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「かみさまの木」

郵便柱函の謎E
 屋敷の裏に廻ると、そこから先は敷地をいっぱいに使った庭に続いていた。
 洋風建築の屋敷自体も随分と場所を取っているが、それを省いてもまだ広い。
 庭の隅、均等に植えられた木の根元には動物小屋まであって、訪ねてみると、男爵の趣味で飼っている兎などの小動物、それからミルクと卵の為に飼育している牛や鶏が居るのだと説明された。
 なるほど、風向きが変わると、微かな動物臭が漂ってくる。
 どこまでも続く庭の遠く向こう側に、邸宅の外を車で走っていた際に見た煉瓦の壁が、延々と続いていた。見渡す限りの芝庭園だ。
 しばらく歩いて、松之助と陸市は小さな池の側にある卓子と椅子の前にたどり着いた。
 どうやら章太はここに居る筈だったらしく、誰も居ない椅子と庭とをきょろきょろ見比べた使用人の女性は、明らかに困惑した表情で、
「もうしばらくお待ち下さいませ」
 松之助と陸市とに頭を下げるなり再び茂みの奥や木の陰を探し始めた。
 松之助はしばらく黙って池に浮かぶ金や赤の見事な鯉を眺めていたものの、やがて使用人が幾ら探しても章太の姿を見つけられずに居るのに気付くと、慌ててしゃがみ込むその姿に声を掛ける。
「後は俺らで探しますから、ええですよ」
「ですがその様なお手数を」
「構わへんですて。ここまで案内して貰たんやし、用事が終わったらちゃんと言いに行きますよって、仕事に戻っといて下さい」
 しばし躊躇したものの、松之助の言葉通り別に仕事があったのだろう。
 使用人は頭を下げ下げ、屋敷に戻って行った。
 こうした言葉が掛けられる様になったのは、恐らく幸里の影響だろう、と松之助は思う。
 昔の自分ならいつまでも使用人に章太を探させ、見つかるまでのんびり鯉でも眺めていたのに違いない。
 俺も大人になったもんやなあ、とぐふぐふほくそえんでいると、陸市が気遣わしげに声を掛けてきた。
「私が章太様を探して参りますので、松之助様はこちらでお待ちを……」
「せやけど陸市、あのガキの顔知らんやん。俺も行くから一緒に探そ」
 言って庭園をぐるりと眺めた途端、その広さに思わず冷や汗が出た。探す程の広さの庭と言うのもかなり問題があるのではなかろうか。
 工場経営で財を成したと言っていたが、これ程までの洋式建築の邸宅を構えたりタカレンや孤児院に資金援助を行う位だから、六条男爵は幸里の父親同様、名ばかりの華族ではない訳だ。
 それにしても、と松之助は一人目を細める。
(何や深刻そうやったなあ、男爵。優しいのは優しいんやろけど、どうも気ぃ弱そうな所で負けとるみたいやし……心開かへんから言うて何もあそこまで腰低うせんでも、ビシッとしつけたら終わりなんやで、こう言うんは)
 以上、ビシッとしつけられた松之助の意見であったが、しかしあの穏和そうな男爵が子供を厳しくしつけている姿と言うのは確かに想像しにくい。
(よぉーし、こうなったら俺ががつんと言うたる。甘えとんやないわっ、とか何とか)
 妙な気合いを入れながら茂みをより分けていた松之助は、しかし不意に聞こえてきた物音にはっと動きを止めた。
 隣に居た陸市も怪訝そうな顔で辺りを見回している。
 再び音がした。次いで、ぎゅう、とくぐもった鳴き声。
 何が見えた訳でもないのに松之助の背筋が冷たくなった。
 動物臭に混じって、生臭い匂いが漂ってくる。
「松之助様……」
 何事かを呟きかけた陸市を無視して、松之助は音と匂いのもとである茂みの奥へと突き進んだ。
 途端、視界が開けて子供の後ろ姿が見える。
 章太だった。
 こちらからでは背中しか見えないが、どうやら松之助達の登場にも気付かぬ程の熱心さで、何事かの作業を続けているらしい。
「お前、こんなとこで何しとんや」
 思わず声を掛けると、小さな肩がぴくりと震えてこちらを振り返った。
 と同時に、彼の身体で隠れていたその手元が明るみになる。
 松之助は息を呑んだ。
 それは兎だったのだ。血をまき散らした兎の死骸が、章太の手の中でぴくぴくと痙攣している。
 見れば章太の服は返り血を浴びて真っ赤に染まり、鮮血の斑点が顎にも飛んでいる凄惨さだ。
 動きを止めたその右手に鮮血に鈍る西洋ナイフを認めた途端、麻痺していた感覚がようやくまともになり、松之助はこみあげてくる何かを堪えてしゃがみ込んだ。
(兎……生きたまま、裂いとる……)
 こちらも呆然としていた陸市が慌てて松之助に駆け寄ったが、その間も章太は眉一つ動かさず、ただ黙って二人を睨み付けている。
 やがて睨むことにも飽きたのか、ふっと視線を逸らしたかと思うと再び兎にナイフを振り下ろした。
 後には肉を裂く鈍い音だけが続く。
「や、やめんかこらっ!」
 もはやぞっとするどころの騒ぎではない。松之助は金切り声で叫ぶと、章太に向かって更に身を乗り出した。
 けれど章太は瞳に宿る憎しみをナイフに込めて、何度も何度もその切っ先を振り下ろす。
 松之助の制止の声は全く届かず、西洋ナイフの切っ先はやがて兎の腹部から頭部へと移動した。
 そこまでが限界だった。
 松之助は咄嗟に章太に飛びつくと、血で固まったナイフを強引にもぎ取った。
 不意をつかれた章太はあっさりナイフを手放したが、振り返ったその顔には、獰猛に光る二つの目が輝いている。





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