鎮魂の社index > 12

「鎮魂の社」

<11>
  僕は、呆然と目の前の桐塚さんを見つめていた。
 神って言ったよな。今、この人。
 普通なら「誰か病院に連れて行ってあげて」的発言なんだけど、笑えないのは桐塚さんから漂うオーラがとんでもなく強烈だからだ。
 霊が見えるのと同じように、僕は時々、強すぎる他人のオーラを見てしまうことがある。
 つまり桐塚さんの雰囲気は、普通じゃ考えられないくらい強くて、僕はこの時、すっかり圧倒されちゃってたんだ。
「神様……なの?」
 我ながら馬鹿なこと言ってると思う。
 だけど問いかけた僕に、桐塚さんはにっこり笑って頷いた。
「はい、そうです」
「隆史の知り合いの神様って、それってつまり、ここの神社の神様?」
「それは違います。私の名は布都御魂大神、石上神宮に奉納されている霊剣ですから」
「ふ、ふつのみたまおおかみ」
 舌噛みそうな名前だ。
「おや、その様子では、貴方は神道史にあまり詳しくないようですね。そもそもこの水縄神社に十種の神宝が奉られている、と言う説明に、何の異論も抱かないのがおかしいのですが」
「異論って、その説明、どっか変?」
「十種の神宝とはニギハヤヒ命が天神より拝領して天下らせた神宝、つまり天皇に献上されたものなのです。そんな大層な宝が、本当にこんな辺鄙な神社に奉納されているとでも?」
 て、天皇に献上!?
 それってつまり、国宝ってことじゃないのか?
 そんなものが水縄神社に……確かに、ある筈がない。
「じゃあ、隆史は何であんな嘘をついたんだよ」
「十種の神宝は現在、奈良の石上神宮に奉納されていると言うのが一般的な考えです。現に彼の神宮では、十一月に十種の神宝を用いた『鎮魂祭』が行われていますからね。しかし、志沢隆史は嘘を付いた訳ではないのです」
 すっと胸ポケットにあるタバコを取り出そうとして、桐塚さんはひっそり笑った。
「ここではマズいな。彼に知られるとコトだ」
「た、タバコはともかく……じゃあ、ここに十種の神宝があるって言うのは本当なの!?」
「勿論です。先ほど見たでしょう、彼と神宝とが共鳴するところを」
 僕はごくりと生唾を飲み込んだ。
 隆史と神宝が共鳴。
 そうか、あれってつまり、そう言うことだったのか……。
 って、ちょっと待てよ。何で隆史が共鳴なんかするんだ?
「十種の神宝は石上神宮に奉納されている。これが神道史の常識です。しかし、その実物を見た者は誰もいない……十種の神宝は、その存在自体が謎とされる宝なのです」
「だけど、本当はこの神社に奉納されてる?」
「その通りです。だからこそ、ここに布留御魂大神が降臨している」
 ふるのみたまおおかみ。
 さっきと名前は似てるけど、まさか、これって。
「先ほどの姿を見ても、まだ気付きませんでしたか? あれが彼の本当の姿です。彼の正体は、フルノミタマ大神。志沢隆史の身体を借りてあらわれた、十種の神宝の神格化された存在なのですよ」
 ずるっと音がして、視界が一気に低くなった。
 と思ったら、僕はいつの間にかその場にしりもちをついていたらしい。
 ま、また腰が抜けて、力が入らない。
 だって頭がこんがらがって、何がなんだか。
「隆史が、神様? 貴方と同じ? じゃあ、隆史は、本物の隆史はどこに」
「一つの身体に二つの魂が宿ることはありません。貴方の知っている志沢隆史は、もうこの世に存在しないのです」
 思い出して下さい。
 そう言って、桐塚さんが僕の前にしゃがみ込んだ。
 貴方は知っている筈です。彼の魂が失われた時、フルノミタマ大神がその身に宿った瞬間を。
 声は、遠く、近く、さざ波のように僕の脳裏に響いてくる。
 思い出せ……眼鏡の奥の瞳に強要されて意識が歪み、小さな頃の僕の記憶が甦った。幼い僕自身の姿が。
 後ろから、恐る恐るついて来るのは隆史だ。
 まだ体の小さい隆史は、ひどく怯えた顔で、僕の服の裾を引っ張っていた。
 恐いよって、言葉じゃなくて目だけで訴えている。
 それなのに僕は無理矢理隆史を連れて行ったんだ。あの、岩壁の祠まで。
 そうして、遊んでいて偶然見つけた不思議な穴の中に身体を潜り込ませて、そのまま……。
 そのまま、僕は穴の中に滑り落ちた。
 そう、落ちたんだ。
