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「かみさまの木」

白い手紙の謎E
 翌朝、松之助はとんでもない知らせを受けて学校を休んだ。
 と言うより学校に行くと嘘を付いてサボったと言う方が正しいだろう。
「さとっちゃん!」
 そう叫びながら朝一番で飛び込んだ診療所では、予想通り、背広姿の刑事達がうろついていた。
 特に庭先の木の近辺には、他の比でない人数の刑事達が現場検証を行っている。
 それを横目に玄関を通り過ぎようとした松之助は、しかしいきなり玄関口で張っていた強面の刑事に捕まり、細々とした質問で三十分近くも拘束される羽目になった。
 最初でこそ腹も立ったが、ようやく解放されて踏み込んだ診療所の中に見慣れぬ背広姿を幾つも認めると、そのものものしい空気に逆に圧倒されてしまう。
 やっぱりえらいことになってしもとんや、と口の中で呟くと、松之助は次第に強まる不安に足を早めた。
(さとっちゃんは大丈夫やろか。この分やったらさとっちゃんにも刑事がついとんやろし)
 駆け足で二階に上がったが、今日はそれを注意する看護婦の姿もない。
 恐らく個別に事情聴取を受けているのだろう、やがてたどり着いた病室の前には見張りらしき刑事が一人立っていたが、追い返されることを考えて必死で幸里の友人であることを伝えると、思ったよりも簡単に中に通して貰えた。
「さとっちゃん、大丈夫か?」
 恐る恐る寝台に近付くと、案じていた通り、幸里は真っ青な顔で寝台の上に横になっている。
 その顔色を見た途端、松之助は我慢ならずに幸里の側に駆け寄った。
「俺、今朝になって事件のこと聞いて、心臓止まるか思たわ。どっこも怪我してへんな?」
「……松之助。どうして、学校は?」
「が、学校なんか行っとられるか! さとっちゃんが事件に巻き込まれたて聞いて、大人しゅう授業受けとれる訳ないやろっ」
「またそんなこと言って、鷹谷夫人に申し訳ないよ」
 口調ばかりは呑気に呟く幸里だが、その顔色案じていた通り青白い。
 松之助が事件のことを耳にしたのは朝食の席でのことだ。
 食事中は私語を交わさないと言う鷹谷家の慣例に逆らって持ち出されたその話題に、眠気半分で席についていた松之助は、仰天してひっくり返りそうになったのだ。

 昨夜、森山診療所で殺人事件が起こった。

 未だ新聞記事にも乗らぬその事件が食卓の話題となったのは、直接幸里の実家である新居家から連絡が入った為である。
 電話口に立った執事は常になく動揺した口振りで、遺体の第一発見者が幸里であること、更に幸里が犯人の顔を見た可能性があるのだと説明した。
 しかし最も松之助を驚愕させたのは最後に続いた執事の言葉である……彼はこう話したのだ、遺体発見からこれまでずっと、警視庁の事情聴取が続いているらしい、と。
(冗談やあらへん! さとっちゃんはただでさえ身体が弱ってんのや、精神的な打撃まで受けたら今度こそ倒れてまうっ)
「事情聴取は終わったんか? 誰も居れへんけど」
 辺りをきょろきょろしながら念の為に訪ねると、幸里は溜息混じりに小さく頷き、
「終わったと言うか終わらされたと言うか」
「へ?」
「実はね。今朝方、事件のことを聞きつけたお母様が、わざわざこちらに淀見を寄こして下さったんだ」
 ああ、と松之助は納得した。やたらと憔悴し切った幸里のその顔つきの理由に、ようやく思い当たったのである。
 淀見と言うのは新居家の執事長の名で、息子を案じながらもそうそうは出歩くことの叶わない立場である詠子夫人に代わり、普段から幸里の身の回りの世話を務めている男だった。
 幸里と詠子夫人が一時的に大阪に越して来た時、彼もまた本家の雑務を別の執事に任せて大阪の別荘に移っていたのである。
「淀見が駆け付けた時、僕は丁度事情聴取を受けている最中だった。その時の担当の人が古屋さんと言う年配の刑事さんで、彼の口調が……その、事情からすれば当然なんだけど、僕が犯人である可能性を考慮したもので」
「うわあ」
 まるで年配の刑事と淀見執事の口論を目の当たりにした様な衝撃を受けて、松之助は思わずくらりとよろめいた。
 恐ろしい。恐ろしすぎる。
 よりにもよってあの若様大事の淀見の前で幸里を犯人扱いするとは、何と命知らずな所業であることか。
 ……現在の新居伯爵、つまり幸里の父親は貿易商の社長と貴族院議員を平行して務めており、大抵は実家にも寄りつけぬ程の多忙な日々を送っていた。
 当然ながら夫人も社交界の華として活躍していたが、その関係もあったのだろう、病弱な息子に対する過保護振りは尋常なものではなかった。
 普段はなよやかな貴婦人である筈が、幸里絡みのもめ事に関しては鬼神の如しとなるのを松之助も度々目にしている……いやもう大げさではなくほんとに怖いのだ。
 淀見に関しては、それを倍にした人物であると予想して戴きたい。
(まあ、その辺りの事情を知らんかったから言えたんやろうけど、それでもさとっちゃんを犯人扱いするっちゅーんはきわどいわな)
 特権階級を相手にした場合、警視庁の対応はすべからく変わってくるのが普通である。
 しかし中にはそうした傾向を嫌う者も居て、古屋刑事の様に華族相手に堂々と渡り合う刑事もまれにあったのだ。
 良く言えば「骨のある」悪く言えば「頑固」と言うヤツである。
「とにかく淀見は怒っちゃうし、古屋さんも一歩も引いてくれないし、僕そっちのけで冷戦状態になっちゃってね。最後には淀見が、直接上の人間に掛け合いましょう、なんて言い残して診療所を出て行ってしまったんだ」
「あ……そっか、さとっちゃんのおっちゃんて確か警視庁のお偉いさんと仲良かったな」
「それから後は古屋刑事も席を外してしまって、村井さんって言う若い刑事さんが見張りをしてくれている以外には、今度は逆に誰も寄りつかなくなっちゃったと言うわけ」
 村井さん、と言うのは恐らく、幸里の部屋の入口に居た刑事のことだろう。





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