かみさまの木index > 27

「かみさまの木」

六条家の謎D
「……それにしても驚いたよ松之助。君から連絡をくれるなんてねえ、それも妙な条件付きで。何かの遊戯でもしているのかな?」
 車窓から覗く夜の景色が、飛ぶ様に背後へと流れていく中で、軽快な口調が運転席から聞こえてきた。
 それでも松之助は、声を無視して一人物思いに沈んでいる。
 既に日の暮れた時刻、橙色の夕焼けが辺りを包み込む逢魔ヶ刻である。
 後部座席におさまった松之助は、頭の中で次々と繰り広げられる推理の幾つもに夢中になりながら、じっと車窓の景色を睨んでいた。
 しかし外界からの音が完全に遮断されている訳ではなかった為、続けて「酷いなー私を足替わりに使っておいて無視するのー?」と言う非常に楽しげな声を耳にしてついに低く唸り声を上げた。
「これは遊戯なんかやない、真剣な状況なんやっ! それより肝心の約束覚えとんか親父」
「勿論。だけど大丈夫なのかねえ、こんな時刻に君を連れ出したと分かったら、また峯子とか陸市君とかに叱られないのかと思うとね、私が。まあそれ以外の部分では楽しんでいるから構わないんだけど」
「……せやかてじっとしとれんかってんもん。早う動かなあかんて気が急いて」
 陸市宛に届けられた地図をかすめ見てから数時間後。
 電話連絡の後に家をこっそり抜け出し(運良く今日は大々的な試薬の為に、母親と陸市は工場に出ていた)外で啓甫と合流した松之助は、そのまま父親の車に乗り込んで一路六条家へと向かった。
 この間わずか三十分。
 後先を考えない行動に出てしまったと言う自覚はあるが、今更言っても仕方ない。
 とにかくあの地図に付いた印が真っ直ぐ六条家方面に向かっていると分かった時点で、松之助はいてもたってもいられなくなったのだから。
(あの地図見ても、間違いないわ。昌子さんが最後に行った場所は六条家や!)
 幸里は、タスケテの文字を書いたのは章太ではないかと言っていた。
 六条男爵にも相談できない切迫した精神状態の中、使用人からの嫌がらせを受け続けた章太が、それこそ最後に頼ったのが同じ孤児院育ちである昌子だったのではなかったかと。
 成程、確かにそうかも知れない、けれどどうしても納得出来ないのは、章太を庇う幸里の言葉なのである。
(俺にかて章太がほんまに昌子さん殺したんかどうかは分かれへん)
 それでも、と思うのだ。
 幸里の知らない章太の『残虐性』を、松之助は見ている。和田看護婦は見ている。
 あれを見た人間なら疑わずにはおれない、それだけの因子を章太が有しているのは紛れもない事実なのだ。
 幸里とて話していたではないか、他者から攻撃を受けた人間は、その鬱屈した思いを別の対象に向けるものなのだと。
(どっちにしても六条邸に昌子さんを殺した犯人がおるんは絶対や)
 単純明快に、松之助は昌子が六条家で殺されたのだと考えている。
 しかし絶対とは言いつつもやはり自分の目と耳で確かめなければ自信がもてなくて、何より幸里に相談する前にどうしても動いておきたいと思ったからこそ、松之助は急遽父親と連絡を取ったのだ。
 工場に出ていて車を出せない陸市に代わり、足になってくれるであろう啓甫に。
 彼を頼るのが二重の意味で良いことなのだと気付いたのは、しばらくたってからのことだった。
『総味軒』で彼は確かに「六条男爵は同年代の男爵で……云々」と話していたし、それだけの条件が揃えば大抵は華族・事業家同士、社交界での顔見知りとなる。
 どこまで親しいのかは分からないが、まあ松之助が正面切って尋ねて行くよりは間が持つだろう。
 つまり松之助は、父親に「六条男爵と世間話でもして時間稼いで欲しい」と頼んだのだ。
 詳しい事情を知らない割には安請け合いした啓甫に不安がない訳ではなかったが、とりあえず彼が居ないと今回の計画は滅茶苦茶になってしまう。
「けどねえ松之助。実際のところ、私が男爵を引き留めている間に何をするつもりなんだい? こんな時刻に出掛けなければならない用事となると、全く予想がつかないんだけど」「正確には男爵やのうて息子に用があるんや」
 言いにくそうにぼそりと応えると、あ、そう。と答えた啓甫は驚くほどあっさり話を終わらせてくれた。
 突然呼び出されて車を運転させられて、それでも用件を追求してこない啓甫の妙な気の使い方が今はとても有り難い。
 いい加減でちゃらんぽらんな父親だが、彼だからこそこんな無茶なお願いが出来るのだ。
「まあ、良いけど。その用事が終わったら、また私にも話を聞かせてね」
 ぐるん、と啓甫がハンドルを切って、気が付けば既に車は六条邸の門前にあった。
 未だ光を灯さない瓦斯灯が、門前に二つ並んで見えている。
「じゃあ、私は正面から行くから、君は車を停めたらすぐに反対側から出るんだよ?」
「ん、分かった。ほんまに申し訳ないねんけど、よろしゅう頼むな。時間稼いでなるべく俺とあのクソガキとが二人で話せる様にして」
 啓甫が頷いたのを合図に、車は真っ直ぐ六条邸の門下を通り抜けた。






page26page28

inserted by FC2 system