 僕の服の裾をしつこく掴んでいた隆史も一緒に。
 何度も視界が回転して、土埃でむせ返りながら、僕は真っ暗な穴の中で目を覚ました。
 隆史はすぐ近くで気を失っているように見えて、恐くなった僕は隆史を何回も揺すって。
 だけど違ったんだ。
 あれは、気を失ってたんじゃない。
 ぐったりして動かない隆史を、僕は何度も揺さぶったと思う。
 隆史の顔がきちんと見えない。何で動かないのか分からない。
 誰か助けて、って叫んで、何度も叫んで。
 ……優しい掌の感触を覚えて、僕は我に返った。
 いつの間に泣いていたのか、顔が涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「思い出しましたね? あの時、隆史君は死んだのです。貴方はそれを信じたくなかった……だから忘れてしまったんですよ。そして、祠の中にいた彼は、それを利用した。隆史君の身体を奪い、何事もなかったように貴方と一緒に帰って行った……」
 どうして思い出さなかったんだろう。
 動かなくなった隆史を何度も揺さぶったこと。
 穴の中の暗闇が僕にのしかかって来るようで、早く隆史に気が付いて欲しかったこと。
 一緒に抜け出そうと思って精一杯隆史の身体にしがみついて、それなのに隆史はぴくりとも動かなかったこと……。
「信じられない」
「何がですか?」
「だけど……どうして? そんなに偉い神様が、何で隆史の身体に入ったんだよ」
「この岩壁の向こうの御神体は、常に孤独な闇の中に存在した。永遠と言うのはね、とても辛いものなのですよ。変化のない日々など苦痛でしかない。それは神にとっても同じことです……フルノミタマ大神は、貴方の存在を知った時から、自由を求めるようになった。次第に力を失いつつある存在でありながら、貴方の力を得たいと思ったのです。恐らく貴方自身は気付いていないのでしょうが、生玉と貴方はとても近い力を持っています。そばに居る者に力を与える存在、彼はそれを知っていたが故に、隆史君の身体を使ったのでしょう。貴方のそばに近づき、力を得……この永遠の牢獄から逃れる為にね」
「じゃあ、やっぱり」
 隆史は死んだんだ。
 あの時、僕のせいで命を落として、それからはずーっと隆史じゃない隆史がそばに居た。
「貴方が自分を責める必要はない。そもそも、おかしいとは思いませんか? 何故こんな場所に、貴方が引き寄せられたのか」
 静かな桐塚さんの声に、僕はぎょっとした。
「まさかそれって、その、フルノミタマ大神が、僕を呼んだってこと?」
「そして、代わりになる身体もね。全てが偶然の事故だと考えるのは、あまりに安易と言うものでしょう」
 ……隆史の身体が欲しくて、神様が隆史を殺した?
 背筋がぞくっとして、僕は言葉を失った。
 急に変わってしまった隆史。成績優秀でスポーツだって何でもこなして、頼りがいがあって、でも素気なくなった。
 あれは変わったんじゃない、隆史の身体を借りた神様が本性を現しただけだった……ってことなのか?
「信じられない」
「え?」
「だって……そんなの……そう、だよ、大体神様が人を殺すなんて変じゃないか」
「神は慈愛に満ちた万能の存在ではないのですよ。貴方はもう少し神道史を勉強すべきでしょうね」
 呆れたように言われたけど、むっとするどころじゃなかった。
「ですが、これで分かって頂けたでしょう。彼が貴方にとって危険な存在であること、そして一刻も早く、距離を置くべきだと言うことがね」
「ちょっと待って! まだ問題が残ってるよ、どうして生玉が消えたのかって問題がさ。隆史が神様なら、少なくとも御神体を盗まれるようなことにはならなかった筈だろ!?」
「油断していたのでしょう。だからこそ、あんなに焦って生玉を捜している。このままでは力の大半がそがれたままでしょうからね。ですがそれは、今なら貴方にも打つ手がある、と言うことを意味します」
 桐塚さんが僕の身体を支えてくれる。
 立ち上がりながら、僕はじっと桐塚さんを見た。
「打つ手って、何を」
「彼は貴方を利用しようとしている。だからこそ、先手を打って彼を撃退するのですよ。取り返しがつかなくなる前にね」





page11page13

inserted by FC2 system