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「かみさまの木」

白い手紙の謎C
 今でも峯子は、松之助が啓甫と接触を持つことを快く思わない。
 それでこうした密会対策を練っている訳だが、基本的に反省を知らない啓甫の方はこちらの事情に全く無頓着で、毎週火曜を除いても用があれば平気で松之助を呼び出した。 この傍若無人な態度を見ていると、もしかしたら両親双方に気を配る自分の方が余程大人なんじゃないだろうかと思う松之助なのである。
「そう言えば松之助、最近は新居伯爵のご子息の見舞いに熱心だそうじゃないか。風の便りに聞いたよ。ふっふっふ、実に良いことだ」
「やらしい言い方すなっ! 俺がさとっちゃんの見舞いに行くんは商売の為でも親父の為でもない、さとっちゃんが友達やからやでっ」
「勿論承知しているとも。最初にあれだけ嫌っていたものをねえ。友情ってほんとに良いもんだよねえ」
「せやから変な言い方すなっちゅーねん!」
 明治十七年の華族令により定められた族称『爵位』だが、中でも幸里の実家である新居伯爵家は、政治家・金満家を次々と輩出したことで知られる名家で、タカレンと啓甫にとっては特別な取引先だった。
 だから病がちで友人の少ない新居家嫡男と是非とも仲良くする様にと、松之助は両親から念入りに言い含められていたのだ。当初松之助がどうしても幸里と親しめなかったのは、この為でもある。
 そうした事情の一切を知られているだけに、啓甫の物言いは松之助を何ともいたたまれなくさせた。
 母親にも幸里への態度の豹変振りをやじられることしきりなのだ。
 話題を変えようとして、松之助はあっと思った。
「親父、六条って名前聞いたことあるか?」
 幸里の名を聞いて診療所での騒動を思い出したのである。
 啓甫は先に頼んであったワインを手にしたまま、しみじみと息子を眺めた。
「聞いたことがあるどころか、鷹谷家の長男としては知らない方に問題があるよ、松之助。タカレンに資金援助したことだってある、京都の名門家じゃないか」
「ええっ、そうなん!?」
 見上げると、すぐ横に座っている陸市も頷いている。
 幸里も事情を承知している様だったから、知らぬは松之助ばかりだったらしい。
「六条家は男爵位をもっているが、今の当主は私と同世代でね。幾つもの美談を抱えた紳士として知られている。そう言えば以前、火事で焼け出された施設の子供を引き取ったと言う話を聞いたことがあったが、そちらの方でも有名人なんだよ……最初は慈善事業に名を借りた売名行為だと陰口を叩く者もあったが、子供をきちんと養子として育てていると言うのだから、素晴らしい話じゃないかね」
「……養子て……それって、七つ位の?」
「おや。さすがにその事件は耳にしたことがある様だね。その通り、確か名前は章太くんと言ったかな」
 あいつや、と咄嗟に思った。
 あの、幸里の病室で暴れるだけ暴れて行った子供。
「で、六条家がどうしたって?」
「今日さとっちゃんの見舞いに行った時に会うたんや。しょっちゅう怪我して来るんやて言うてたから、何やろ思て」
「ではあの噂は本当だったのか。章太くんは気性が激しく、すぐに周りと喧嘩しては怪我をする。しかし相手が男爵家の息子とあって、大抵の話はもみ消されてしまうのだとか」
「……確かに喧嘩っ早そうな感じはしたな。胸クソ悪いわー、さとっちゃんの病室で暴れて行ったんやで、あいつ」
「へえ。それは六条男爵も慌てるだろうなあ、話を聞いて」
 幾ら華族の息子とは言え、相手は二つも位が上の侯爵家嫡男である。どんな些末な事件でも、こればかりはもみ消す訳にいかないだろう。
 幸里が「気にしないで欲しい」と念を押す様に言ったのは、昌子にばかりでなく、そうした事情にも気を配った為かも知れない。
「さとっちゃんが構わへん言うても、周りがチクったら騒ぎになるもんなあ。特に詠子夫人とかに知られたらごっつ凄いことになりそうやし……あ。そや、ついでにもう一個、この洋式封筒の銘柄やねんけど、」
 呟き、上着の懐をまさぐって顔をしかめた。
 確かに上着のポケットに入れておいた筈の例の洋式封筒が消えているのだ。
 ここに来る途中で落としてしまったのだろうか。思って総味軒までの道のりを思い浮かべた後、まあ良いか、と松之助は溜息を付いた。
 不思議そうにしている啓甫に適当な言葉を言ってごまかすと、
(にしても、男爵家の養子かあ。何が不満で乱暴働くんかさっぱり分からんわ)




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