感謝祭(カーニバル)index > 11

「感謝祭(カーニバル)」

【10】
「怪我?」
「そうよ、この顔の火傷のこと。マイヨがやったんだけど」
 さらりと言って、ベアブリスは仮面を外した。
 普段はつけたままでいる仮面も、食事時やお茶を口にする際、洗顔時などにはさすがに外して素顔をさらす。
 それでも大抵はウェズリの目を避けて行われていたから、部屋の明かりの下でまともに彼女の素顔を見るのは、もしかしたら初めてのことかも知れなかった。
 醜く引きつれ、未だ赤黒く変色した肌。ただれて輪郭さえ歪んでいるのに、鳶色の瞳だけはきらきらと輝いている。
 唇は両脇に切り裂いた様な跡があり、良く聞いているとよどみない筈の言葉も、時折こもった様に聞こえることがあった。
「私が神殿を出て王宮勤めを始めたのが今から五年前、十五の時よ。事務官として宰相の補佐を行うことになってね、左宰相じゃなくマイヨに付いたのは本当に不運だった……色々と噂の絶えない人ではあったけれど、噂なんて誇張されるものだからと思って気にしていなかったのよ。最初はね」
 愛らしい顔立ちのミケェヌ女王やその臣下達の中でも、マイヨは決して美男子とは言いがたい容姿をしている。
 骨ばった身体つきに神経質そうな青白い顔、何より生まれつき目が悪く、眼鏡を無くすとすぐ前にあるものでさえぼやけて見えなくなってしまう。
 それでも彼には上りつめた者だけに許される自信と誇りとがあり、それらの輝きは彼を常以上に輝かせていた……人々を魅了する才気と異例の出世劇の影で、彼を崇拝する人間は決して少なくなかったのだ。
 そうして、ベアブリスもまた、その一人だった。
「接触をはかってきたのは、彼の方が先だったわ。こんな姿になった後では信じられないでしょうけれど、当時の私は王宮事務官の中でも特に見目麗しいと評判でね。一年もしないうちに私は彼の寵愛を受ける様になった。最初は誇らしくてたまらなかったわ、彼は私の容姿だけじゃなく、才能も認めてくれて、最後には機密性の高い仕事を任せてくれる様になったから……彼の歪んだ愛情が疎ましくなるまで、そう時間はかからなかったけれど」
 マイヨには、唯一と言って良い絶対的なコンプレックスがあった。静寂の神殿の出身でないこと、通常であれば王宮勤めを行う為の第一条件だった筈の試練を乗り越えていないことだ。
 ミケェヌ女王は自らの即位以前より続いていた伝統的なやり方を払拭しようと神殿出身者でない者を多くとりたてたが、それでも国の柱たるべき三官僚のうち、左宰相、神官長の二人は静寂の神殿出身者だ。
 何よりミケェヌ女王本人がそうなのである。
 自らの周囲を固める神殿出身者の姿に、マイヨは深く嫉妬した。
 やがては狂おしいまでの憎しみを胸内に育てる様になったが、もしかしたらベアブリスを寵愛する様になった理由の一つは、やはり彼女が神殿出身者であったこと……優秀な成績で神殿を出た、と言う事実があった為かも知れなかった。
 傲慢な振る舞いと自らを卑下する屈折した感情、そうした相反する心理がマイヨを蝕み、生来残忍な性だった彼をますます狂気の淵へと駆り立てた。
 その矛先がベアブリスに向かったのも、きっかけがあったのではなく、むしろ彼の中に育まれた両極端の心のバランスが崩れ落ち、限界が来た為だったのだろう。
「私は彼を買いかぶり過ぎていたのかも知れない。彼を彩る傲慢なまでの輝きは、絶望的な影の中にあるからこそ眩しかったのね……それでも彼の狂気は当初、国法を犯した犯罪者や下級の使用人達に向けられていた。仕事を終えて自分の屋敷に戻った後、地下室に揃えた拷問道具を使っている時以外は、彼もごく普通の人間だったのよ。勿論、まともではあったんでしょうね……自分のやっていることを十分に理解していたし、分かっている上で楽しんでいたんだから。そのうち、マイヨの屋敷で暮らす様になった私にも暴力の矛先が向いて」
 命に関わる暴力はなかった。
 それでもベアブリスには耐えられなかったのだ、理由もなく繰り返される暴力は、自分に与えられた筈の寵愛と信頼から余りにもかけ離れたものだったから。
 ベアブリスはマイヨのもとを離れることを決意した。当時、王宮で良く顔を合わせていた神殿長と左宰相に相談をもちかけ、別の仕事を貰うつもりだった。
 けれどマイヨはその事実に怒り狂った……神殿出身のベアブリスが、やはり同じ神殿出身の上司を求めてマイヨのもとを逃げ出そうとしているのだと判断して。
 ……ベアブリスに行われた最後の拷問は、やはりマイヨの自宅で行われた。
 顔を焼かれたベアブリスは、最早王宮に留まることも出来ずに逃げ出すしかなかった。顔を襲う熱さと痛みに耐え切ったのは、静寂の神殿で鍛えた心があった為に他ならない。
「私にはもう何もない。こんな姿ではね、神殿の出身であることなんて意味がないもの。だから最後の仕事をやり遂げたいのよ。マイヨ・ゴレイールを同じ目に遭わせて……いいえ、あの命を奪うまでは、おさまらない」
 語り終えたベアブリスの姿に、ウェズリは不思議な感慨を覚えた。
 純粋とまで言える憎しみをマイヨに向ける女性、それなのに彼女の中には、割り切れない感情が確かに存在する様に思われたのだ。
「それじゃ、あんたはやっぱり、引けないよな」
 けれど口にしたのは別の言葉で、ウェズリのその台詞に、ベアブリスは深く頷いた。
「今更惜しむ程の命じゃない、顔を焼かれたあの時に私は死んでしまったんだもの。ただ、どうせ死ぬならあの男も一緒じゃなきゃ嫌なのよ。貴方もそうなんでしょう、ウェズリ」
 その通りだと頷いた。
 ウェズリもまた、マイヨに全てを奪われた人間だ。今更逃げ帰る場所もなければ、案ずるべき人間も、また案じてくれる人間も居はしない。
 それにしても、これだけ多くの人間に疎まれ、憎まれているマイヨはいっそ幸せであるのかも知れなかった。自分の命を賭してまでと思う人間が、少なくともここには二人居る。
 言葉を変えれば、マイヨの命にはそれだけの価値がある、と言うことなのだった。








page10page12

inserted by FC2 system