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「感謝祭(カーニバル)」

【3】
 大海に浮かぶ島々の中でも、主大陸と呼ばれるオラクシャーンの西に位置する小さな島の連なり、ミネルバ教国。
 その歴史を語る為には、まず、静寂の神殿について説明しなければならない。
 遠い昔、強大な力と知識の泉とを合わせ持つ神があった。神は自らの醜い姿を嫌って人々の前から身を隠したが、それを悲しんだ人々は、神の為に美しい神殿を建立した。
 この好意を喜んだ神は人々に一つの約束を残したのだった……すなわち、神殿を訪れる者に自らの持つ知識を与えよう、と言う約束を。
 人々は喜んで神殿の前に列を成したが、やがて欲望のままに知識を欲する人間の姿を前に、神は深い怒りと哀しみとを顕にする。そして、
 神は醜い欲望をもって神殿を訪れる人間を、髪一本残さず喰らう様になったのだと言う。
 この神話のもととなった神殿は『静寂の神殿』と呼ばれ、実際にミネルバ教国の本島に存在する。また、神に知識を請う為の命を賭した儀式も、神官達に与えられる試練へと形を変えて残されており、あらゆる欲望を越えたまことの聖職者となるべく、多くの神官候補生達が神殿で命を落としていた。
 神殿内部について詳しく知るのは神官達だけに限られていた為、人々が知るのは毎年選出された候補生達のほとんどが静寂の神殿で命を落とすこと、そしてその理由が、神殿に住む神の『人喰い』にあるのだと言うことだけだったのだ。
 その『静寂の神殿』の関係者が歴史の表舞台に立つのは今から数百年の昔、繰り返された戦乱の世に疲れた人々が、新たな指導者を求めたことに端を発する。
 ミネルバを長く疲労させた戦乱の原因は指導者の存在にあったが、彼らなくして新たな文明は生まれ得ないことを人々は理解していた。
 故に新たな選抜が行われることとなったのだが、この時選ばれた法律家、思想家、科学者、医者、英雄のいずれもが、同じ結末を辿るに至った。
 すなわち、見渡す限りの焦土と一切の破壊。
 変革が訪れたのは十代を越す王が立った後のことであり、その時新たに選ばれたネルートスと言う名の神官こそが、静寂の神殿の試練を乗り越えた人物だったのである。
 ネルートスのもたらした変革は瞬く間にミネルバを甦らせた。ミネルバの正しい歴史は、この時始まったと言っても過言ではないだろう。
 彼の偉業に尊敬の意を示した人々はネルートスを初代神官王と考え、これより以前のミネルバをミネルバ過渡期王朝、そして新たな神官王の御代以降をミネルバ教国と呼んだ。
 その後もミネルバの王位は世襲制ではなく、静寂の神殿の出身者の中から選定されることとなったのである。
「しかし、時代は変わったものよ。女王がたったのはこたびのミケェヌ陛下の御代が初めて、そのうえ前王 虐の後の即位であったことを考えると……」
「時代が変革を求めたのさ。流れを失うとどんなものにも濁りが生じる。陛下のもたらす新たな統治は、ミネルバの止まった時間をようやく動かしてくれるだろうよ。良くも悪くも、その判断は後世の人間と無粋な歴史書が決めることだ」
 ミネルバ教国首都バルターゴ。
 幾つもの小島の連なりからなる教国の中でも、本島であるリゼラの南に位置する美しい王都である。
 ネルートス神官王が即位した後に新しく建築されたと言う王宮は、静寂の神殿と隣接させる為、わざわざ遷都を行った上で考案されたものだった。
 今や静寂の神殿とミネルバ教国の繋がりは強く、国法では一切の他宗教が容認されていない程の徹底振りである。
 その王宮の回廊を歩く男女の人影が二つ……現ミケェヌ女王の側近であるフィアイオ・エリッタとバード・シェラタ。いずれもミネルバ教国の双肩を担う人物だった。
「それにしてもエリッタ、こたびの陛下のお考えはどうしたものか。あれではシニョンに混乱の種をばらまく様なものではないか? わざわざマイヨを代理に選び、かの地に向かわせるなどと」
「リスクが大きすぎる、と言いたいんだろう。しかしな、こればかりは仕方ないぞ。何しろ陛下は混乱が大好きだからな」
 口元を隠して笑いながら、エリッタはからかう様に言った。深い青のベールで顔の半分を覆った美貌の女性である。
 王宮内の人間であれば誰でも知っていることだが、このベールの奥には静寂の神殿で起こった火災の際、顔面に負った火傷の跡があった。当初は一介の候補生に過ぎなかった彼女も、現在では静寂の神殿の一切の責任を負う神殿長である。
 この言葉に溜息で返したのがバードで、歳よりは十は若く見える童顔の彼は、ミケェヌ女王にして「一人位は真面目な部下が居ないと、国が成り立たない」と言わしめた政治手腕の持ち主であり、マイヨと並び左宰相の地位にある人物であった。
「……エリッタ、口を慎め。お前が陛下と親しくしているのは周知の事実だが、そうした態度を見せる度に、私のもとに苦情が持ち込まれる」
「仕事に差し障るって? それは済まなかったね。だが、これは事実だよ」
 肩をすくめて、エリッタは言う。
「あちらの話を進めるのにもうしばらくかかりそうだから、陛下は退屈していらっしゃるのさ。平和の生温い空気は緩慢な死に似ている……私でさえ、時折たまらなくなるよ」
「他に幾らでも方法があった筈だ」
「まあ良いじゃないか、事実面白くなりそうなんだし」
 およそ静寂の神殿の長とは思えない砕けた調子で、エリッタは再びからからと笑った。
「大切なのは楽しむことさ。最後に何が残るのか、ここにたどり着くのが誰なのか、少し位楽しんだって罰は当たるまい?」
 エリッタ、と呟き、バードは再びため息をついた。
 マイヨはシニョンで命を落とすだろう。恐らくは、そうなる。
 だがそれは、シニョンが滅びる時だ。マイヨの命はシニョンと共にある。
「いずれにせよ、マイヨはもうシニョンに向かって出発した。陛下に次ぐ権限を持つお前でも、今更どうにも出来ないだろうよ。せめてあの男が旅路の途中で命を落とすことがない様に祈ろうじゃないか。我々の長年の友人の為に、ね」
 





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