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「落ちてゆく夢の終わり」

壺毒の病D
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 辺りは騒音に包まれていた。
 騒がしさに気付いて、タカシはその場に身を起こす。あんなに静かだった広い部屋の中は、点滅する様々なライトと理解出来ない音とに包まれ、ひどくにぎやかになっていた。
 ……と、そこまで考えてようやく気付く。
 ここは王座の間ではない。
 無数に並ぶカプセルのその中に、タカシはいたのだった。
 また夢を見ているのだ。だけど自分はどうして、何度も同じ夢を見るのだろう?
 そんなことをぼんやり考えていたタカシは、ふと視界の隅に何かを捕らえて、顔を上げた。
 遠くから、自分に向かって駆けて来る姿……それは、綺麗な茶色と黄色の斑の毛並み、そして灰色の瞳をした猫だった。
 何故か懐かしさを覚えた途端、タカシの記憶は急激に鮮明になる。
 そう、俺はここであの猫と話をしたのだ。
 こんな確かなことを、どうして今まで忘れていたのだろう! 
『ああ、良かった、貴方は無事だったのですね』
 ようやくタカシのカプセルの前までたどりついた猫は、全身で安堵の息をつきながら呟いた。
 荒い息は駆けて来た為でなく、押し潰されそうな不安と闘った為らしかった。
『何かあったのか?』
 猫は答えず、ただ小さく微笑んだ。
 仕方なしに辺りを見回したタカシは、やがて気付く。自分の周りにあるカプセルの幾つかの蓋が、すっかり開いていることに。
『これは……どうして、』
『魔術師に貴方の動向を知られてしまったのです。時間の問題だと、覚悟はしていましたが』
『そうだ、俺……俺、あいつに』
 呟き、タカシははっとした。
『やっぱりあいつが全部悪かったんだな? お前は夜伝が悪いって言ってたけど、魔術師がいたから夜伝は偉くなったんだもんな。なあ、あいつ、何? もの凄く気持ちが悪かった……』
『あれは、私達の主のもう一つの姿なのです。生まれずに終わった希望の種。だから“絶望”である彼は、あんな姿をしているのですよ。彼をああさせたのは貴方達人間です』
『絶望?』
『貴方達は選ぶことが出来たのです。それなのにまた、間違ってしまった。だから何より絶望しているのはあの魔術師なのです。そうして彼が現れた以上、私達にはもうどうすることも出来ない筈だった。なのに私はこうして貴方と語り、もがいている』
 タカシはぼんやりと猫を見つめる。
 事情は分からないけれど、ただひどく、彼が悲しんでいることだけは分かった。
 そうして、もう誰にも止められない大変な事が、いよいよ始まってしまったらしいと言うことも。
『……もう、駄目なのか。俺が頑張っても、どう仕様もないのか? 湖の国の王様に会ったけど、何も出来なかった。きちんとした霧練りも出来なかったんだ。それに俺、目が覚めたら、ここであったこともお前のことも全部忘れちゃうんだよ。大切なことなのに』
『仕方ありません。“絶望”が関わった以上、もう誰も、あの可哀相な人を救うことは出来ないのです。あの人には、誰の言葉も届かないのだから』
 猫が切なげに言った途端、タカシは不意に、魔術師の持つ「壺」の意味が理解出来た気がした。
 壺毒の病……ああ、そうだったのか。
『だけど俺、あの人は幸せな人だと思う。だってコドクなのは自分がそう思ってるだけで、本当はあの人のこと、皆が大切に思って心配しているんだから。王妃様だってうんと心配してた。そうだろう!?』
 やさしい微笑みが、猫の顔を彩った。
『そうですね。同じなのですよ。独りも沢山も。自分でそうと気付かなければ』
 その時、遠くから複数の足音が聞こえてきた。
 猫は表情を堅くしてタカシの肩を掴むと、そのままカプセルの上に強引に横たえる。
 突然のその動きに、タカシはびっくりして、あらがった。
『ちょっと待って……なあ、一体これ、どうなってるんだよ! ここは前の夢の時より騒がしいし、それに皆のカプセルの蓋も開いている。何かあったんだろう!?』
『ここは時々こうなるのですよ。さあ、もうすぐ眠りは覚めます。そこで貴方はまた、私のことを忘れてしまうでしょう』
『待てってば! 俺、あの魔術師に壺を見せられて、それでこの夢を見てるんだ。だから目が覚めた後には、王様と同じになってるかも……』
『大丈夫ですよ、貴方が目覚めるのはお城の中ではなく、もっと別の場所です。貴方が何かを成せる筈の場所……なに、今なら出来ます。今なら、きっと』
『何をしている!チャム、人との接触は禁じられているんだぞ!』
 駆け寄る足音が声に変わった。
 振り返るより早く、チャムと呼ばれた猫は再びタカシを突き倒して、カプセルの蓋を閉じてしまう。
『おい、猫! 頼む、まだ聞きたいことがあるんだ! あのパネルの色はどれだけ赤くなった? 俺、本当にまだ間に合うのか!?』
 視界には、冷たい機械に囲まれた世界と、綺麗な灰色の瞳をした猫の顔が映っている。
『なあ! 教えてくれよ、頼むから……!』
『……良く聞いて下さい、タカシ。貴方の側に何か不思議な存在があります。私達に管理されていない、本来ならば存在しない筈の魂……主も気付いているようです。あれは、一つの変革なのだと』
 猫の呟きは低く、どこまでも遠かった。
 タカシの意識は急速に波に飲み込まれ、最後の歪んだ視界の中に、肩を掴まれて連行されるチャムの姿が映る。
 けれどそれらはもう、タカシにとって、瞳に映るだけの出来事でしかなくなっていた。







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