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「かみさまの木」

六条家の謎E
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 ……六条男爵の邸宅は、相変わらず豪華な佇まいを見せていた。
 車が停まったのとほぼ同時に中から執事が顔を出し、啓甫の用件を尋ねた後に彼を中に案内する。
 別の使用人が車を移動させようとする前に、松之助はこそこそと車の影に回って外に忍び出た。
 最初から、屋敷に忍び込む計画だった。
 堂々と正面から入って「章太君と話がしたいんですけど」などと言えば絶対に誰かがくっついて来るだろうし、こんな時刻の訪問では下手をすると話を通して貰えないかも知れない。
(って言うか、俺、結構楽しんでんのよなー)
 忍び込む、と言う響きがいかにも事件を調べている最中らしくて格好良い。
 そんなことを言っている場合ではないのに、心のどこかに事態を楽しもうとする無意識があるのに気付いて、松之助はたらりと冷や汗を流した。
(もしかしたら俺、こう言うのバレるんが嫌で、さとっちゃんに内緒で来たんかも)
 幸里が事件のことを調べたいと言った時、松之助にはその理由がどうしても理解出来なかった。
 けれども今なら分かる気がするのだ。
 幸里は直接昌子の死を見ている。突然、何の前触れもなく身勝手に命を絶たれた昌子の姿を見ている。
 だからどうしても引けなかったのではないかと、そう思う。
(基本的には周りに逆らわへんさとっちゃんが、封筒隠したり事件のこと内緒で調べたい言うて、今回だけ無茶言うてたもんなあ……)
 自転車旅行の時と言い、今回と言い。
 そうすることが必要なのだと、幸里自身が判断した時にだけ彼は無茶な行動を取る。
 普段自制している分、それが人より過激に映るのは仕方のないことなのかも知れなかった。
 正面玄関以外の入口を探して、松之助はこそこそと庭に続く屋敷の左手の木々へと近付いた。
 先日の訪問の際の記憶を辿って進むと、そこには小さな垣根、木の妨害や煉瓦塀などが立ちふさがっている。
 普通であれば充分な障害になるが、ちらりと周りを見渡すなり、どうやら煉瓦の割れ目に手を伸ばして木を伝えば簡単に乗り越えられそうなことに、松之助は気付いた。
 木登りで鍛えた技で器用に塀のてっぺんまで登り切ると、向こうに広がる庭園へと目を凝らす。
 警備の為に犬を放し飼いにしている屋敷も多い昨今だが、六条邸で飼われている動物はいずれも小屋の中に入っている。
 恐らく大丈夫だろうと思って眺めたが、しばらくしても犬が駆け寄ってくる気配がないことを確認してから、ひょい、と芝上に飛び降りた。
(で、章太の部屋はどこなんやっけ?)
 庭の隅に立つと、その広さが目に染みた。
 動物達の気を荒げない様に小屋から離れた松之助は、それでも次第に聞こえてくる動物達の鳴き声を耳にしながら、じっとりと汗ばむ掌を何度も握り直す。
 まずい、と思ったのは、先日章太と会ったのが庭先のことで、彼の部屋については何も知らないのだと気付いた為だった。
(俺アホやーん……どないすんねん、部屋の位置も分からんと)
 晩秋の日暮れは早い。
 先程まで空に掛かっていた筈の橙色の夕日はとっぷりと沈み込み、辺りは次第に薄暗さから漆黒の闇へと変化しつつあった。
 正面に見える屋敷の明かりがなければ、もしかしたら松之助はその場から一歩も動けなくなっていたかも知れない。
 それにしてもこれはかなりマズイ状況なのではなかろうか。
 一人で困惑していると、やがて屋敷の方から動物達の唸り声を聞きつけた使用人が、いそいそと庭に下りてきた。
 咄嗟に木陰に身を隠すと、その拍子に屋敷の二階の左端の窓でさっと何かが動いたのが、視界の隅に入る。
 幾つも見える窓、そのうちの一つであるカーテン越しの窓の向こうで、小さな影が素早く横によぎったのだ。
「どないしたのあんたら。こんな時間に騒いでも、二回はご飯出されへんのよ。旦那さんが気にされたあかんし、少しは静かにしてや」
 動物達に話しかける使用人の声を背に、松之助はそっと、 茂みを伝って屋敷の側へと近付いた。
 何とかぎりぎりまで寄ったが、あと少しの距離で茂みが途切れている……背後の使用人が未だ動物小屋の前に蹲っているのを確認すると、松之助は思い切って煌々と照る屋敷の照明の中へと駆け込んだ。
 人目につかないうちに西洋風の客間を横切り、重々しい樫の木の扉を開けて廊下に踏み出してからようやく、松之助はほっと安堵の息をついた。
 ここまでは良い。それこそ松之助がびっくりする位にうまく行ってしまった。
 しかし問題は、先程人影の映った窓の部屋への道順を、自分が把握出来ているかと言うことだ。
 少しの間考えて、松之助はにたりと笑った。
(実は俺、方角掴むん得意やったりすんねん)
 その通り、松之助は方向感覚にはもの凄く自信があった。
 以前誰かから聞いたのだが、方向音痴の人間は大抵、頭の中に平面な図面を引くのだと言う。
 対して松之助の様に大抵の場所で方向を掴める人間は、頭の中で立体的な図面を引き、自分が進んでいる間も図面の中の現在位置を記すことが出来るのだ。
 こうした知恵には冒険ごっこの経験が非常に役立っている。
 ひとまず誰にも会わない様に廊下を駆け回り、何人かの使用人にぶつかりかけるのをうまく避けながら階段を探り当てた松之助は、ようやく屋敷の二階へとたどり着いた。
 広々とした床には高価な絨毯が敷かれ、両脇には十近い扉の並ぶ廊下である。
 頭の中に浮かんだ図を動かしながら進んで行くと、やがて松之助はそれらしき扉の前で足を止めた。
 多分ここで間違いない、とは思う。思うのだが、例の人影が章太であると決まった訳でもなし、扉を開けることに躊躇が生まれる。
 それが逆に良かったらしい。
 次の瞬間、かちゃりと音がしたかと思うと、隣室の扉が外側へと開いた。
 続いて、章太が出てきたのだ。





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