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「かみさまの木」

郵便柱函の謎@
 大阪・船場。縦長に伸びた地域の北に、道修町と呼ばれる町がある。
 商いと薬の町として知られ、薬種商を営む者であれば一度は店を出したいと望む憧れの地……その道修町に江戸時代から続く老舗の薬種商として店を構えるのが、鷹谷連一郎商店なのであった。

 事務所と自社製薬工場を持つ鷹谷家は、その二つから少し離れた漆喰の土塀造りの大店に居を構えている。
 問屋の並ぶ通りの中でもひときわ大きいその店先には、タカレンの商標の入った暖簾がでろんと伸びて人目を引く。
 御三家(現在の武田製薬・田辺製薬・塩野義製薬)と並び、大手製薬会社として知られる『タカレン』ならではの光景であった。
 時刻は既に午後九時を過ぎている。当然ながら店仕舞いを終えたタカレンの使用人達は夕食を終えて二階の部屋に戻っていたが、しかし静まり返った座敷には未だ人影が残されていた。

 松之助と、母親の峯子夫人である。

「ええか、松之助。私は何も友達の心配するのが悪いことや言うとるんやない。学校行く前のあんたにあないな話した私らも悪いて思てるわ。それでも今回のことが学校さぼる理由にはならへんのやで?」
「……せやけど」
「女々しい言葉遣いしなさんな! 私はそう言う物言いが一番嫌いなんや」
 ぴしゃり、と言われて首をすくめる。
 誰も居ない座敷で二人が向き合って正座しているのは、言うまでもなく、本日の松之助の学校サボリの叱責の為なのであった。
 ちなみに祖父母は既に峯子に説教を任せて座敷から退散してしまっている。
(失敗した。警察からわざわざうちに連絡入るやなんて思わんかったから)
 一応本日の件については、陸市にさえ口止めすれば絶対にバレないだろう、とタカをくくっていたのが悪かったらしい。
 食事を済ませて自室に戻ろうとしたところで捕まり、延々今まで説教をくらっている。
「ええか、松之助。あんたにはどうも自覚が足りんようやな。タカレンの跡取りとして、ほんまやったら今は一番勉学に励まなあかん時期なんや。それをあんた、サボるやなんて」
「殺人事件て聞いてじっとしとられるかいな! さとっちゃんが巻き込まれたんやで、おまけに亡くなったんは俺も知ってる看護婦見習いの人やったし、非常事態やろっ」
「それでも勉強は学生の本分、今は進学控えて大切な時期でもあるんやから、授業が終わって駆けつけても良かったんちゃうか」
 しゃきしゃきと一息に言い切ると、峯子は眼前に正座する息子に鋭い視線を向けた。
 峯子は小柄だが、全身から漂う気迫の様なもののがいつも周りに「大きい」印象を与える迫力の人である。
 松之助の童顔の理由でもあるその若々しい顔立ちは何年たっても老いることを知らず、特にその芯の強さ、頑固さは年を経ても衰えなかった。
 しかし峯子の血を確かに継ぐ松之助とてそれは同じ、こと幸里に関しては一歩も引かない息子の頑固さを、峯子とて重々承知した上での叱責なのである。
「あんたが友達を思う気持ちは大切や思う。ほんまやったらこないなことは言いたないんやけど、あんたがあくまで譲れへんのやったらしゃーないわ。これ以上診療所通いで勉強に支障きたす様なら、通いはやめて貰う」
「えええっ!?」
 悲鳴の様な声を上げて、松之助は母親を凝視した。
「そんなん勝手や! 最初はさとっちゃんと親しゅうせえて言うとった癖に、親しなった途端に制限つけるんか!?」
「ものには限度がある。私が怒っとるのは学校サボったことで、新居さんと仲良うするなとは言うとらへんでしょう。大体事件や何や言うたかて、あんたが行っても状況は変わらへんのや。ほんまに新居さんの役に立っとる言うんやったらともかく、してることは心配や何や言うて周りで騒ぐだけやないの」
 いい加減、長々と続けていた説教にも疲れていたのだろう。松之助が少しも引かないので、どうやら峯子は最後の手段に出た模様である。
 しかし、役に立たないと言われて反省する松之助ではない。
 何故なら今の松之助には幸里との大切な約束があったのだから。
『松之助。一つお願いがあるんだけど、構わないかな』
 診療所で、そう告げた幸里の白い顔を思い出す。
『僕と一緒に事件の真相を究明して欲しいんだ。昌子さんは自害したのか殺されたのか、犯人が居るのなら誰なのか、そして残された封筒の意味は何なのか……』
 何故、と松之助はいぶかった。何故幸里が、そこまで今回の事件に入れ込むのか。
 自分達が究明せずとも、警視庁が動けばいずれは真相が分かることである。
 後は新聞などで事の顛末を知れば良いだけで、松之助がそれにケチをつけるのならともかく、幸里がこうした行動に出るのは非常に珍しかった。
 けれど、不思議そうにする松之助に、幸里は言ったのだ。
 自分は、何故昌子があんな風に死ななくてはならなかったのかを知りたい。どうしても、知りたいのだと。
 幸里は診療所に居て動けない。だから松之助と協力し、二手に分かれて事件の背景を調べようと考えたのだろう。
 松之助は結局これを承諾した。幸里が危険な目に遭うのは嫌だったが、この分なら彼に警視庁の見張りや淀見辺りの手配した護衛がつくことは必死だったし、自分の中にもある謎解きの好奇心を満足させたいと言う気持ちも強かったのだ。
(俺はさとっちゃんに頼まれとるんやからな。役に立ってへんことあるかいっ)
 幸里が診療所で昌子のことを調べる間に、自分は最後の夜に昌子が出掛けた場所と、六条章太について調べるのだ。
 そうした自信が今夜の松之助を余計に頑固にさせている。
「ほんまに、あんた言う子は」
 やがて僅かな沈黙の後に、峯子が軽く額を押さえて俯いた。
「誰に似たんやろ。一回決めたら引かへんのは、あの人の血ぃかも知れへんなあ。どうせ目的は見舞いだけやあらへんのやろ」
 図星を差されて、どきりとした。
「その根性に免じて教えたる。新居さんは明後日にも診療所出ることになるんよ。そうなったら首突っ込みとうても突っ込めんようなる、我侭も今のうちやな」
「……え。ええっ、詠子夫人が決めたんか!?」
「そらそうやろ。ご子息がこないな事件に巻き込まれて黙っとられる筈がない。しばらくは別邸で療養することになるんやろな」
 言って峯子はにやりと笑うと、
「別邸やったら学校サボって会いにも行かれへん。あそこの執事さんがそないな悪ガキ通す訳あらへんからな。さ、分かったら約束しぃ。もう絶対学校サボらへんて……」
「失礼します、峯子様」
 その時、障子の向こうから陸市の声が掛かった。
 ぴくりと反応して、峯子が閉じたままの障子を見遣る。
「何ぞ用か?」
「申し訳ありません。実は私、明後日にある学校の試験の添削を松之助様に頼まれておりましたもので、そろそろお部屋に戻って戴き、勉強を進めた方が良い頃合と思って失礼ながらもお邪魔させて戴きました」
 えええっと松之助は焦った。
 学校の試験などに覚えはない。しかし障子を開けて顔を覗かせた陸市の様子で、どうやらこれは松之助を救出する為の芝居らしいと納得する。
「宜しいでしょうか」
「試験やったらしゃーない。松之助、あんたもよう分かったやろから部屋に戻ってええわ」
 そんな訳で、松之助はようやく母親の叱責から解放されたのであった。




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