった気がするな)
 そう思った途端、脳裏を占めていた黄ばんだ設計図の画面が押し出され、代わりに白く整った顔立ちがぽんと浮かび上がった。
 一緒に居ると恥ずかしくなる位綺麗で、優しい人。
 並んで食事をした後、機会があればまた会いましょう、と約束までしてくれた。
 これまでネイナは人混みを恐れて感謝祭に参加したことがなかったが、食事の途中で何気なく「祭りに一緒に行ければ良いね」と言われた時には、力いっぱい頷いてしまったものだ。
(……ああもう、私って駄目だなあ。浮かれてる場合じゃないのに)
 だけど女の子なら誰だって憧れる位、イシリオンは理想的な青年だった。
 絵に描いた様な美貌に、自らの身の危険を省みずに、見知らぬ少女を救い出す正義感。誰しも他人の厄介事には巻き込まれたくないものだが、イシリオンはそれすらも飛び越えてネイナを助けてくれたのだ。
 彼の姿が強烈な印象と共に残ってしまったのだとしても、それはむしろ当然のことの様に思われた。
(じゃなくて、問題は設計図なんだってばっ)
 溜息がこぼれる。
 ぐるぐるとスープをかき回しながら自分の短絡さにうなだれたネイナは、けれどその時、ぽんと肩を叩かれて飛び上がった。
『済まない。気配を殺して来た訳じゃないんだが』
 振り返った先で、ひどく反省した表情でネイナを見下ろしていたのは、ガゼルだった。
 傷の治りが良好なのか、最近では家の中を自由に動き回る様になっている。
『スープの匂いが漂ってきたんで、我慢できなくて下りてきた』
 笑いながら席に着いたガゼルに、ネイナはようやく目の前のスープが煮えたぎっていることに気付いた。
 音が聞こえないお陰で集中力には欠かないネイナだが、これは言い方を変えると、没頭する何か以外のものが全く目に入らなくなると言う意味にもなる。
 反省しながら焼き上がったパンを卓子に並べると、最後にスープを用意して席に着いた。
『それでさ、昨日のことなんだけど』
 先にそう切り出したのはガゼルだった。
『あれから色々考えたんだ。あんた、もう「ヘルストックさん」て人の家には行かない方が良いんじゃないか? 相当稼げる様だけど』
『稼ぎのことは問題じゃないわ。ヘルストックさんのことよ、心配なのは』
 ネイナは真っ赤になって反論した。
 昨晩、設計図の話をしている途中にも、設計士ってのは相当儲かるんだな、とガゼルに言われていた。何故かと問うと、素性も知れない大の男を世話して、食事の支度をしてやる余裕まである様だからだと言う。
 別に嫌味のつもりではなかったのだろうが、ネイナにすれば、それは痛烈な皮肉だった。まるで自分が報酬の為にこの仕事に未練を抱いている様だと、ガゼルに言われた様な気がしたのだ。
『途中で投げ出す訳にはいかないわ。報酬のことではなく、ヘルストックさんが心配だから。あの男の人達のことをきちんと伝えておかなきゃいけない……』
 真剣な表情で言ったネイナに、ガゼルは軽く肩をすくめただけだった。
『そんなことより、ガゼルさん。妹さん探しの方はどうなってるんですか? 私なんかより、実の妹さんの方が心配でしょう』
『まあね。だけどあいつはしっかりしてるからな、むしろ馬鹿なことをしでかさないかと、そっちの方が心配なんだ』
『馬鹿なこと……?』
『妹は静寂の神殿の出身だ。だから』
 肝が座ってる、と笑って言ったガゼルに、ネイナは驚きのあまり、思わずパンを取り落としてしまった。
 だって、静寂の神殿の出身と言うことは。
 視線だけで問うと、すぐにガゼルは頷いた。
『勿論、神殿を出てからは王宮勤めをしていた。怪我をするまでの間だが』






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