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「感謝祭(カーニバル)」

【17】
 祭りを翌日に控え、シニョンの町はようやく夜闇に沈んでゆく。
 さすがに祭り前夜ともなると、真夜中になっても外を出歩く観光客の姿が目立つ様になった。
 後は水路にボートを流すだけとなった町中の飾り付けはそのままでも充分に美しく、祭りで人出が多くなる前に……と辺りを散策する人間が増えるのも無理はない。
 しかしマイヨ目当ての刺客達にすれば、これは非常にやりにくい状況だ。私怨でマイヨを狙う人間であればともかく、仕事としてマイヨ暗殺を請け負った刺客達にとって、民間人を巻き込む行為は今後の仕事の為にもなるべく避けなければならなかったから。
 その為には今以上の隠密行動が必要になるが、祭りの二日目にシニョン入りするマイヨの行動範囲を考慮しても、今が最も準備に身の入る頃合なのである。
(警備兵の数もさすがに増えている様ね)
 近所を一周してから、ベアブリスはほっと肩で息をついた。
 ここまで精力的に行動を続けてきたものの、持続する緊張のお陰で、さすがに疲労の色が濃くなっている。
 昼間は仮面をつける必要があるので町中を出歩けず、従って彼女がマイヨ暗殺の為の下見を行うのは主に日が落ちてからのことだったが、ゼフィトスに脅迫めいた言葉をかけられてからは自然これまで以上の注意を払う必要が出てきた。
 それだけではない、ウェズリと手分けしてマイヨの情報を集めては居るものの、恐らくガーゼイ家の方では何歩も先んじているのだろう。
 それを思うとじりじりとした焦りが胸内を焦がす様だった。
 毎年シニョンを訪れる王族の予定はぎりぎりまで決定しない。それは彼らの身の安全の為でもあったのだが、マイヨについては更にあらゆる情報規制が布かれていた。勿論マイヨとて自らの立場は充分理解しているのだ。しかし。
 こんな所で手間取っている間に、自分の知らない場所でマイヨが死んでしまったら。
 それだけは許せない、と思った。
 例えウェズリの様に、全てを奪われて復讐にだけ生きることを誓う人間が居たのだとしても……。
(マイヨを殺すのは、この私だわ)
 ウェズリは今、ベアブリスと交替する形で休んでいる。明るいうちに辺りを見回った彼は、その際警備兵3人と刺客らしき男女2人の相手をする羽目になり、常になくぐったり疲れて宿に戻って来たのだ。
 そのまま黙って寝台に直行したものの、ベアブリスが宿を出る際にはしっかり「絶対に無茶な真似と抜け駆けだけはするなよ」と言っていた。
 少しでも早くマイヨに近付く。その為に尽力し合うのは彼を発見するまでのことで、それ以降は同じ目的のもとで競い合う敵同士に戻る、と言うのが二人の暗黙の了解だった。
 これまではうまく役割を分担して慎重にことを進めていた様に思う。
 問題はここからだ。
(土壇場になれば、暗黙の了解なんて言っていられなくなるわね。きっと)
 どちらにせよ、今日はこれ以上の収穫を望めそうにない。
 そう考えて宿に戻ろうとしたベアブリスは、その時、がらんとした通りを駆け抜ける人影を見咎めて足を止めた。
 黒いマントを頭からかぶった、いかにも怪しい複数の人影……偶然でなければ決して見つけることは出来なかったその姿に、ベアブリスは眉をひそめると、今度は慎重に水路から離れた通りへと滑り込んだ。
(マイヨの情報を掴んだ刺客? それとも)
 警備兵なら変装の必要はない、堂々と正面から警備を続ければ良いのだから。
 つまりマントに身を隠していると言うことは、彼らがマイヨを暗殺する側の人間であることを指し示していた。
 本来であれば不用意に近付くのは危険だが、彼らについて行けばマイヨに関する情報を入手出来るかも知れない。
 右宰相がシニョン入りするまであとわずか、その焦りがベアブリスをせき立て、黒マントの人影の後を尾けさせた。
 人影は石畳の通路を抜けて、月明かりが影を落とす閑散とした建物へと入って行く。大きな屋敷の裏口らしいが、試しに正面に回って眺めて見ても、明かりも、人の気配ですら感じ取れない場所だった。
 静かな通りの真ん中でしばし悩み、結局ベアブリスは裏口に戻って木造の扉をそっと押してみる……開いた。中を覗き、闇に沈んだ奥へと続く廊下に人影がないのを確認すると、ベアブリスは思い切って屋敷の入口へと足を踏み入れた。
 すぐに逃げ出せる様に扉は開けたまま、廊下を進む際も過ぎる程に周囲に気を配りながら歩く。
 仮面を付けているお陰でベアブリスの視界は通常の人間より遥かに狭い。
神殿の試練を乗り越えていなければ悲鳴を上げて逃げ出しそうな程の恐怖感が、じっとりと胸中に広がっていた。
(気配がないけれど、あの連中はどこに消えたのかしら)
 慎重に慎重を積み上げる様にして進んだものの、いつまでたっても人の気配がないので油断した。
 足も次第に屋敷の奥へと進んで行き、少なくともすぐには逃げ出せない程奥まった部屋へと近付いた途端、がた、と物音を聞いてベアブリスは立ち止まった。
(向こうの部屋だ)
 屋敷と言うのは広すぎて不便だ。王宮勤めとマイヨの屋敷で過ごした経験があるので迷うことはないが、暗がりの中では自分の居る位置が掴みにくい。
 それでも物音の記憶を頼りに進むと、今度は両側に六つ扉の並んだ廊下に出た。
 躊躇していると、片側の一室から再び物音が聞こえ、ベアブリスの背を押す。
 忍び足で近付くと、ようやく物音の聞こえた扉の前に立った。
 薄く、扉が開いていた。しかし中が見える程ではない。
 音を立てない様に扉を押すと、薄く明かりが漏れてきた。
(これは……?)
 部屋の壁に向かって必死に何かを取り出している男達の姿が映った。マントは既に脱ぎ捨て、邪魔にならない様に部屋の隅に寄せられている。
 しかしここからでは何を取り出しているのか良く見えない。
 更に身を乗り出したベアブリスは、しかしそれを確認するより先に、背後から喉を掴まれて息を呑んだ。
 声帯を押さえられ、悲鳴も上げられなくなる。
「こんな場所に迷い込むとは、随分と好奇心旺盛なお嬢さんだ」
 いつの間に来たのか、そこには一人の青年の姿があった。
 長い銀髪が闇に浮かび上がり、影に隠れた顔がゆっくりと笑みを形作っている。
「さて、正体を明かして貰いましょうか。貴方は誰に雇われたんです?」
「……待て、レンドル」
 喉に絡まった指の力が一段と強くなる。苦痛に仮面の奥の顔を歪めたその時、新たな人影が銀髪の男の隣に立った。
 その声を耳にした途端、ベアブリスの動悸が跳ね上がる。
「女を離せ。それは私の知己だ」
 指は、驚くほど素直にベアブリスの喉から離れた。
 痛みから解放され、そのままへたり込んでしまったベアブリスの前に、恩人となった男がゆっくりと歩み寄る。
「久しいな、ベアブリス。何故お前がここに居る?」
「マ……イヨ」
 呻く様な声で呟いた。
 居る筈のない人物、マイヨ・ゴレイールが、陰影に眼鏡を光らせながら微笑んでいた。
 






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