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「かみさまの木」

白い手紙の謎H
「ど、どないなっとるんや今のは」
「幸里さん、松之助さん、大丈夫ですか!?」
「俺は大丈夫やけど、さとっちゃんが」
「……僕も平気」
 短く答えて、幸里は深く吐息した。
「ちょっと驚いたけど」
「一体何やったんですか、今の子供」
 呆然としながらも、ひとまず集まってきた刑事と看護婦とに事情を話して持ち場に戻って貰った村井刑事が病室に戻って来た。
 その言葉に、文子が険しい顔で声を上げる。
「六条男爵の坊っちゃんです。六条章太言うしょっちゅう暴れて問題起こしてる子で、今みたいなことも初めてやないんですよ」
「はあ……それで新居さんに怪我はないんですね。その、身体の加減の方も?」
 改めて訪ねるのは、朝方に淀見執事が起こした騒動で『伯爵家の嫡男』の名を聞き、必要以上に気を遣っている為なのだろう。
 村井の言葉に、幸里は再び同じ言葉を重ねた。
「平気、です。驚いただけですから」
「せやけど何であの子はここで暴れたんですか。理由はあるんでしょうね、勿論」
「知るかい。急に来てさとっちゃん嘘つき呼ばわりして、挙げ句殴りかかって来たんや。あんた刑事やろ、ああ言う問題児は一晩警察に入れて反省させたってくれっ」
「……そんな滅茶苦茶な」
 困惑した体で呟き、村井は額の汗を拭いた。
「勘弁して下さい。昨夜からこっち事件続きで人手が足りてへんのに、こんなことやったら郵便柱函の方に派遣された方が良かったわ」
「郵便柱函?」
 幸里が不思議そうに訪ねると、村井は顔をしかめたまま「ええ」と頷き、
「昨夜、どっかの阿呆が郵便柱函を二三、壊していきよったんです。管轄がいっしょやったから面倒で……ああ、そんなことより」
 と、村井は部屋の外を振り返った。
「私もう少しここに居れますんで、例の執事さんが戻って来るまで待機しときましょうか」
「……淀見が戻って来るんですか?」
 幸里の言葉をどう取ったものか、村井はううんと腕組みになり、
「そうやなあ。うん、ほんまは外で見張っとくのが良いんでしょうけど、今みたいなことがあってもいかんし、一応中に居りましょか」
「あの、そのことなんですが」
 腕組みして言った村井に、幸里は慌てて、
「今の騒ぎは、淀見に内緒にしておいて頂けますか」
「へ?」
「お願いします。この話が淀見から母に伝わると、また心配を掛けてしまいます。昌子さんのことでも相当心労を掛けているので」
「ほんまはあの子が殺したんとちゃいますか」
 その時不意に響いた低い声に、幸里は思わず口をつぐんだ。
 余りにも物騒な発言に村井刑事と松之助が驚いて声の主を見ると、それは診療所でも一番昌子と親しく、共に幸里の病室付きとして働いていた文子の声だった。
「ええと、貴方は確か、和田さん……」
「あの子が昌子さん殺したんとちゃいますやろか。ねえ刑事さん、よう調べて下さいよ」
「あの子て、今走り去った六条男爵のご子息?」
「そうです。あの子、昨日の夜は何してたんですか。ここにしょっちゅう出入りしてるんやし、夜中に忍び込むことかて簡単な筈です。そら元孤児言うたかて今は六条男爵家の息子さんやし、大きな声では言えませんけど……もしかしたら外出言うんも、あの子に会う為の口実やったんかも知れへん」
「でも、まだ昌子さんが殺されたかどうかさえはっきりしていないんですよ。幾ら何でも和田さんの考え過ぎではないんですか」
 幸里が宥める様に言うと、文子は珍しく険しい顔を幸里に向けて、
「そんなこと! 第一昌子さんの遺書は見つかってへんのでしょう。それやったら自害やなんて、はっきりせえへんのやないですかっ」
 ……文子の言う通りだった。
 確かに遺書の類は未だ見つかっていない。付近で見つけた封筒は唯一の遺留品と呼べなくもなかったが、先程幸里が推測した通り、あれが遺書とは到底思えなかった。
 今なら松之助にも理解出来る……これから死ぬ人間が、遺書に『タスケテ』と書くだろうか? 





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