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「感謝祭(カーニバル)」

【12】
 ミネルバ教国首都バルターゴに建つ荘厳な王宮、バルシャナ。
 首都にちなんで付けられたその名称は、『傅く者』を意味する古代語でもある。
 本来国王は民人の為に自らを犠牲とし、命を捧ぐべき者である……と言う古代王朝に根ざした考えを形にしたもので、これを厭った過渡期王朝の歴代王達は、自らの御代が続く間、その名の使用をかたく禁じていた。
 しかし神官王が歴史の表舞台に立つ頃、バルシャナの名は新たな時代の指針たるべきものとして復活する。
 当然ながらミケェヌ女王もこの名を許し、現在では他国の大使達の間にもバルシャナの名は良く知られていた。
 本来の王宮は落ち着きある美しさに彩られた装飾タイルと石造りのものだったが、過渡期王朝の頃には、富豪王レイドルトが施した黄金と宝石の装飾のお陰でいささか華美すぎる外観をしていた。
 皮肉にもその豊かな時代が引き起こした幾つもの戦の為に、装飾のほとんどが武器へと姿を変えた為、現在のバルシャナ王宮はもとの質素な外観を取り戻している。
 そのバルシャナ王宮のタイル作りのテラスで、一人の女性が眼下に広がる緑芝の広場を眺めていた。
 美しく流れる黒髪は頭上でまとめられ、その横顔はどことなく人形の様な幼さを残している……華奢な身体を豊かな刺繍のドレスに包ませた人物、彼女こそ現ミネルバ教国女王ミケェヌ・シュビタだった。
「それで、マイヨは無事シニョンに入ったの?」
「恐らく予定より数日早くに到着したことでしょう。準備を整える為にもね」
 答えたのは、テラスにあるソファの上にのんびり腰掛けた女性だった。ベールに顔の半分を隠した彼女は、言うまでもなくフィアイオ・エリッタ神官長である。
 更にその隣では、女王陛下を立たせたままで下位の自分がくつろぐ訳にはいかないと、やたら生真面目な左宰相が不機嫌な表情で立っていた。
「……何か言いたそうね、バード」
 ミケェヌ女王の小さな言葉に、左宰相はぴくりと眉をひきつらせた。
 言いたそうね、どころの騒ぎではない。このテラスに出てからずっと、バードは物言いたげな視線をミケェヌ女王に向けていたのだ。
 口を開き掛けたバードは、こちらを見ながら小さく首を傾げる女王陛下の姿に言葉を詰まらたものの、やがては居心地悪そうに溜息をついた。
「私が口にすべきことではないのかも知れませんが」
「なに?」
「貴方の寵のかけ方は、端で見ていて恐ろしくなる時がありますよ。とても危うい……失言を許して頂けるのなら、マイヨの件は貴方の曖昧な態度が引き起こした災難であると言っても、過言ではないでしょう」
「そうね。大切なものは簡単に大切じゃなくなるから、注意しておかなきゃいけないわね」
 まるで見当違いの答えを、ミケェヌ女王は口にした。
「いずれにせよ、変革をもたらすのには丁度良い駒でしょう。彼らは」
 眼下に視線を戻したミケェヌ女王に、バードはこの日何度目になるか知れない溜息を再びこぼした。
 ミケェヌ女王の気まぐれについて知らぬ人間は、恐らくこの王宮内に誰一人として存在すまい。
 王たるものに必要な筈の威厳や頑固さ、公平さと統一性とに欠いた彼女は、けれどそれらを補って余りある程のカリスマ性を備えた女性だった。
 時には悪魔の様に残忍に、そして次の瞬間には慈悲深い王者へと姿を変える。
 それらの違いはただ一つ、彼女が相対する全てのものに、いかに興味をそそられるか否かにかかっていた。
 ミケェヌ女王には自らを動かす感情がないのだと、以前エリッタ神官長が語ったことがある。
 激情からほど遠い場所にある彼女は、それ故に静寂の神殿の試練を簡単に乗り切ることが出来た。
 恐怖や怒り、哀しみと言った負の感情から解き放たれ、彼女は後悔すると言う行為すら知らないのだ。子供の様に純粋で、それ故に振り回される配下の人間のいずれもが、生気を吸い取られた様に疲れ切ってしまう。
 マイヨ・ゴレイールを右宰相に起用すると宣言した時も、周囲の者達は驚きこそすれ、表立って反対はしなかった。彼女に禁忌は存在しない。それ故に安穏としたぬるま湯の様な日々に腐敗するミネルバに、新たな変革の風を吹き込むことが出来るのだ。
 しかし、と王宮の頂点たるべき人間の中で唯一マトモな感覚を持つバードは、ミケェヌ女王の振る舞いを前にするたびに、思う。
 気紛れな子供が飽きた玩具を取り替える様に、寵をかける人間を次々と変えてゆくミケェヌ。
 彼女の周囲に集う家臣達は、常に平穏からほど遠い日々を送ることとなる。
 それに耐え切れずミケェヌに対する畏怖を恐怖に置き換える者もいずれ出てくる。絶対に。
「それで、外の方はどうなっているの?」
 ぽつりと呟いたミケェヌの声に、バードの意識はようやく現実へと戻された。
 ぼんやりしていたバードに代わり、今度はエリッタ神官長が返答する。
「マイヨのことより、そちらの方が余程慎重を要することですからね。勿論手は抜いちゃいません。密偵もうまく向こうに馴染んでくれた様だし、来年の冬か、再来年の春には船の数も揃うはず。問題は起こっていませんから、マイヨの件が片付くまで放っておいて大丈夫でしょう」
 放っておいて良い、とは相変わらず無茶を言う。
 恐らく彼女はミケェヌ女王のもとで働きながら、唯一神経をすり減らさずに居られる貴重な人材だろう。その分バードの気苦労が増えている訳だから、有り難くとも何ともないのだが。
「それでは、エリッタのご忠告通り、そろそろ始めようかな」
 やがて手すりを背にして空を見上げていたミケェヌ女王が、ひどく平坦な声で呟いた。
 その声はすぐ側にいる二人にではなく、部屋へと続く硝子窓の向こうに控える存在に向けられたものだった。
「ゼフィトスに伝えなさい。本当はわたし達を思う存分楽しませて欲しいのだけど、鳥篭の中の鳥があんまり上手に逃げ回る様なら仕方ない。鳥篭ごと潰しておしまいなさいと」
 バードは眼前の小さな女王から視線を外した。
 それは、予期されていた筈の言葉だった。
「それにしても、あの有害な鳥篭が何処までマイヨを守ってくれるか……それだけで充分、面白い見せ物にはなりそうなのだけどね」








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